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民主主義における「自由」とは何か?

 今回の記事は、6月26日に開催したハンス・ケルゼン『民主主義の本質と価値』の輪読会の内容をサマリー的にまとめたものです。

1.民主主義の理念

 民主主義の理念には、ふたつあると説きます。ひとつが「自由」の概念、もうひとつが「平等」の概念です。
 「自由」とは、「社会状態がもたらす強制に対する反感であり、自分の意志を屈従させる他者の意志に対する抗議、他律(Heteronomie)の苦痛に対する抗議である。こうして自由を求めて社会に叛逆するのは、人間性そのもの」のことです。このように、社会秩序が個人に対して課す他者の意志(それは王や貴族の意志であることもあれば、一般意志であることもあるでしょう)の圧迫は、それ自体つねに耐え難いものといえます。なぜならば、他者が自分に優越した価値をもつという枠組みに対して、プリミティブに「自分こそが」と支配者に対して生じるためです。
 このとき、「あいつも人間だし、私も人間じゃないか。なぜあいつが私に優越しているのか。対等ではないのか。あいつが私を支配する権利は、その正統性はどこにあるのか?」という問が生じます。このような想いから、優越する者を否定する「平等」の理念が生じます。
 すなわち、わたしたちは、社会秩序の中に自由な存在として生まれだしたにも関わらず、支配を受けることになり、それがつねに「自由なのになぜ制約されるのだろうか?」という感情を惹起し、みずからが劣後することへの反感から、対等であることを担保するための平等理念が生じるのです。言い換えれば、自由の理念から生じる反感によって構成されるのが平等の理念であり、ある種、対立かつ並立することになるわけです。

2.自由と平等の隘路

 この時におおきな問題が生じます。それは「私たちは、理念上、平等であるのだから、人は人を支配してはいけないのではないか?」というもの(自然的自由)です。ところが、経験論として、わたしたちは「わたしたちが現実に平等でいることを期するならば、支配を受けなければならない」事実にぶつかることになります。それゆえに、政治的なイデオロギーは、自由と平等をむすびつけるための不断の努力を孜々としておこなってきたのです。この矛盾ないし対抗するふたつの理念の総合が「民主主義の特質」をつくりだしています。
 たとえば、古代ローマのマルクス・トゥッリウス・キケロ(B.C. 106 - 43)は、以下のように述べています。

国民の権力が至高である国家以外に自由の住み家はない。確かに自由の味ほど甘美なものは有り得ないが、それが平等でないならば、自由の名に値しない
ハンス・ケルゼン『民主主義の本質と価値』岩波文庫、16 頁

 完全なる自由は社会秩序のような上位権力を否定するが、その自由が社会的―政治的・国家的―なものの中にはいるためには、意味が変遷しなければならないのです。なぜなら、「自由」は、一般的には社会的拘束のすべてを否定するもので、特殊的には国家を否定することになり、さらには社会や国家の拘束におけるひとつの形態に変化するからです(あとで意味が分かりますので、一旦スルーしてください)。
 社会や国家が存在すべきであるならば、人間同士の行動を一定程度制限する規範的拘束力がなければならないのです。つまり、支配は必然的に存在することになります。しかし、自由であるわたしたちが支配を受けざるをえないならば、わたしたち自身が支配することを望むことになります(社会的・政治的自由、治者と被治者の自同性の追求)。
 このようにして、自然的自由が社会的・政治的自由に取って代わるわけです。「社会的・政治的自由」とは、たしかに誰かに服従してはいるが、他者の意志ではなく、わたしたち自身の意志にのみ服従することを意味します。そして、ここからさらなる社会・国家形態のあいだの原理的な対立が生じることになります。

3.認識論的アポリア

 そもそも論として、自然と社会が異なった体系として成立するとき、自然法則性とは別の社会法則性が存在することになります(ふたつの中身が同じであれば一体化するはずである)。繰り返しになりますが、自然的自由は国家的自由を否定することになりますが、国家的自由は自然的自由を否定することになるのと同じように、自然法則性は社会法則性を否定しますし、社会法則性は自然法則性を否定することになります。この視点に立つと、「自由」は、独自の社会的・倫理的・政治的・法的・国家的な法則性の表現となるため、自然と社会の対立はふたつのたがいに異なる法則性の対立となっていることが理解される時に、はじめて解決が可能となります。

ふたつの自由理念

①古代的自由
 「古代的自由」とは、自由は国民が国民を統治すること、国民が国家の支配意志形成に参与することを意味します。

②ゲルマン的自由
 「ゲルマン的自由」とは、支配から自由になることや、国家から自由になることを意味します。

 これらは、人間の意識が自然の状態から社会秩序の中に移行する際に、根源的な自由への本能が受ける変遷や性質変化における第一段階となっています(後でわかるのでここもスルーで)。なぜ「自由理念」が、政治的なイデオロギーにおいて、いかに評価してもしきれないほどに死活的に重要なのかは、それが人間の魂の窮極的な根源に根差しているからなのです(「1.民主主義の理念」参照)。ところが、この自由の理念はほとんど謎ともいえる変化を経て、「社会の中の個人の自由」という位置づけに変わっていきます(自然法則は社会法則を否定するし、社会法則は自然法則を否定するのに!)。いいかえると、アナーキカルな自由が民主制内の自由に転化するのです。

