sola puer

※前ブログより再掲載※

タイトルは、寂しい子供という意味。

今回は、パートナーのKさんのお話です。知っている範囲でのお話。

個人的解釈も有ります。犯罪や、会う時に対して正当化するわけでも擁護するつもりはありません。

一九九九年二月十四日生まれ、現在(令和二年十月六日)二十一歳の男性。血液型はAB。

三つ年の離れた姉がいる。

幼少期

厳格な父の下育ったそう。母は割と落ち着いているようなヒトだという。

しつけの一環なのか、それともアンガーマネジメント不慮なのか、酒をかけられたりし火をつけられそうになったり、目が開かなくなるくらいまで殴られ続けたり少し、いや本人が断言したのであえて書きますが虐待と言えることをよくされてきたそう。

母には、何か感情や思考に関係する病気があるはずだと言い続けられ父の“しつけ”には何も口出ししなかったそう。

現在の状態を客観的に見ても、母は父の言うことにしたがって過ごしていらっしゃるように見える。知らないけれど。

何故そこまで、父のしつけが酷かったのか?そして母が息子に病気持ちだと決めつけるような発言をしていたのか少しずつ分かることになる。

小学生から、学力が顕著に姉と落差が見えてわかる様に出てくる。

お姉さんはとても勉学にも励んで人柄もよく評判の良い“良い娘”だったのだ。

その弟のKくんはあまり勉学が得意でなく、スポーツなどに特化した遊び坊主だったらしい。対人関係も顕著に表れ学校に親御さんが呼び出される状況が続いたそう。

その、姉弟の差がだんだん開いていき、両親は次第に『要らない子、問題しか起こさない子、出来損ない』と否定するようになったそう。

中学生、隣の市在住の私ですら知っていた大阪全域でもトップクラスの治安の最悪な中学校に上がる。

入って数週間、出来損ない、問題児のレッテルを貼られているKくんは次第に世で言う不良、ヤンキーになってしまう。

酷くこびり付いた不良常識の上下関係、授業は受けない、毎日タイマンや喧嘩、夜遊び、窃盗、強盗、恐喝、暴行、傷害。

思春期の悩み、家庭環境、精神衛生すべてが壊れている齢十三~十五の男児は国の法律に裁かれる。

『元々要らない子だったし今更いい子ちゃんにはなれない、何をしてもまたどうせっていうレッテルを張られる。』

『人を殴っても、人を刺しても、人をだましても、人を悲しませても何も思わない。寂しくも悲しくももうない。』

という心理に陥ったそう。

所謂、少年の間の前歴は警察に認知されているものでも三十件近くに上ったそう。

こんな状況が続いた息子を見る家族はとても冷めきっている。

父は暴行をした息子に暴行。母は存在意義の否定。姉はその状況を美味しいと思ったのか『アンタが居なければ邪魔が居なかったのに。頼むから私の邪魔だけはしないで。』

家族に今もなお『問題を起こすことしかできない問題児、病気。要らない子、産みたくなかったのに。また次起こすのもあっという間。』と言われ続けている。

高校一年生になったとき、私の母校でもある高校に入学する。

休み続けると、退学か留年。単位は勿論ない。

毎日、半グレと関わる様になる。 次第に起こしてゆく問題が過激になってくる。

Kくんを主犯とした、大きな詐欺をした。

その方法というのが、かなり国の法律や大手企業の緩々なボーダーラインやルールの穴を突いた方法だった。

被害額おおよそ七百万円。 高校生の年齢の未成年者が稼げる金額ではない。それをたった一ヶ月かからないほどで手に入れたのだ。

