日本型謝罪テクノロジー

責任逃れのための日本型謝罪を見破る方法──ゴゴスマのヘイトスピーチについての謝罪を例に

TBS・CBC系の情報番組「ゴゴスマ~GoGo Smile(以下・ゴゴスマ)」の8月27日の放送で、中部大学の武田邦彦教授が「日本男子も韓国女性が入ってきたら暴行しにゃいかないからね」等と、韓国人女性へのヘイトクライムを煽動する深刻な差別がありました。ゴゴスマを即日打ち切りにすべき深刻な犯罪教唆です。

そしてSNSなどで大きな批判を浴びたゴゴスマは、当初謝罪しないと言っていたものの一転、8月30日の放送で次のように謝罪しました(以下、バズフィード記事による)。

「今週火曜日にゴゴスマで放送した日韓問題のコーナーについて、ゴゴスマとしてはヘイトスピーチはしてはいけないこと。ましてや犯罪を助長する発言は、人として許せないことと考えています」
「ゴゴスマとしては、ヘイトや犯罪の助長を容認することはできません。番組をご覧になって不快な思いをされた方々にお詫びいたします」

アナウンサーが真面目な声で語り、深々と頭を下げたこの謝罪は、一見すると丁寧なお詫びにみえるかもしれません。

しかし実は大きな問題を含んでいるのです。一番わかりやすいのは、この30日の謝罪は前日の29日の東国原英夫氏による金慶珠氏への差別的な罵倒について全く触れていないことです(この謝罪は大きな批判を浴びた27日の武田邦彦氏の発言が、言い逃れできないほどハッキリと韓国人女性を暴行しろ言っていたので、それについて謝罪して火消しを図ったのです)。

いったい、何が問題なのか。

それはこの謝罪が、当面の難局を切り抜ける技術でしかないからです。

そう、日本社会で謝罪とは、とりあえず頭を下げて世間が忘れるのを待つための技術なのです。それは欧米型の、正義に反していたことに対する回復措置としての謝罪とは、正反対といってもいいように思います。

私は戦後日本社会に溢れかえっている、形式だけ丁寧で実質的に何の意味もないこのタイプの謝罪を、「日本型謝罪テクノロジー」と名付けておくことにます。

以下、ゴゴスマの謝罪を例に、無意味で有害な謝罪の見破り方を簡単に解説します。

日本型の謝罪の特殊性とは──欧米型の謝罪モデルと比較すると

便宜的に、次の表をつくってみました。

この表は、重大な人権侵害や差別が起きた時、その謝罪が社会的に意味のある象徴的な行為なのか、逆に形式的でその場を切り抜ける技術でしかないのか、を判別する便宜的なガイドラインとして考案したものです。

このガイドラインに照らせば、ゴゴスマの謝罪の問題は簡単にわかります。

ゴゴスマの謝罪は①どんな事実に対する②どんなルール違反だったから謝っているのか不明だから問題

冒頭のゴゴスマの謝罪の最大の問題は、①どんな事実が、②なぜ問題だったのか(どんなルール違反だったのか)が不明なところです。

だから①事実関係をゴゴスマがどう認識しているのかも、②ゴゴスマが何をルール違反だと考えているのかも不明になります。

したがってせっかくの③謝罪も、なんのための謝罪なのかもまた、じつは不明になる。もう一度、謝罪文を読んでみましょう。

今週火曜日にゴゴスマで放送した日韓問題のコーナーについて〔A〕、ゴゴスマとしてはヘイトスピーチはしてはいけないこと。ましてや犯罪を助長する発言は、人として許せないことと考えています〔B1〕」
「ゴゴスマとしては、ヘイトや犯罪の助長を容認することはできません〔B2〕。番組をご覧になって不快な思いをされた方々にお詫び〔C〕いたします」

太字にしたA,B,Cの箇所に注目してください。上の表の、①事実認定、②ルール違反の判断、③謝罪、④再発防止、に即して問題点を検証しましょう。

①事実認定

まず①事実の認定がなされていません。たしかにAで「今週火曜日のゴゴスマで放送した日韓問題のコーナー」と書かれていて、あたかも事実の認定は済んでいるようにも思えるかもしれません。
しかし違います。誰の、どの発言が問題だったのかは、隠されているからです。
本当に誠実に対応するならゴゴスマは、緊急調査を行い、誰の、どの発言が、どう問題だったのかを、明確にすべきだったのです(いまからでも)。

