黒人差別をしたNHKを日本型謝罪で終わらせないために―再発防止には絶対に必要な差別禁止ルール

多忙ですぐに書けませんでしたが、NHKが6月7日の『これでわかった!世界のいま』でレイシズムに基づいた番組をつくり、大問題となりました。私はこんなツイートをしました。

しかしNHKはすでに謝罪したのですが、懸念した通り、差別を差別とは認めないままアタマだけ下げる日本型謝罪です。

このままでは差別の再発も防げないだろう、と私は強く懸念しています。なぜなら差別の再発防止にぜったいに必要な、差別禁止ルールの制定をNHKはする気配が全くないからです。

ところで心強いことに、「アメリカ史研究者有志」の方々が、NHKに抗議と是正を要求する要望書を提出しておられます(下記リンク先)。この要請書は、番組の問題を丁寧に説明している素晴らしいものでしたし、私も強く賛同し署名しました。月末に提出されるとのことです。

ところで、この要請にも日本では絶対に必要な差別禁止ルール制定という要素がありませんでした。これは入れておいてほしかったですね。

近年日本社会で、ヘイトスピーチやセクハラなど、差別の頻発や激化が社会問題となるなか、いまだ差別禁止ルール制定の意義は、日本社会ではほとんど浸透していないのだと痛感させられました。

この記事では、
1.NHKの謝罪は、日本型謝罪であること
2.それは差別禁止ルール不在から来る必然的なものであること
3.日本で差別に反対する際に、差別禁止ルール制定という要素を外す限り、問題解決は極めて困難であること
をごく簡単に、述べようと思います。

米国や欧州など世界的にブラック・ライブズ・マター運動や関連する反レイシズム運動が燃え広がるなか、日本でも反レイシズム規範を打ち立てるというシティズン(市民)としての義務が提起されているはずです。

その際重要なのは日本のレイシズム状況の特殊性を十分考慮することです。半世紀前に欧米で闘い取られたごく規範的な反レイシズム規範(公民権法など)が日本社会で未だに存在しないので、日本ではごく基本的な反レイシズム規範の形成が課題となります(下図、拙著『日本型ヘイトスピーチとは何か』影書房より)。

画像2

NHKの謝罪は差別を差別だとは認めることを回避する日本型謝罪だ

既にご存知でしょうが、NHKがレイシズムに基づいた番組をつくり、国内外から批判を浴びて、謝罪しました。

下記の画像にみられるように、同番組は、筋肉を過度に強調したマッチョな黒人男性が怒って暴れているかのようなイメージを与えるアニメをつくっています。これは反黒人的なレイシズム(人種差別)というほかありません。

しかしNHKの謝罪は、差別を差別と認めませんでした。アタマだけ下げる日本型謝罪だといえます。

今回のNHKの差別も、不十分な謝罪の問題も、昨年9月に大坂なおみ氏の肌の色をネタにして人種差別を行ったAマッソと所属先のワタナベエンターテイメントの日本型謝罪と、ほとんど共通すると考えます。したがって今回のNHKの差別事件は、過去に起きた差別から全く学んでいないことが引き起こしているといえます。

私は昨年の加害者らの謝罪が、日本型謝罪であることを説明し、差別禁止ルール制定の必要性を訴えた記事を書いています。

同じ方法で、簡単に問題を検証してみましょう。日本型謝罪と、そうでない欧米型謝罪モデルを比較した図です。

日本型謝罪と欧米型の比較

つまり、

①差別・人権侵害した事実関係を明らかにしたか
②どんなルールにどう違反したかをどう判断したかを明確にしたか
③上の①と②で明らかになったルール違反への責任として処分・賠償・謝罪があるか
④上の①と②の結果に基づいた実効的な再発防止措置がとられているか
という4点が検証ポイントです。

この図は日本型謝罪を見破るために考案したものでした。再発防止に結び付く実効的な謝罪であるかどうかを検証することができます。

日本型謝罪と、欧米型謝罪モデルに違いは何か。それは差別禁止ルールの存在です。右は、人権侵害や差別の有無を判別可能な明示的禁止ルールが機能している社会ではじめて成立する謝罪モデルです。それを赤い矢印で表現しています。

