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何故、AIに置き換えのきく人間がいきやすい世界なのか(特にこの国で)

没個性/没主体性 国家ニッポン
何故この国はAIに置き換えのきく人間がいきやすい世界なのか、社会であるのか。

アメリカの9.11以後のイラク戦争はアメリカ(ブッシュ大統領(Jr.のほう))の思惑でサダム・フセインを陥落させるため、大量破壊兵器の保持を理由にテロリストとの戦いを名目に戦った。
アフガニスタン/ウサマ・ビンラディン及びアルカイダを叩くコトよりイラクに攻撃したかったのだ。
結果、大量破壊兵器は見つかっていない。
自分等に都合の良いシナリオを用意し、"事実"を肉付けしていった。

ベトナムの反省を活かせなかった。
ベトナムは得ていた情報が間違っていたコトになっている。

正義はそれぞれに在り、時に正義は暴走する。
平和はもしかしたら"ひとつ"なのかもしれない。

権力のもとにある正義の暴走は厄介であるし、
真偽ではなく、マジョリティな情報が真実ではなく
"事実"として世の中を渡り歩き蔓延する。

下手したら情報は売れる/利益の出るモノが真実より流通し、
流行するのである。時にはプロパガンダとなる。

今のご時世、ウィルスの伝播より情報の伝播の方が危うい。

今の時代に限っていないかもしれない。
この数十年で勢いがつき、今後さらに加速することだろう。

多くの人々が比較的自由に情報を持ち、さらには情報を発信できる。
真偽より数字が強者になっている。
影響力は可視化されているが、真偽は可視化されていない。

そう、真偽より数字が強者になっている。
影響力は可視化されているが、真偽は可視化されていない。

のである。

これは海の向こうアメリカの話ではなく、
この国の話で
今はボーダーレスなのだ。

数字そのものは人間みを帯びていないが、
その数字に人間及び感情が掛け合わされると大きなチカラになり、
様々なモノが動く様になる。(正確には動くように見える)

今やtwitterやSNSは大きな扇動機関になっている。

何故この国はAIに置き換えのきく人間がいきやすい世界なのか、社会であるのか。

自分の考えを"あまり"持たない人間が煽動しやすく、
コントロールしやすい。
この国はその様な"教育"を施し、あたかも"正解"として
"考える脳"を奪っている。
世の中にギモンやフマンを持たない、持たさない様にしている。
"義務教育"のなのもと洗脳している。

教育≒洗脳 とボクは捉えている。
教えると言うことの危うさをとても理解し、
正解や答えを伝えない努力と考えること/考え方への促しをするに過ぎない。

ましてや、教えること/教えるひとが上だと(自分自身に関して)思っていない。

教えることで多くのコトを教わり、学ぶことが出来る。

没個性/没主体性 国家ニッポン

"洗脳"により施されたひとびとは"チカラを持つもの"にコントロールされ、"チカラを持つもの"はその"チカラ"の維持に注力している。

だから、国はよくならない。よくなっていない。
悪くなってないから良いと言う思想が蔓延し、ジリジリと下降しているコトに気づいていない、もしくは気付かないフリをし、
未来を捨て、切り捨て、今のコトしかみていない。
過去からの現在(いま)の積み重ねが未来であると"大人"が見ていない。
未来に生きていないから。

そう言う大人をつくり続け、そう言う大人が現在を生き、
未来をつくっている。

SDGsを謳っていても、謳っているだけ、謳い続けても未来は良くならないのだ。

自分が生きない未来を自分事に想像し、考え、
現在を行動、生きるかが大事なのである。

AIに置き換えのきく人間がいきやすい世界なのか、社会であることに
疑問を持つことからはじめてみよう。

AIに置き換えのきく人間がいきやすい世界なのか、社会が自分にとって生きやすいか生きづらいか考えることからはじめてみよう。

生きづらくなくても疑問を持ち、自分事で自分なりに考えてみよう。

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