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語学の散歩道#3 妻を採集する

フランス語を習い始めた動機について聞かれると、大抵の場合はこう答えることにしている。

英会話教室は選択肢が多すぎるが、フランス語教室は一つしかなかったからだ、と。

正直なところ、動機なんてほとんど覚えていない。もちろん定番として用意している答えは嘘ではないが、決定的な動機というわけでもない。

本当はスペイン語を習いたかったのだ。ところが、当時は中南米のスペイン語教室しかなく、スペインの言語が習いたかった私は、大学で第二外国語として学んだ後、独学で勉強を続けていた。

世界でスペイン語を公用語にしている国は多い。一口にスペイン語といっても、スペインで話されるスペイン語と中南米で話されるスペイン語は単語やフレーズなどが異なるものが案外多い。そのため、まずはスペインの言語を基本形として学びたいと考えていたのだ。

すると、今度はどうしてスペイン語を選んだのか、という問いが待っている。だんだん自分の答えに自信が持てなくなってくる。何かを選択するのに特別な理由もなく、ただ好奇心だけで始めた経験は誰にでもあるはずだ。しかし、それを他人に説明するときには必ず理由が求められる。そして気がつけば、私も誰かに同じ質問をしている。


スペイン語を選んだ理由。
おそらくそれは私の幼い頃の郷愁によるものだと思う。オリンピックが開催されたとはいえ、それから10年経ってもほとんど日本では知られていなかった国、メキシコ。外務省へ行ってもガイドブックなどほとんどなかったその国で、私は両親とともに2年間過ごした。ようやく歩けるくらいの年齢だったので、記憶は断片的である。それも当時の記憶なのか、両親の思い出話を聴きながら後付けされた記憶なのか判別がつかなくなっている。

それでも三つ子の魂百までとはよく言ったもので、その時の記憶は私のDNAに刻み込まれ、アボカド(メキシコではAguacate アグアカテ)と同じく、私の体の一部になっている。

言語に対する好奇心は自然に身についたものなのかもしれない。メキシコでは、アメリカと国境を接するため英語を話せる人も多かった。わずかな間だったが、現地の幼稚園にも通った。日本語もおぼつかない年齢だったが、私は小さなトリリンガルだった。当時は。多分。

あまりにも幼かったので帰国子女というにはほど遠く、わずかな単語を除いて言葉の記憶などほとんど残っていなかった。残っていたのは、楽しかったメキシコでの思い出だけである。いつかスペイン語を勉強して考古学者になり、ウシュマルの遺跡を研究するのだ、などと甘い考えを抱いたこともあったが、生贄の文化があると知って好奇心が萎えた。発掘中に人骨と遭遇するのは避けたい。ミステリーは好きだが、それはあくまで本や映画の中の話だ。


スペイン語は日本人が発音しやすい外国語と言われているが、巻き舌を使うrの発音は日本人には難しいのだそうだ。私は江戸っ子でも極道でもないが、普通に発音できるのは三つ子の魂のおかげかもしれない。一方、ネイティブの発音は恐ろしく速く、単語同士が繋がって機関銃のように連射されるため、聞き取りはかなり難しい。たとえば、Tiene que hablar Español aquí はティエネケアブラレスパニョラキ(ここではスペイン語を話さなければならない)のように聞こえる。まるで早口言葉だ。CDで聞き取りの練習はできるが、例文が面白くないのですぐに放り出してしまった。


独学で客観的な習得度を把握するのは難しい。そこで、やむを得ず検定試験に挑戦することにした。テストは嫌いだが、やってみると面白い発見もあった。

ある日、カフェで練習問題に取り組んでいると、後ろのテーブルにいた青年が声をかけてきた。

¿ Señora, estudia Español ? (スペイン語を勉強しているのですか?)