②ルール違反の判断

そして②ルール違反かどうかも判断はありません。

じつは上の謝罪で唯一評価してよいのは、ゴゴスマがハッキリと、(不十分ながら)一般論としては差別に反対し犯罪に反対することを表明しているところです。

「ヘイトスピーチはしてはいけないこと。ましてや犯罪を助長する発言は、人として許せないことと考えています」(B1)、「ゴゴスマとしては、ヘイトや犯罪の助長を容認することはできません」(B2)。

しかしこれだけではダメです。なぜなら一般論でしか差別に反対していないからです。最低限のこととして、武田邦彦氏の「日本男子も韓国女性が入ってきたら暴行しにゃいかないからね」という発言が差別にあたり、しかもヘイトクライムの煽動に当たる重大な人権侵害だった、と判断すべきでした。

ですから上の表明は、番組制作者の側に、踏まえておくべきルールとして差別禁止規範がなかった、ということを露呈させるものです。

やる気がないだけでCBCやTBSは、何が差別で何がそうでないかを判断するルールをいくつも持っています。たとえば人種差別撤廃条約など国際法や、日本国憲法やヘイトスピーチ解消法な国内法、そして番組制作者であるCBCも属する民放連の放送基準第一章人権「(5) 人種・性別・職業・境遇・信条などによって取り扱いを差別しない。」など、具体的に使える判断基準はあるわけです。

このルールに照らせば、何も違反していたのが、8月27日の武田邦彦氏の暴言だけではなかったはずです。つまりルールに照らせば、人権擁護・差別禁止ルールに反していた次のような問題が浮かび上がったのではないでしょうか。

①直接の加害行為。8月27日の武田邦彦氏、8月29日の東国原英夫氏の暴言
②加害行為の防止責任の不履行。差別を防止できなかった周りのゲストの責任、とくに司会であったアナウンサーの責任
③加害行為を放映した責任。プロデューサーからCBC・TBSの社長など。
④被害者の被害にどう向き合うか。その場にいた朴一氏や金慶珠氏の被害だけでなく、公共の電波が流布され被害に遭ったマイノリティへの。
⑤再発防止阻止として謝罪は十分か否かという問題。

※このように個別具体的な①事実を認定し、②それがルール違反だった、という検証を行い判断をしないと、一般論な差別反対論は「お説教」程度の効果しか持たないのです。

③謝罪

したがって、ゴゴスマの謝罪である、「番組をご覧になって不快な思いをされた方々にお詫びいたします」(C)という発言も、なんの謝罪なのかじつは全く不明なのです。

最も問題なのは「不快な思いをされた方々にお詫び」という箇所です。これは日本型謝罪の典型ともいえるもので、「あなたが不快に思ったのなら謝りますね」というタイプの謝り方で、最も不誠実な謝り方だといえます。これは言い換えれば「何が問題だったのかをこちらは曖昧にしておきますが、あなたが文句を言うので、あなたが不快に思ったのならその点についてだけとりあえず謝りますね」というものです。たとえば「傷ついたのなら謝る」とか「迷惑かけたのなら謝る」など様々なバリエーションが既に企業社会でテンプレ化されている通りです。

こんなひどい謝罪がまかり通るのも、ゴゴスマが①事実認定も②ルール違反という判断も避けたために、可能になっていることに注意しましょう。

また前述のとおり、東国原英夫氏の差別にも、あるいは差別を止められなかった石井アナウンサーの責任や、放映したCBC・TBSの責任にも言及がありません。

④再発防止

したがって、この謝罪は再発防止効果を全く持たないのです。じっさいゴゴスマは変わらず日韓ネタで視聴率を稼いでいます。

ゴゴスマは従来通り日韓ネタを使って差別を煽動し視聴率を稼ぐ愛国差別ビジネスを継続するため、BPOで訴えられることを回避するために、とりいそぎアタマを下げたとしか思えません。すこし厳しく聞こえるかもしれませんが、私は次のように投稿しました。