従って決定的なのは②のルール違反という判断がなされるか否か、です。

欧米には存在する差別禁止ルールが、日本には皆無であること。これが両者のレイシズムをめぐる状況の決定的な差です。差別事件発生時に、加害者が日本型謝罪で切り抜けるのは、この差別禁止ルールの不在という権力状況があってこそなのです。日本型謝罪は頭を下げることで世間の許しを請うと同時に、責任追及を曖昧にして、なによりも市民社会に社会正義としての差別禁止ルールをつくることを未然に防止する効果を持つと言う意味で、フーコーのいう権力のテクノロジーの一種として機能しているといえます(人権侵害や差別発生後に、当事者などから批判を受けた際、責任を回避したまま謝罪することで抗議を無効化し、むしろ批判する者をトラブルメーカーとして世間に嫌わせるようしむけることで、欧米型の反差別規範成立を阻止したり骨抜きにする日本型の統治技術です)。

さて、NHKの今回の謝罪は、どうだったか。

NHK謝罪が日本型謝罪である理由

アニメは、黒人の屈強な男性などが経済への不満から暴れているかのように描かれ、黒人の人たちに対する誤った印象を与えるものでした〔A〕。また、放送当時、デモは、平和的なものがほとんどで、様々な人種の人たちが参加していましたが、アニメはこうした状況を反映していませんでした。アニメとコメントの一部は「黒人の人たちに対する差別と偏見を助長するものだ」と厳しい批判を多数いただきました。
今回、私たちが問われたのは、人種差別の問題を取り上げるにあたって、人権や多様性に対する意識を持って制作したかという点でした〔B〕。アニメは、経済格差のデータを分かりやすく伝えようと、編集責任者やデスクが確認しながら制作しました。しかし黒人の人たちの描き方については、人権や多様性に対する認識が甘かったと思います。その結果、尊厳を傷つけてしまうことになりました〔C〕。
今回の問題をうけNHKでは今後、取材・制作者への研修を改めて行い、人権に対する意識を徹底していきます〔D〕。また、あらゆるテーマについて、多角的な視点を持って、いっそう丁寧に議論しながら取材・制作にあたってまいります。
(NHKの上記サイトより)

4つの点について検証してみましょう。

①事実の認定:Aで「黒人の屈強な男性などが経済への不満から暴れているかのように描かれ、黒人の人たちに対する誤った印象を与えるもの」としているが、これは現状を反映していないからダメだだったとされるのみです。Cで尊厳を傷つけたことを認めましたが、それがなぜなのかは不明です。

②ルール違反の判断一切ルール違反かどうかの判断はなされていません。そもそも人種差別撤廃条約などの、何が差別で何がそうでないのかを判別するモノサシとしての差別禁止ルールが存在しないし、参照されてもいない。したがってルールに違反していたか否かという判断も全く避けられている。Bで編集責任者やデスクが確認した編集過程の問題に触れていますが、しかし②の差別禁止ルールというモノサシがなかったから現場の労働者が差別を防げなかったのはないかという問いをたてるかわりに、「認識が甘かった」という、学校や企業でよくやらされる意味のない「懺悔」になっています。

③謝罪・処分など:②がないので、ほんとうは謝罪するまでもないはずなのですが、アタマだけは下げている。これが日本型謝罪です。もちろん差別だとは認めていない。

④再発防止:研修を行うとしているのはいいことです。しかしそれが再発防止の効果を持っているのかは全く不明です。なぜなら②のルールがないからです。誰もが使える、つまり差別か否かの判断ができる、実用的なルールをつくらない以上、研修の効果は「もともと人権問題に関心のあったスタッフ」にしか効かないなどの限定されたものにとどまるのではないでしょうか。

さらに、NHKはこの謝罪以外にも次のような謝罪を行っています。

NHKの国際情報番組「これでわかった!世界のいま」が放送したアニメ動画について「差別的」などと批判が上がった問題を受け、NHKの正籬(まさがき)聡放送総局長は17日の定例会見で、改めて謝罪し、チェック体制を強化することなどを会見で明らかにした。
 正籬放送総局長は動画の問題点について「国の内外でどう受け止められるかという問題意識が欠けていた。番組の一部を切り出してSNSに掲載したが動画がどう広がり、どのような影響を及ぼすかという認識が十分でなかった」と説明。人種や民族、ジェンダーなどを番組で扱う際は、協会内外の幅広い人材が、複眼的にチェックする体制をつくると述べた。
 正籬放送総局長によると、NHKは12日に放送現場の責任者を集めた放送倫理委員会を開き、今回の問題点を検証して共有。同日、具体的な注意事項を示した文書を放送に関わる全ての職員に出したという。
 文書の内容は、人種などのイメージ映像や画像は安易に制作することはせず、差別を感じされる表現になっていないか、細心の注意を払う▽動画などをネットに掲載する際は、視聴者がどのような印象を受けるか見極め、掲載するか慎重に判断する▽チェックが不十分だったことから、人種や民族、ジェンダーなどを扱う際は、協会内外の幅広い人材が、複眼的にチェックする▽理解を深めるための研修や意見交換をする――の4点だという。

