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私とは何か 「個人」から「分人」へ

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「分人主義」。
家族への顔、仕事での顔、友人への顔…
私達は、日々、様々な顔を使い分けている。
「本当の自分」なんて幻想で、様々な顔の集合体が、「個人」である、と筆者は述べる。

divide→dividual(分割可能な)⇔individual(分割不可能な・個人)
ではなく、個人はdividualである、と。
(p.179 〜補記「個人の歴史」がとても興味深い。)

平野さんの思索は緻密で、生きていく上での様々な場面を、分人主義の観点から分析していく。
その全体像を、どこまで捉えられているのかは心もとないが、私は「分人主義」の考え方が腑に落ち、救われる。

貴重な資産を分散投資して、リスクヘッジするように、私たちは、自分という人間を、複数の分人の同時進行のプロジェクトのように考えるべきだ。(p.95)

ある人との関係で深く傷ついたとしても、別の人との関係性は変わらず、その分人もまた自分。

私の中のひとりの分人は、私の中の別の分人たちに救われ得る。

逆もまた然り。誰かを傷つけた私の言葉も、その誰かの中の分人によって、相対化される。

本書から受け取るのは、「私は損なわれない」という、限りなくやさしいメッセージである。

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