 これを理解するのに重要なのは、ジャン=ジャック・ルソー(1712 - 1778)の以下の言葉です。

それは次のような結合形態を見出すところにある。すなわち、各成員の身体と所有を団体の総力を挙げて防衛し保護するような結合の形態、しかもその結合によって各人が万人と結びつきながら、自分自身にのみ服従し、以前と同様に自由であり続けるような形態を
同、19 頁(『社会契約論』第一編六章)
英国民たちは自分たちを自由だと思っているが、それはひどい自己欺瞞である。彼らが自由なのは議員選挙中に過ぎない。議員が選ばれてしまえば、彼らは奴隷となり、無となる
同、19 頁(同、第三編十五章)

 ルソーの指摘は、次の通りです。「国家の支配意志が国民の直接的議決によって決定される場合でも、個人が自由であるのは投票の瞬間のみであり、しかもその投票が敗北した少数意見でなく、多数意見である場合のみである。それゆえ、民主主義的自由の原理は、投票が少数者を従属させる可能性を最低限に縮小することを要求するように見える。それゆえ個人の自由の保障は、制限多数決を、もし可能ならば全員一致制を要求するのではないか」。そのため、民主主義における自由の原理は、投票が少数者を服従させる可能性を最低限におさえることを要求するのです。すると、自然と、個人の自由の保障は、制限多数決(票が過半数を超えたものを決とするもの)を、可能な限り全員一致を要求するのではないだろうか(ただ、経験的に、利害が輻輳していることは事実のため、全員一致は現実的には難しいと評価されます)。
 ルソーでさえも、全員一致は「国家創設の原始契約」にのみ求められるとしています。とすると、全員一致は概念的構造物になりそうですが、実はここに論理的な陥穽があります。自由(の理念)は、そればかりでなく、秩序の存続や維持にもすべての人からの同意を要請しているのです。ということは、すべての人は―つねに―その同意をしないことによって、社会秩序の拘束から脱却し、社会から脱退する理由を持つことになります(「市民的不服従」につながるかもしれません)。
 ここに、個人における自由の理念と社会秩序の理念の間には、克服しがたい問題が埋伏していることが道破できます。それはすなわち、社会秩序は根本的な本質において客観性をもつ必要があるということです。換言すれば、規範服従者の意志から独立した拘束力をもつものとしてのみ可能になるはずなのです。もちろん、社会秩序の内容を服従するひとが決定しているとしても、その秩序の拘束力は客観性を有する必要があるわけです。それは、特殊的な社会事象を対象として、認識的に左右されてはいけないのです(恣意性の排除)。この時、当為(~すべき、社会・政治的自由の制限)と存在(したいことをする、自然的自由)の間には、緊張の関係が生じます。しかし、これが仮に無になった場合、もはや”服従”の状況は喪失されることになります。すると、民主政が自由の理念に沿って、全員一致によって成立したが、その存続は多数決によって決定されるとなります。ということは、民主制の理念は、当初のものから逸脱し、それへの単なる近似のみに収斂することになってしまいます。
 このときに、もし、多数派の意志が拘束力を有しているにも関わらず、民主制は「自律の体制であり、そこでは万人は自らの意志にのみ服従している」と標榜するのであれば、それは自由の理念が変化したことを意味します。たとえば、多数派に投票をしていた者が、のちに考えを翻し、少数派側になったとしても、以前の意志表明は法的には有効のままとなるため、その投票者は他者の意志に客観的拘束をもって捉えられていることになります。であれば、この投票者がふたたび自由となるためには、あらたな意志を多数派にする必要が生じます。ところが、制限多数決がもとめられるならば、この一致は極めて難しいことになるため、いよいよ個人の自由は成立しがたいものになるわけです。それに全員一致がもとめられるならば、個人の自由はほとんど成立しないことになります。
 ここでわたしたちは、政治的なメカニズムが有する特異な二義性を看取することになります。はじまりにおいては、自由の理念に従って、個人の自由の保護を目的とした国家秩序が、ここにいたって離脱不可能な監獄になるわけです。わたしたちは、ほとんどの場合、国家や法、国家意志(秩序)の創造に無から携わることがありません(原始契約的に)。生まれた瞬間から、国家秩序の中にあり、それがつねに他者の意志として立ち向かってくるからです。ここで問題となるのは、秩序の存続と変更のみに限定されます。となると、制限多数決でなく、単純多数決(最大得票のものを決とするもの)の方が、相対的には自由の理念にもっとも近いことになってきます。
 とすれば、畢竟、多数決原理の淵源は、自由の理念ではなく平等の理念にあると理解した方が妥当となります。人間の意志が相互に均等であることは前提となります。しかし、これは単純な計測や積算を可能とすることを保障するものではありませんし、その総合の重量において多数の票に少数の票が劣後することを意味していないのです。
 であれば、多数決の原理を定立させるには、「万人が自由ではあり得ないとすれば、可能な限り多数の者が自由であるべきだ」「可能な限りの少数者が、その者の個人意志と社会秩序の一般意志との相克に陥らないようにすべきだ」という前提から導出する筋に賭けることになってきます。この時に、「平等」が民主制の前提となる基本的仮説にあきらかに組み入れられてくるのです。
 国家意志を変更するのに、最小の個人意志の同意で十分であるとすれば、個人意志と国家意志の一致はもっとも簡単になります。そうはいっても、単純多数決以下だと、国家意志は成立した瞬間から反対者の方が多いことになり、それ以上だと国家意志の変更に反対する少数者が変更を阻止しつづけられることになり、多数派の意志を抑えて国家意志を決定することになります。