その間、悪に染まっている思春期の心を動かしたものがある。それが音楽だった。

HIPHOPのラッパーに俺はなる。といってその世界に大切な地元の友達と足を踏み入れたのだ。

まずは地元のサイファーから始まった。その地域ではかなり大きなサイファーだったと思う。

二人から始まり、次第にだんだんと仲間が増えていく、夢が増えていく。

必死に毎日音に触れて、仲間の聲と想いがノッていった。

活動範囲がだんだんと大きくなっていき沢山の出逢いと沢山の場数を踏んでいた。

私も大好きなラッパーが所属している事務所にも入れた時、ふと自分自身を客観視したそう。

違法薬物、チープドラッグ、マリファナに手を染めていた自分自身が醜い、そしてそのツールが無いとリリックが書けない。

そんな自分やそんな仲間たちが嫌になったそう。

まずは薬物を辞めなければならない、でも一人だけでは辞める事は出来ない。

なら、音楽と仲間をも捨ててやる、燃え尽き症候群に見舞われていた。薬物を使用する根源、プッシャー、そのものすべてを絶った。

俺は、やるところまで楽しんだ。夢もあきらめるしかなかった。今度は、平凡に生きたいな。

その時に付き合った女の子がいる。

その子も家庭環境があまりよろしくなく、十七歳くらいから独り立ちしている子だった。

Kくんは家には居場所もない、音楽と仲間からは少しづつフェードアウトしているところだった。

その子の家に転がり込んで同棲がスタートすることになった。

実家の辛さ、楽さ、親の醜さ、親のやさしさ全部に触れられたと今も言い続けている。

どれだけ、彼女と不仲になろうが嫌いになろうが家には帰ることが出来ない、逃げれない状況が二年半つづいたそう。

その彼女もその時のKくんもすごいな、純粋に尊敬してしまう状況だった。

その彼女と別れることになって実家に帰るが、地元も離れ音楽の仲間とも離れたせいで楽しみも減りまたふつふつと自尊心の欠落と寂しさや反骨精神、沢山の純粋な気持ちが煮えたぐった。

元々とても寂しがり屋なところや自分を自分で慰められない質だったので、よく女遊びをしていた。

そこから今まで彼女が出来ても浮気を繰り返し、なんとかぺらぺらなモノで隙間を埋めていった。

恋愛経験もかなり重く、聞いていて心が重くなるくらいの話もある。

家族、学校の先生、警察、刑事、彼女、仲間、友達 すべての人々に裏切られ、認められず、諦められている存在。

この世に生を受けてから、何がだめで何が正解で漠然としたものばかりであまりわからない事多いけれど、パートナーの話を聞いているとなぜそこまでなんだろうと思うと私も共に問題児なのだとよく思う。

所謂“ビョウキ”なんだと思う。

パートナーは、今年の頭彼女と別れているのだが浮気されて別れていた。

元々バイクがとても大好きで走り屋をしていたのだが、そこで仲良くなった友達とほんの少し目の届かない瞬間に浮気されていた。

人に対して自分自身がしているときは理解することが出来なかったが、されたとき猛烈な喪失感と虚無感。悲しい気持ちが怒りや破壊心や殺意に変換。

でも、やっぱり寂しい。

自分はここまでしてきた、浮気も裏切ることも。なくすようなことばかりしてきた。そして認められなくなった。

誰からも、自分からも心らは無くなってきて。自分って何のために生きているのだろう。どれだけ優しくしてもそれだけいい子になっても結果こうなるのなら何もかも壊してしまえ。