驚いて、Sí そうだと答えると、そこからスペイン語での会話が始まった。彼は友人たちと一緒だった。コロンビアの出身だそうだ。しばらく取り止めのない会話をした後、じゃあ勉強がんばって、とその若者は笑顔で去っていった。ろくに喋れなかったが、なんだか嬉しかった。

そして、試験の日を迎えた。
初めて受検したのは4級で、筆記試験は穴埋めなどの普通の問題だった。衝撃が走ったのはリスニングの試験である。試験官が、「今からリスニングの試験を始めます。後ろの方の人は聞こえますか?」と言うなり問題文を音読し始めたのだ。カセットデッキでもスピーカーからの音声でもなく、肉声によるリスニングは人生初の体験だった。いや、機械の音ではなく、人の声という点ではむしろこれがあるべき姿なのかもしれない。
おかげで及第点が取れた。

さらに衝撃だったのは、3級の試験である。試験時間は90分で和訳5問、西訳5問の計10問のみ。知らない単語があっても和訳はなんとかなる。文脈から判断できるからだ。一方、西訳はそうはいかない。知っている単語を並べただけではどうにもならない。穴埋め問題に慣れている大半の日本人にとって、これは過酷だ。しかし、文法・語彙・表現力を総合的に判断するのにこれほど優れた問題があるだろうか。単語や熟語の暗記だけでは到底通用しない。外国語習得において、外国語で読み書きをするには一定の水準が必要だ。1回目。和訳は合格したが西訳で不合格となり、結果不合格。2回目も結果は同じだった。合格するにはどちらも70点以上取らなければならない。私は、燃えた。そして、3回目で燃え尽きた。それは問題が難しいからというだけではなく、時事問題にあまり関心が持てなかったからだ。

たとえば、テキストに次のような例題がある。


<問題> 次の文章をスペイン語に訳しなさい。
日本観光協会がまとめた「観光と実態の志向」によると、最近の国内旅行では「家族連れ」が目立ち、ひところ高騰していた旅行予算も低く抑えられている実態が浮き彫りになっている。


こういう出題文には日頃からスペイン語の新聞やニュースに慣れておく必要があるが、私は通訳を目指しているわけではないから、この手の情報に食指が動かない。読むならミステリーの方がいい。

問題文には時事問題だけではなく文学に関するものもあるが、これが一筋縄ではいかない。

今となっては記憶が不鮮明だが、まどみちおの『ちょうちょう ひらひら』からの引用と思われる文章が出題されたことがある。

 春風にのって ちょうちょうがひらひら
 うさちゃんにとまって うさちゃんがうふふ
 (以下略)

秒で撃沈である。
うさちゃん。縮小字を使えばニュアンスを表現できるかもしれないが、この瞬間、「うさぎ」という単語を忘れた。ついでに「ちょうちょう」も。

ちょうどフランス語を習い始めていた頃で、優先順位の高いフランス語のpapillon(蝶)が他の言語をブロックしてしまい、海馬からスペイン語が浮上してこない。このままではまずい。何も書かないよりは何か書いた方がいい。スペイン語とフランス語は似ているという定説に従い、papillonをスペイン語風にpapillónと書いてみた。なんだかイケそうな気がする。見れば見るほど、スペイン語のようである。合格は難しいかもしれないが、ひとまず書けたことに満足して鉛筆を置いた。

帰りの電車にゆらゆらと揺られていると、ふと「ちょうちょう」という単語が私の頭に舞い降りてきた。それはpapillónなどとは到底似つかぬ、mariposaという単語だった。何故思い出せなかったのだろう。この単語にはわが家で語り草になっている“笑劇“的な思い出があったというのに。

父は昆虫採集が好きで、メキシコ滞在中に暇な週末があると、私を連れて昆虫採集に出かけた。とくにモルフォ蝶がお気に入りで、父の標本箱の中で瑠璃色に輝く羽は、世界一美しいに違いないと思っていた。

ある日、昆虫採集をしていたとき、メキシコ人から何をしているのかと聞かれた父は、「Mariposa(蝶)を採集している」と答えるかわりに、こう答えた。

「Esposa(妻)を採集している」

彼らに理解されたことを祈るばかりである。
一方、私のpapillónは理解されなかった。


<語学の散歩道>シリーズ(3)




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