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性格のプラスとマイナス

自分の性格がきらい

他人に気をつかいすぎる自分の性格がきらいだった。
わるくいうと相手のご機嫌をうかがってしまう。「いいひとですね」と言われることも多いが、必ずしもうれしくない。「やり手」とか「わがままだけど、仕事はできる」みたいな人に本当は憧れる。

ついつい相手の気持ちを考えてしまい、相手が喜ぶように、不快にならないように気をつかってしまう。それでどっと疲れて人と会うのが億劫になってしまう。

そういう自分の性格が自己嫌悪の対象だった。

ビジネスで役立つ「気をつかいすぎる」性格

本業の仕事(副業はカメラマン)では商品企画やプレゼン、いちおう経営者なので社員教育的なことをしている。おかげで15年以上、会社を続けられている。作った商品がお客さまに支持されたり、取引先への提案がうまくいったり、そういう積み重ねで、ビジネスは続けられている。提案や説明については、上手だとほめてもらうことも増えた。

そんなとき気づいた。
自分は相手のことを考えすぎて、相手の希望や、ときには相手が気づいてない欲求まで推しはかったりしていた。それで疲れることが多かった。でも、その「性格」が、ビジネスでは役に立っている。商品企画やプレゼンは、相手の気持ちが理解できなければうまくいかない。相手の気持ち、それも、本人も気づいていない深い部分や盲点をつかないと、心には届かない。
「そういう訓練」であれば、長年やってたことに気づいた。

気持ちを言葉にする能力

昔、学生のころ、脚本を書いたり自主制作映画を撮ったりしてたときに「君の書くセリフは、観る人が気づいていない自分の気持ちを言葉にしてくれてるよね」と言われたことがある。

今思うとそれが自分の能力(才能?)なのだ。その能力や性格というのは「気をつかいすぎて疲れる」というマイナスの面もあるが「相手のことを考えた商品づくりやプレゼンができる」というプラスの面もある。

カメラマンとしても役に立つ

副業でやってるカメラマンの仕事も「相手の望む写真を撮る」という面で、この性格が役に立っていると思う。
お客さまの要望に応えることはもちろん、お客さまが言葉にできていない、自分でも気づいていない内なる理想を汲みとって、こちらから提案しなければと思っている。

そう思えるようになったときに「気をつかいすぎて疲れる」という現象にも「そのおかげでたくさんの得もしてるから、プラマイでいうとプラスだなw」と思えるようになった。

このことに限らず、一見、ネガティブな要素に思える自分の性格も必ずプラスに働いているときがある。そう思えると、自己肯定感もアップする。

昔の自分に言ってあげたい

なぜこのことを書いたかというと、昔の自分が、誰かにそのことを言われてたら心が軽くなっただろうな、と思うからだ。ひとりでも「そういう考え方があるんだ」と思って、ほんの数日、数秒でも心が軽くなれば書いた意味があるというものだ。

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なんてね。

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