4.分岐

 「国家の支配からの個人の自由」という観念から、「個人の国家支配への参与」にいたる道程では、同時に自由主義から民主主義が分離されます。民主主義の達成度合いが国家秩序への服従者たちの参与する度合いであるとすれば、国家秩序が個人をどこまで支配するか、どこまで個人の自由に介入するのか、は別の問題となります。国家権力が無制限に拡大することは、個人の「自由」の全面的な否定になります。自由主義的理念の否定が行われたとしても、国家権力がそれに服従する個人によって構成されている限りは、それはなお民主主義ということができます。つまり、民主主義は自由の完全な否定を一定の条件の中で遂行することができるのです。また、(政治史的な視点から見れば)権力の拡大という点において民主的国家の権力は、専制的国家の権力と同じくらいエクスパンショニズム(膨張主義)的な要素を抱合しています。
 したがって、自由の要請の出発点を成す個人の意志と、他者の意志として個人に立ちはだかる国家意志との間に、相克が生じるのは自然なことと理解できます。ただし、民主制においては、この対立が最低限に抑制されているとも解することができます。しかし、なお、国家の意志は”他者の意志”であり続けるのです。さらに、この概念の変遷は先へ続きます。
 それは「根本的には個人の自由は不可能なものであり、それは徐々に後景に退き、社会集団の自由が前景に現れる」状態に行きつきます。政治意識において、「自己の同等者に支配されたくない」というプリミティブな感情の影響で、支配の主体は国家人格という匿名の人格にすり替えられるのです。国家秩序による命令は、可視的な人間ではなく、不可視の人格から発されることになり、ここに“ 全体意志 ”という全体的人格が生じ、個人の意志から分離されることで国家意志が客観性を獲得することになっていくわけです。
 この擬制的な分離は、全体意志と個人意志の離隔であるだけでなく、全体人格と実際の支配者の意志との分離として権限してくることになります。つまり、人間としての支配者は、実体化された人格としての「機関」とみなされるようになるのです。専制支配においては“ 血肉を持つ人間”が支配者とみなされますが、民主支配においては“ 国家”そのものが支配者とみなされるのです。これによって、「対等の人間による人間の統治」というご遠慮願いたい事実が隠匿されるのです。

5.民主的自由の帰結

人間はすべての自由を国家に放棄し、国民としてそれを取り返す

 このような流れで、「自己と同等の者の統治を受けている」ことが隠蔽されると「個人は自由ではない。国家秩序に服従せざるを得ないのだから」という認識が違和の源泉とならなくなります。というのも、支配がすり替えられたことにより、自由の主体もすり替えられているからです。それは、つまり、「個人は他の諸個人と有機的に結びついて国家秩序を創造するのであり、この結合の内に、そしてこの結合の内においてのみ、「自由」である」ことが強調されるのです。ルソーは「被治者としての民衆は、その全自由を放棄し、国民としてそれを取り返す」と考えました。つまり、「被治者と国民のこの区別の内に、社会的考察の観点の転換、問題設定のすり替えのすべてが示唆されている」のです。

 そしてそのふたつは以下のように定置されます。

  • 被治者→個人主義的社会認識における孤立した個人

  • 国民 →普遍主義的社会認識における非自立的な集団の一員。

 国民の集団は、高次の有機的な全体を構成しており、自由を志向する価値観における個人主義の観点から見ると、超越的で形而上学的な性質をもっていることになります。ここで、転換が完了し、「個々の国民は自由である」という考えの正当さが奪取されるのです(すくなくとも言明から重要性が喪失する)。したがって、「国民はその総体である国家においてのみ自由」となり、「自由な国家の国民のみが自由である」となるわけです。個人の自由は、国民の主権に取って代わられ、代わりに要求されるのは「自由な国家、自由国家」です。ここに自由観念の意味変遷が完結することになります。

 結論として、「国民は一般意志によってのみ自由なのであり、この一般意志への服従を拒否する者には、国家意志を強制しなければならない。それは自由となるための強制である」となるのです。


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