日本型謝罪テクノロジー2

日本型謝罪テクノロジー(3)作家の書くべき/書くべきでないの2択ではない、第3の選択肢=『週刊ポスト』の表現の自由を守る差別禁止ルールを

初回の記事では、武田邦彦氏らの差別をそのまま報道したゴゴスマの形式的な謝罪を取り上げました。

昨日の第二目の記事では、嫌韓差別煽動の批判を受けて急きょ出された『週刊ポスト』の形式的な謝罪を取り上げました。

おかげさまで好評です。ありがとうございます。

そんななか、本日9月3日も、神奈川県の黒岩知事が次のような謝罪を行いました。

「誤解を与えおわび」というのは、昨日の記事で批判した『週刊ポスト』と全く同じ。この連載で批判している、とりあえずアタマを下げて、メディアと世間を誤魔化す日本型謝罪テクノロジーそのものです。

今回の記事では、しかし上の黒岩知事の批判をすることはしません(次回にまわします)。

今日は、昨日の記事で取り上げられなかった、『週刊ポスト』9月13日の差別をめぐる、ある大変重要な論点について、今日は書くことにします。

それは深刻な差別をした『週刊ポスト』あるいは小学館で、書き手は書くべきか否か、という問題です。

抗議として「書かない」を宣言する作家たち──『週刊ポスト』に抗議しての連載休止や小学館への執筆辞退等

広告で「怒りを抑制できない「韓国人という病理」などと露骨に朝鮮人差別を煽動した『週刊ポスト』9月13日号に抗議して、いち早く連載休止を公表したのは作家の深沢潮さんでした。

しかしながら、このたびの記事が
差別煽動であることが見過ごせず、
リレーエッセイをお休みすることにしました。

とあります。私は大変勇気ある行動だと思います。特に彼女は大学の教員などの安定的な収入もありませんし、評論家としてテレビや雑誌に登場するわけでもない、小説一本で食べている方です。そういう方が、抗議の意を示して連載休止を公表すること自体、極めて勇気があると言えるでしょう。

また神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんも、次のように「今後小学館の仕事はしない」と宣言しています。

というわけで僕は今後小学館の仕事はしないことにしました。幻冬舎に続いて二つ目。こんな日本では、これから先「仕事をしない出版社」がどんどん増えると思いますけど、いいんです。俗情に阿らないと財政的に立ち行かないという出版社なんかとは縁が切れても。

しかしこのような動きに対して、次のような声もあります。

「書かない」という抗議の仕方に異議を唱える声

たとえば作家の藤谷治さんです。

と明確に書いたうえで、次のように結んでいます。

「週刊ポストは間違っているぞ」と書かれるべきは、第一に「週刊ポスト」誌上じゃなかろうか。

これに賛意を示したのは、小説家でタレントの室井佑月さんです。

同感です。何食わぬ顔で、シャッと反論です。いちばん効くのは連載持ってる人がそれをやって、編集部に苦い顔されたら、その理由を聞いて(たぶんいわない)、そのことを付け加え、べつのところにそれを載せる。ジャッジを世間にしたほうが勝てる。

そして千葉商科大学国際教養学部専任講師の常見陽平さんも次のように書いています。

『週刊ポスト』での連載を降りると言った深沢潮氏の主張は理解できる。ただ、内田樹氏の批判は理解できない。「小学館では書かない」と「『週刊ポスト』では書かないは似て非なるものであり、「小学館では書かない」は例の特集と非して似たる部分があるのではないか。「嫌小学館」「断小学館」ではないか。

「書くべきではない」と「書くべき」という二者択一ではない、第3の選択肢=『週刊ポスト』の表現の自由を守る差別禁止ルールを

深刻な差別煽動があるメディアで起きた時、書き手はそのメディアで①「書くべきではない」のか、むしろ②「書くべき」なのか。

この問題について、現時点での私の意見を書いてみます。

私の立場は、①「書くべきではない」でも、②「書くべき」でもありません。(そもそも書き手自身が選択する性質の問題でもありますが、今回それはおいておきます)