これも結論からいえば、やはり差別禁止ルールを使って、差別であるか否かを判断するというはじめの一歩を回避した、日本型謝罪だといえます。

じつは日本企業としては、いっけん先進的にみえることを打ち出してもいます。

第一に、「人種や民族、ジェンダーなどを番組で扱う際は、協会内外の幅広い人材が、複眼的にチェックする体制をつくる」とした。

第二に、「NHKは12日に放送現場の責任者を集めた放送倫理委員会を開き、今回の問題点を検証して共有。同日、具体的な注意事項を示した文書を放送に関わる全ての職員に出した」。放送倫理委員会で検証し、具体的な注意を文書で出す、というのも悪くはない。

しかし、それにもかかわらず、やはり心もとないのは、何が差別で何がそうでないのかを、果たしてどういう基準で判断するのかが、まったくわからないからです。差別禁止ルールがないからです。

差別禁止ルールが無い状況で、下記の4つが内容だという文書も、意味をもつでしょうか?

①人種などのイメージ映像や画像は安易に制作することはせず、差別を感じされる表現になっていないか、細心の注意を払う
②動画などをネットに掲載する際は、視聴者がどのような印象を受けるか見極め、掲載するか慎重に判断する
③チェックが不十分だったことから、人種や民族、ジェンダーなどを扱う際は、協会内外の幅広い人材が、複眼的にチェックする
④理解を深めるための研修や意見交換をする

一見いいようにみえますが、結局は「注意を払う」「慎重に判断」「複眼的にチェック」「研修や意見交換」と、つまりは主体の意識変革とコミュニケーションによって問題を解決できると言っている

しかしこれは実は何も言っていないのに等しいのです。

差別禁止ルールもないのに、どうやって差別とそうでないものを判別するのでしょうか? そういう具体的な規準なしに、主体の意識とコミュニケーションに問題を先送りするのはまさに、フーコーが批判した「主体」のワナです。

このやり方ではむしろ事なかれ主義が横行し「ブルシット・ジョブ」(デヴィット・グレーバーがいう「クソどうでもいい仕事」)を増やす結果にならないか心配です。NHKという巨大組織で官僚機構を肥大化させたり、現場の過労気味のスタッフや下請け労働者の長時間労働に拍車をかけるだけに終わるということにならないかさえ危惧されます。

今回のNHKの黒人差別事件はアメリカ史の理解が不十分でも、差別禁止ルールで防止できたはずの問題だ

今回のNHKの差別事件は、そんなに難しい話でしょうか? 誰がみてもステレオタイプ的な黒人表象をアニメでつくって、しかもツイッターで全世界に垂れ流した、という簡単な話です。じつは今回の事件はアメリカの歴史をたとえ十分知らなくとも、防げるレベルの、悪質なレイシズムなのです。

今回の差別は歴史を一切知らなくとも、差別禁止ルールに照らせば、NHK幹部だろうと過酷にこき使われている下請けの労働者であろうと、誰でも簡単に差別だと判別できることを示します。人種差別撤廃条約は最もスタンダードな反差別ルール(反レイシズム)ですが、その定義(第1条)の核心は3要素にまとめられます。

①(人種/民族などの)グループに対する、
②不平等な、
③効果

です。念のため条文も一応引用します。

「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先〔①〕であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する〔②〕目的又は効果〔③〕を有するものをいう。(第1条)

上のルールを今回のNHKのアニメに適用してみましょう。

①黒人という人種的グループに対する(黒人/白人と人種ごとに特徴があるように描き分けられている)
②不平等な(黒人があからさまに暴力的に描かれており、とりわけ黒人男性がマッチョで筋肉隆々だというセクシズムが混じったステレオタイプが反映されるなど、黒人を「野蛮なもの」としてネガティブに描いている。白人はそうでないだけに明らかに不平等)
③効果がある(①と②が番組で放送されたので視聴者に黒人を不平等に扱ってよいのだというメッセージをおくった。)

どうでしょうか。たとえアメリカの歴史をよく知らなくとも、①グループに対する②不平等な③効果があるとダメだというルールをモノサシにすれば、今回の差別に関しては極めて簡単に、差別だと判断を下せるはずです。

問題はなぜNHKがこれほど簡単な判断を下さなかった、ということなのです。

そして残念ながら差別だとの判断を回避する日本型謝罪をした途端、日本社会はマスコミはじめなぜか問題追及を終了することです。日本型謝罪はまるでゲーム終了の合図のようです。差別禁止ルールがつくられなければ、

