資本から社会的共通資本へ変換するOS_2

社会的共通資本

社会的共通資本とは宇沢弘文著の「社会的共通資本」で示されている考え方である。

ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持する―このことを可能にする社会的装置が「社会的共通資本」である。その考え方や役割を、経済学史のなかに位置づけ、農業、都市、医療、教育といった具体的テーマに即して明示する。混迷の現代を切り拓く展望を説く、著者の思索の結晶。(本書紹介文より抜粋)

社会的共通資本の考え方は建築学の領域では「コモンズ」と表現した方が馴染みが深いかもしれない。ただこれは自説だが建築学の領域でのコモンズは物理的な領域を中心とした感覚を受けるためここではあえて社会的共通資本として話を進めることとする。

前回の記事で取り上げた前田建設工業の事例はここでは資本を社会的共通資本へと変換する足掛かりがあるのではないかとここで述べたい。

実際に行われていることはゼネコンの仕事でないとすればなんの変哲もない企業形態であるかもしれない。(研究施設を地域へ開くという形態においては)しかしここでは建設業という領域の中でマスな存在であるゼネコンが、場のデザイン、さらには建築設計とその先のプログラムまでをデザインできることに可能性を感じているのだと強調しておきたい。

この事例から感じるのは資本主義と社会的共通資本という対極にある考えを同時に包摂し統合できる可能性があるということである。実際に建築家の発言に見られる「コモンズの消失」「ポスト資本主義社会への態度」と警鐘が鳴らされている事柄は対応策としての提案が物化されることを通して、社会に実装されて初めてその思想が世界へと反映される機会を得るものだと考える。

だとするならば資本を現時点で十分に確保している、かつ、建築の領域と直接結びつけて考えられるべきゼネコン(建設請負業)のフィールドで展開されるべきであろう。

資本を資本へと変換するOSとしてのゼネコンが、今後訪れるであろう定常化社会の中で真に建設の力で世界へと貢献していくとすれば、その道は資本から社会的共通資本と変換するOSへのアップデートであろう。
彼らには資本を社会的共通資本として世界へと差し出すだけでなく、その場のデザインを通じた実空間のあり様を同時にデザインできるという建設業の他では考えられない特別な力を持つ。
本当に世界へと影響を及ぼすOSのデザインは、社会が転換していく瞬間には優れたクリエイティビティと共感力のある提案として実空間へと実装されるのではないだろうか。

あえて明示しておくとすれば資本主義を真っ向から否定したいわけではない。ただここでは人口増加もとうに頭打ちとなり定常化へと向かっていく姿が容易に想像できる世界において、今までのように消費の海の中では建設で世界へと対峙していくにはあまりにも手札が悪すぎるだろう。

資本主義の中にありながら、定常化社会への順応と生存戦略をとっていくこと。
大きな流れに乗りながらも、その対立策についてはいつでも準備をしていくこと。
接続と切断の宙吊りな状態の中に自らを位置付けることが今日の世界に対する一つの態度であると考えている。

こういった二項対立されてしまうようなものの中に立って、人々の暮らしや社会にどんな変革が起きるかを思考していくのです。


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