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誰にどう視られるか気にしない生き方って誰にどう視られるか気にしている生き方

誰にどう視られるか気にしない生き方って
誰にどう視られるか気にしている生き方

誰にどう視られるか気にしない生き方って
誰にどう視られるか気にしている生き方
である。

自分が思っている以上に
他人はあなたのことを見ていない。

「自分は誰にどう思われようが、視られようが気にしない」って言うってことは
自分は誰にどう思われようが、視られようが気にしていると言うことなのである。

実は壮大なパラドックスなのである。
しかしそのパラドックスに気づいていない。

この現代、みなスマフォに夢中で、
あなたのことなど尚更見ていない。

もし、デジタル上にあなたの情報があふれているのであれば、
いつどこで誰に見られているかわからないこともあるかもしれない。

人は他者に言うほど関心がない。
他者に関心を持っているように装う人ほど、
自分自身に興味があり、
自分自身に興味を持ってもらいたい反動、及び関心を得たいからこそ、
他者にアクセスをするのである。

裏を返せば、他者に興味のない人間は自分自身にも興味がない場合が多い。
誰にどう視られるか気にすらしていないのである。

だから、
誰にどう視られるか気にしない生き方って
誰にどう視られるか気にしている生き方
である。
と言える。

あながち間違っていないだろう。

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