誠実な謝罪に不可欠なのは①事実認定と②ルール違反だという判断

以上の検討からもお分かりのとおり、日本型の謝罪で決定的に欠けているのは、

①事実の認定と、②ルール違反という判断

なのです。

つまり①どんな事実があって、②それがどんなルール(法律であれ、社会慣習やモラルなどの正義)にどれほど反していたのか、という判断が無いままに、とりあえずアタマを下げて世間に許されるのを期待する、というのが日本型謝罪の特徴なのです。

日本型とは対照的に、欧米型の謝罪モデルには、4つに全て○がついています。

これは単に、4つが揃っている、というだけではありません。①事実認定がなされてはじめて、②それがルール違反か否かを判断することができ、その結果ルール違反だと判断されてはじめて、③謝罪がなされる、という論理的な関係があるのです(下図赤い矢印)。

海外では簡単に人は謝らないよ、などと言われたりしますね。

(偏見交じりで言われたりしますがそれはおくとして)一理あるのは外国で公けに謝罪がなされる時それは、問題となる事件が②正義に反していたという判断がなされない限り、③その責任を認めて謝罪するということはあり得ない、というのが関係しているんではないでしょうか。

つまり①事実認定、②ルール違反という判断がなされて、はじめて差別や人権侵害への埋め合わせとして③謝罪が伴う、ことです。

逆に言えば、①事実調査をしたけれど事実が確認できない場合や、②事実は認定されたがそれがルール違反まではいかない場合、③謝罪などすべきではないのです。

ゴゴスマ差別事件は、2017年1月のテレビ大阪の長谷川豊氏降板事件の不十分さが引き起こしている

今回のゴゴスマの差別事件は、過去のテレビ局での差別への対応を踏襲しています。たとえば透析患者への差別を煽動した長谷川豊氏の降板事件をみてみましょう。

長谷川氏は「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」などというタイトルのブログを2016年9月19日ブログで公開し、2017年1月に大阪テレビの番組を降板されたのです。

その当時のテレビ大阪社長のコメントは次の通りです。

事態を重く見た同局は同29日、「9月19日のブログでいき過ぎた内容〔A〕があり、多くの人に著しい不快感を与えた〔B〕。その後、タイトルを修正したとはいえ、何よりも言葉を大切にしなければならない報道番組のキャスターとして、不適切な発信と言わざるを得ないと判断した〔C〕」として、翌30日放送からの番組降板を発表した。

長谷川がなぜ番組を降板したのかが、社長のコメントではまったく不明です。

1.「いき過ぎた内容」とは何かが不明。何が、どう行き過ぎたか。
2.「多くの人に著しい不快感を与えた」。これも不明。
3.「キャスターとして」「不適切な発言」。これも不明。

長谷川豊がなぜジャーナリスト失格なのかを、テレビ局としては、次のように調査し判断し責任をとることがはずでした。

①事件の真相究明(ブログ記事の何が間違っているか。なぜそういう記事を書いたか。)
②どういう点で問題なのか(透析患者への人権侵害・差別煽動、福祉・医療制度利用者へのバッシングの煽動。その社会的効果の検証。)
③処分(降板させるだけでなく、どういう理由で降板させるのか。その規準とは何か。以上の公開)
④局としての再発防止策(アナウンサーへの研修、局としてのルール制定、透析患者の置かれた状況を検証する番組を放送するなど)

報道をみるかぎり、それらはなされませんでした。だから単に長谷川豊氏を降板させたところで、長谷川豊氏も差別を繰り返したのですし、また今回のゴゴスマのような差別が繰り返されたのです。

このように事実も認めずルール違反も認めないまま、不祥事対応としてなされる日本型の謝罪も反省も、じつは何の解決にもつながらないのです。

差別・人権侵害が起きたとき、重要なのは「誰かに責任を取らせて終わり」ということにしないことです。そうではなく、社会全体の反差別・反人権侵害ルールや規範の制定・更新というところにつながらなければなんの意味もありません。

日本社会では差別・人権侵害がおきたとき、話し合い重視でルール制定を嫌う、戦後日本型の社会規範に、無意識に沿った形でコトが処理されてしまいます。だからいつまでたっても、差別・人権侵害は不祥事としてのみ処理されてしまうのです。

差別の連鎖を食い止めるために、欧米型の規範形成的な、再発防止効果につながる差別への謝罪対応が必要だと思われます。

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