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ある人生の惰性と、アップサイドダウン

世間はGW。

ぼくはといえば、仕事をしつつ、本を読んで、映画をみてる。(『ハンニバル』シリーズを一気見した)

とくに日々に大きな変化があるわけでもない。
個人事業で仕事をしているので、世間が賑わうときこそ、部屋にこもっているのだ。

こうやってまとまった時間があるときに、自分の生活習慣を見直すのは大事だと思う。

もう5年前も前に、自分が書いた「僧のような春休み」というブログ。

朝は早起きして院試の勉強。
昼はジムに行ってハードにワークアウト、ランニングは10kmを目安に。
夜はアルバイト。
帰宅して、読書、ストレッチをして、なるはやの就寝。
土日は一日中バイトです。今月はしこたま稼げた気がします。
と、かなりオートメーションな休みを過ごしています。

あまりの意識の高さ、意思の強さ、ルーティン化に驚く。
(自分で書いているので、紙背を読むというわけではないのですが、カフカ君の生活体系が意識下にあったのではないかと思う。)

でもきっと、躊躇も妥協もなく上記のような、ある指針に沿ったオートメイティブな日々を過ごせていたのは、確実に"不安"だったからに他ならないだろう。

就活もせずに、インドへ出かけ、帰国後は大学院を受験するというとりあえずの目標を立てた。
社会からみれば、典型的なフリーターなわけで、宙ぶらりんな状態だった。
自分がこしらえた、ある種の"マスタープラン"さえも漏れなく履行できなければ、脱線していってしまうという一抹の不安がもたげていたのだ。

「"ストイックさ"は、漠然とした不安だけが駆動してくれる」

とも言えるかもしれない。

翻って、あれから5年後のいまの自分はどうか。

無事に院試も受かり、なんとか大学院も修了し、まがりなりにも個人事業主としてなんとか生活を送れている。

ただ、あのときのような一気通貫した、確固たる日々の指針の元、生活を送れているか。正直、答えは「No」と言わざるを得ない。

恥ずかしいので、ここには晒さないがEvernoteに「行動規範」と題し、大上段から実践まで事細かにまとめていたノートがある。
いわゆる5W1Hをレイヤーごとにブレークダウンして、言語化したものだ。
朝起きてから、夜寝る前に、毎日欠かさず2回は上から下までを読み、体に滲透させていた。

たとえば、こんなことが書いてある。(ちょっとエモくて、すいません笑)

・常に何らかのデッドラインに追われている状況を作り出す
・ミニマムな規範は持ちつつも、常に臨機応変な姿勢を
・思い立ったが吉日
・先手必勝(余裕があるときこそ、詰める)
・思考は現実化する(常にこの行動規範をリファレンスとして参照する)
・連続性を意識しながら、生きていく。一生続くペインはない。
・自分自身に誠実であること。
・時を忘れてなにかに没頭する「精神と時の部屋」を確立する

忙しさにかまけて、今はその存在さえも忘れていた。
5年前のブログを読んで、そのことを思い起こした。

惰性の波のような、人生のアップサイドダウン。
一直線に波風立てることなく、人生は進んでいかない。

身体と精神、個人と社会、内的動機と外的動機、内部環境、外部環境
切り分けられない二項対立を汲んだ上で、自分自身を位置付けること。

「行動規範」を根本から改定し、次の"春休み"に振り返ろうと思います。

ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。