差別発生→世間の批判→日本型謝罪(差別禁止ルール×)→マスコミ追及終了差別再発→世間の批判→日本型謝罪(差別禁止ルール×)→マスコミ追及終了
差別再再発→世間批判→日本型謝罪(差別禁止ルール×)→マスコミ追及終了

という「クソゲー」(初めから絶対クリアできない、詰んでいるゲームの意)の無限ループにはまるでしょう。というより日本社会は戦後ずっとこの「クソゲー」にはまっており、一度も抜け出したことがないのです。

先ほど日本型謝罪がフーコーの言う統治技術だと言いました。このようにNHKは頭を下げてしかし差別だとは認めず、主体の意識改革とコミュニケーションのあり方に問題を先送りすることで、社会的責任から逃げようとしています。これが権力の技法でなくてなんなのでしょう。

この統治の技法として日本型謝罪を打ち破るためには、日本で差別と闘うためには、差別禁止ルールを加害者側にも飲ませる共通基準として打ち立てる以外にないのです。

NHKの日本型謝罪にみられるスリカエと、差別煽動効果への無自覚

根本問題はNHKが、スタッフが現場で使える明示的な差別禁止ルールをつくってこなかった責任問題を、視聴者の受け止め方や、スタッフの認識や人権感覚の問題にすりかえていることなのです。ドライなビジネスの論理で徹底すべき差別禁止ルールさえないことのマネジメントの問題が完全に回避されている。

そして差別だと判断していないからでもありますが、NHKが全世界にむけて差別を拡散したことの社会的効果に対する検証が一切不明です。私は次のことを真剣に危惧しています。

差別が煽動されてしまった時、加害者が何よりもなすべきは、自分が社会に撒いた差別のタネを刈り取ることです。

さて、NHKの上記の謝罪や行動は、差別した加害者が負うべき自分がまいたタネを刈り取る責任に照らして十分でしょうか?

全くそうではありません。NHKは今すぐ、自分たちが作成した動画で、差別しないように呼びかけるべきです。しかしNHKは差別だとの判断を回避しているので、それもできないのです。

私にはこの問題のほうが、NHKスタッフの「認識」を変えるよりも重要だと思います。というより、自分たちがまいた差別のタネを具体的にどう刈り取るかを当事者や研究者やNGOと協力しながら考えてもらったほうが「生産的」ですし、具体的に差別に反対する実践のなかで考えてみなければ「認識」などかわるはずがないのです。無意味な研修より100倍効果があるでしょう。

NHK放送ガイドラインのアップデートについて

長くなってしまいましたが、最後に冒頭で触れた要望書についてです。

最後の要求項目は次の三つです。

(1)6月7日放送の『世界のいま』の内容に、どのような問題点があったのかについてのNHKの認識を、番組やウェブサイトなどで公表すること。(2)番組がどのようなチェック体制のもとで制作され、なぜ、事実としても倫理的観点からも大きな問題がある内容が、番組、ウェブサイト、SNSで放送・発信されてしまったのかを明らかにすること。
(3)同番組だけでなく、NHK報道番組においても、人種・人権をめぐる問題を扱う上で、今回のような問題を再発しないための具体的な防止策を明らかにすること。
アメリカ研究者有志一同

基本的には文句なしに素晴らしい内容だと思います。

しかし反レイシズムの差別禁止ルールを制定することを入れてほしかったです。

残念ながら、既に述べた通り、日本社会にも差別禁止ルールがなく、NHKにも差別禁止ルールがないため、NHKはこの要請を実行しようにも、差別の判別基準さえもたないことになります。

もちろんNHKにも「NHK放送ガイドライン」があります。いっけん差別禁止ルールのようにみえますが、全くそうではない。

差別の定義がどこにもないからです。したがってスタッフが何が差別なのかを判別する際には役に立たない。

16か所「差別」が出てくるが、しかし差別の定義がない、ということが問題です。

これを変えさせるには具体的にはどうしたらいいでしょうか。

たとえばの一案ですが、NHKができることは、この放送ガイドラインのアップデートではないでしょうか?

上に述べた人種差別撤廃条約を引用し、第一条の人種差別の定義をつかって①グループへの②不平等な③効果のある差別を禁止する、という条項を加えて、実際にスタッフが何が差別で何がそうでないのかを判別できるモノサシとして、マニュアルとして使えるようにすればいいでしょう(もちろん世界人権宣言や女性差別撤廃条約など他の国際人権法もですが)。

ほかにも言うべきことはありますが、長くなったので、これで終わりにします。




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