差別したメディアでは①「書くべきでない」と②「書くべき」という二者択一の選択肢からは見落とされてしまう第三の選択肢を、つまり③『週刊ポスト』の表現の自由を守る差別禁止ルールの実効化というオルタナティブを提案します。

私の考えを説明する前に次のことを書いておきます。まず私は深沢潮さんの勇気ある決断を支持したいと思います(上述した理由に加え、深沢さんの決断はほとんど即日なされた素早いものでありました)。それに加え、『週刊ポスト』誌は今回の深刻な差別煽動だけでなく、以前から嫌韓ネタで愛国差別ビジネスで儲けていたと思われるので、今後実効的な再発防止が見込めないなら休刊やむなしと考えますし無批判に『週刊ポスト』に書き続けるのも差別への加担になるのではと思います。

しかしそれと同時に、上記のような『週刊ポスト』に差別の批判を書くべきだという意見や、小学館に一切書かないというのでよいのかという疑問も、傾聴すべきものが含まれると考えます(各人が差別の深刻さについてどれだけ理解しているかという論点は今回は問いません)。

以上を踏まえた上で、私は、何が差別で何がそうでないのかを判別する実効的な差別禁止ルールが公明正大な基準としてどこにも存在しないことが根本問題であると考えます。そしてこの差別禁止ルールという基準の不在こそが①「書くべきでない」と②「書くべき」という選択を、二者択一的に、つまりそれ以外の選択がないようにみせてしまっている主原因だと考えます。

よく考えてみましょう。そもそもなぜ、①「書くべきでない」と②「書くべき」という選択肢が、ここまで対立してしまっているのか。

差別禁止ルールがないから、ではありませんか?

(正確に言い直せば、表現の自由を守るための必要条件としての差別禁止ルール、です)

あたりまえですが差別禁止ルールとは、何が差別で何がそうでないかを判断する基準をつくり、その基準に反するものを禁止するルールのことです。未だによく知られていませんが、日本は欧米が50年以上前につくったレベルの差別禁止ルールも存在しない、先進国中の例外国なのです。

私が研究で作成した下記の表をみてください。欧米では表現の自由を守るためにこそ差別は禁止されねばならないという大前提が合意されているのです(この表現の自由を守るために差別を禁止すべきであるという発想は、たとえば人種差別撤廃条約など国際人権法で常識とされています)。

(出典は梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か――社会を破壊するレイシズムの登場』(影書房)。直接にはARIC「キャンパス・ヘイトウォッチ・ガイドブック」より引用))

先進国の中で、日本は例外的に、表現の自由と差別禁止が、(間違って)最も対立させられているのです。

差別禁止ルールがないからこそ、『週刊ポスト』の開き直り方は、ある意味正しいのです。ルールがない以上、どうして表現の内容で事前に何が差別で何がそうでないか、判断できるんですか?と『週刊ポスト』は開き直っているのです。

だからこそ、①「書くべきではない」という選択肢ぐらいしか、書き手として抗議の意を表明する有効な術が見あたらないのも、当然なのです。差別禁止ルールがない以上、どうせほとぼり冷めたら同じ差別が繰り返されるに決まっているわけで、そんな差別が表現の自由に内包されているメディアに書けるはずがありません(差別も表現の自由にされているメディアでマイノリティが書きたくない/書けないことはいうまでもない)。

そして他方で、差別禁止ルールがないことが当然視されている以上、他の人々にとっては②「書くべきだ」もまた唯一の有力な選択肢にみえるわけです。差別禁止ルールが実効化されてこそ表現の自由を守るのだという50年前欧米が常識にした発想さえ考えも付かない以上、差別も反差別も等しく表現の自由を駆使して闘う他ないだろう、という発想にしかならないからです。

しかし、欧米に50年以上も遅れて、形式的に表現の自由と差別禁止を対立させるばかりで、実際に表現の自由を極右や差別煽動からどう守るかを全く考えないまま、無策だったからこそ、『週刊ポスト』の差別煽動事件が起きたのではありませんか?

杉田水脈自民党議員がLGBTに生産性がない等と差別煽動を行い、昨年『新潮45』が休刊になったことを思い出しましょう。もし『新潮45』編集部と新潮社が、本気で表現の自由を守ろうとしたなら、社内であるいは『新潮45』編集部が差別禁止ルールを制定し、ここから先は差別だから絶対にやめるという基準を公開し、杉田水脈氏の差別を公然と批判し、最後まで批判に耐えながらも表現の自由を守るという選択肢もあったのです。しかし新潮社の選択はこの連載で批判している日本型謝罪テクノロジーを駆使するというものでした。つまり形式的にアタマだけ下げて、ドサクサ紛れにコストのかかる『新潮45』を休刊させ、元気ある『週刊新潮』など別の媒体で愛国差別ビジネスを継続することで全く腹は痛まないよ、という考えられる限り最も狡猾なやり方をとったのでした。

議論をまとめましょう。

私は重大な差別煽動を行った『週刊ポスト』に、書き手は①「書くべきでない」というのも、②「書くべきだ」というのでもなく、③『週刊ポスト』が実効的な差別禁止ルール(人種差別撤廃条約に準ずるのがよい)を自主的につくり、それを公開し、再発防止措置まで含めてキチンと今回の差別煽動の責任とる、ということが大事だ、と考えます。

③の選択肢がとられれば、①「書くべきでない」という立場に立つ人々も、条件付きで書くことも可能になりえます。また②対抗言論を「書くべきだ」と主張する人々も、単に表現の自由一辺倒では問題の解決にならないことや、その対抗言論が差別禁止ルールがなければ機能しないことを学びうるでしょう。

長くなってしまいましたが、最後の問題が残ります。

差別禁止ルールの重要性は分かった、だが具体的にどうしたらいいか?──という疑問を持つ方もおられるでしょう。

今日は時間がないので詳しくは今度書くとして、ここでは2017年の一橋大学百田尚樹講演会事件から教訓を学んでほしい、ということだけ書いて終わりにします。

2017年の一橋大学百田尚樹講演会事件から学ぶべき表現の自由を守るための差別禁止ルール

日本社会はとにかく社会正義やルールが軽んじられる社会です。日本でルールとは、企業や学校で、とにかく「上から押し付けられるもの」であり、しかも強者は破っても問題ないのに、弱者は破るとペナルティを科されるようなものだからでしょうか?(日本でルールとは、本来的に不公平で理不尽なオキテ、と思われているかのようです)

しかしルールの中には、国家や企業から押し付けられる理不尽な規則ではなく、市民社会の成員が自律的に社会を運営するための自主的なルールというのもあるのです。

一橋大学の2017年6月に起きた百田尚樹講演会事件では、まさにその大学という自治的空間に自治的な差別禁止ルールが存在しなかったことが問題となったのです。

私は代表をつとめるARICで、百田尚樹の表現の自由を守るためにこそ差別禁止ルールを制定すべきだという下記のようなキャンペーンを行いました。

キャンペーン内容と、そこで提言した差別禁止ルール試案を公開します。

私は前回の記事で書いたように『週刊ポスト』(か小学館)が、あるいは出版労連など現場の編集者や出版労働者のイニシアティブをとる形で、表現の自由を守るための原則的かつ現実的な差別禁止ルールをつくることを期待します。そのためにできることがあればいくらでも協力するつもりです。

【参考資料】一橋大学KODAIRA祭実行委員会に提言した要求項目

1.差別を許さないKODAIRA祭の実現を求めます。
 KODAIRA祭を誰もが楽しめる学園祭にするために、KODAIRA祭ではいかなる差別・極右活動も許さない旨を公に宣言し、それを徹底してください。
1)「差別の許さないKODAIRA祭宣言」(仮)等、貴会が性・人種/民族・障がい・宗教などへの差別を禁止する明示的ルールを新たに制定してください。
2)KODAIRA祭期間中に来場者が安心して楽しめるよう、来場者が差別に遭わないような実効的な差別防止策・対処策を策定・実行してください。
3)貴会スタッフ全員が実効的な反差別研修を受け、KODAIRA祭期間中に差別発生時にきちんと対処できる体制を整えてください。
4)策定した反差別ルールは来場者全員が容易に知ることができるようにしてください。
2.KODAIRA祭のイベントに登壇する全てのゲストに対し、上記に定めた反差別ルール・ポリシーとそれを貴会が徹底する旨を通知し、万が一その約束を守れない方がいた場合その方の登壇をすべて断ってください。
3.百田尚樹氏講演会「現代社会におけるマスコミのあり方」に関しては、百田氏が絶対に差別を行わない事を誓約したうえで、講演会冒頭でいままでの差別煽動を撤回し今後準公人として人種差別撤廃条約の精神を順守し差別を行わない旨を宣言する等の、特別の差別防止措置の徹底を求めます。同時にこの条件が満たされない場合、講演会を無期限延期あるいは中止にしてください。

【参考資料】KODAIRA祭実行委員会に提案した差別禁止ルール試案「差別のないKODAIRA祭開催のために(仮)」


差別のないKODAIRA祭開催のために(仮)

一、KODAIRA祭は、誰もが安心して楽しめる学園祭開催を目指します。

一、KODAIRA祭は、国境を越えた普遍的人権の実現を謳う世界人権宣言と日本国憲法を尊重し、教育研究の自由を保障する一橋大学ハラスメント防止ガイドラインに従い、会場内における人種/民族・性・障がい等に基づいたいかなる差別(1)も許しません。

一、KODAIRA祭は、極右組織等による差別煽動(2)の禁止を義務付けた人種差別撤廃条約を尊重し、会場内における暴力を含むいかなる差別煽動 も許さず、国立大学法人一橋大学が順守すべき本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律を踏まえ、それら差別煽動の防止に努めます。

一、KODAIRA祭は、会場内においてもしも差別・差別煽動が起きた場合、実行委員会または警備員が見つけ次第、当人に当該行為を止めるよう警告を行い、なおも警告に従わない方にはすみやかにご退場いただきます。また悪質な差別・差別煽動については、必要に応じて警察・法務省・一橋大学当局・NGOなど関係各機関と協力し、以後の差別抑止と被害回復に尽力します。

一、KODAIRA祭は、会場内においてもしも差別・差別煽動を見かけた場合、あるいは被害を受けたりした場合に、通報・相談できる窓口を設けています。すみやかに下記連絡先までご連絡ください。

以上

(1)ここでいう差別とは世界人権宣言や日本国憲法、人種差別撤廃条約等諸国際人権条約が法規制を義務付けている様々な差別のことです。

(2)ここでいう差別煽動とは人種差別撤廃条約第4条が禁止を義務付ける差別の「差別のあらゆる扇動又は行為」のことです。同条約第4条は「人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止する」ことを求め、また国立大学法人のような公的機関が「人種差別を助長し又は扇動することを認めない」ことを義務付けています。

【通報先】
○KODAIRA祭実行委員会:(担当部署、連絡先)
○一橋大学ハラスメント相談室(月・金のみ):(担当部署、連絡先)
○法務省人権相談窓口
相談フォーム:http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken21.html
○反レイシズム情報センター(ARIC)
相談フォーム: http://antiracism-info.com/soudan
メール: soudan@antiracism-info.com

【差別・差別煽動の例】
 ・ヒジャブ/スカーフなど着用者に「イスラム教徒はテロリストだ」等と中傷する、暴力を振るう。
 ・在日コリアンや中国人に「朝鮮へ帰れ」「中国人は反日だ」などと言う。
 ・女性に対して痴漢行為を行う、お酌を強要する、卑猥な冗談を言う。
 ・妊婦やベビーカーを引く人に「甘えているんじゃない」などと言い嫌がらせをする。
 等々

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?