浮気された、自尊心も何もかも無くなってしまった。

気付けば天井を見つめて終る日々が続いている、ご飯もお風呂にも入れない。勝手に頬は濡れるし、あんなに好きだったバイクもスケボーも乗りたくない。

ダーツだって友達と行けていないなあ。

そんな日々が続き、とうとう双極性障害と診断されすべてを終わらせてもいい覚悟で検問をしていた警察官を轢いた。

みんなみんな死んでしまえ、俺も死んでやる、要らないモノ。

その時家族はもう放置。姉は小中高の教員資格を取っており、小学教員になっていた。

余計に、国家公務員の邪魔をするなという圧力が酷かった。ハイスペックの姉とすべてを失った弟。

成人してからの初めての事故。そして事件に近しい事故。

死ぬことはおろか、バイクも何もかもを失った。残っているものももうない。

サミシイが初めから最後まで埋まった。

そんな姿を見た中学からの親友のMちゃん。私も仲良くさせて頂いている人だ。

心配と疑問と色々な感情があふれたんだろう、やせたKくんにご飯に無理やり誘いMちゃんの彼氏さんもダーツや遊びに無理やり誘い何とか鬱状況から脱却したという。

その時は本当に毎日が来ることが苦しいのに、鬱陶しいと思うほど無理やり外の世界に連れ出してくれて本当に救われた。と今でも言っている。

その時にまた新しく付き合った彼女がいる。

家は、医療従事者一家。本人は、動物病院の看護師。そしてKくんより年上の当時二十五歳の女性だった。

全てが次元の違う世界だと言っていた。

裕福な家庭、高層マンション所持、高級車で迎えが来て、結構我が強い方だったそう。

そして、年も年だったから付き合うのも結婚前提で付き合って欲しいと言われていた。

全身のタトゥーも消す約束をしていたそう。Kくん自身は結婚なんて考えたことがなかったらしく、いきなりのことでとりあえずええで。というスタンスだったそう。

やっぱり、自分自身のキャラクターやノリ、価値観の相違が酷くて別れに至ったらしい。

でも学ぶこともおおかったよとも言っていて、いい関係性だったんだろうなと想像できる。

その別れ話が出ている時には私と出逢った頃だった。

出逢って初日から、女遊びばかりをしていて性病放置と先天的のアレで中●しし放題~~みたいに軽いノリで言っていたので絶対この人には引っかからないでおこうと距離を置きまくっていた。

お酒もだんだん深くなっていき、病気の話や過去の恋愛事情など沢山話してくれた。

こんなに、振り切っていて無理でも空元気でも明るく振り待っているのはすぐに尊敬した。

付き合う前からも沢山話を聞いていたが、付き合ってからも兎に角沢山の話を聞いた。

家庭環境も恋愛事情も遍歴もすべて。前歴、前科に対する心情や何から何まで。

聞いてはいけないタブーな物として扱うのは簡単だが知らないといけない側面も実在する。

全てを理解してあげようなんておこがましい気持ちなんてさらさらない。というか出来ないし絶対して欲しくないだろう。

この人は必ず嘘はつかないし、出来ない約束はしない。ということは解ったそして素直で正直であるということ。

最初に言われて少し凹んだけれど嬉しい言葉がある。

『俺は期待通りの応えをあげられないよ。俺に期待しても無理だよ。』

それが一番正直な人だと思ったきっかけで好きの部分の一つである。

そんな人が、よく言ってくれる人がある。

お前とは一緒に居ても気を遣うことが無い。俺は一人の時間が無いと死ぬ生物なのにお前とはお前がおらんとソワソワする。』

『初めてだね。』

付き合って1ヶ月経ったか、絶たなかったころいきなりに『話したいことがあるし連れて行きたいとこがあるから。』と怖い顔をして言われたことがある。

連れていかれたところは、Kくんが思い出深いところだった。

そして話を聞くまでの間バクバクしていたことを思い出した。

ベンチに腰を掛けた時に『別れて欲しい』といわれ突然振られたのだ。

まあそれは別の記事に書いていると思うのでとりあえず切りますね。

幸せにする。一生傍に居てね。って簡単に言えるけれど、彼の言葉は辛くなるほど重い。

家族に愛し方や愛され方を教わってないのに、どうやって幸せに出来るの?

今まで、裏切られ続けて来たのにどうして一生なんて言えるの?

私には出来ないこと沢山してきた。

それの答えと言わんばかりの事をこの間言ってもらえた。

私は何もしていないのにな、なんて今もなお思って居るけれど報われた気がする。

共に過ごして思う。

未だに母親には、息子にはいろいろされた。被害を被った。どうにかして。と言われるし(未婚なのに)

父とはいまだに合わせてもらえないレベルの環境であり状況である。

寂しくてたまらなくて、悲しいや辛いを感じるといまだに怒りや破壊心に変わってしまう。

正直に寂しいと言えない自分に腹が立つと間接的に伝えてきてくれているのも知っている。それはそれで成長じゃないかと思える。

離れないで欲しい、愛してほしい、寂しいなんて私ですら変なプライドや性が邪魔して言いにくい。というか言えない。

それをしっかり自分の口から、相手に伝えられるようになっているのが私には到底まだ出来るとは言い難いことだと思う。

ヒトより、寂しい事しか知らず

ヒトより、寂しくなることを招き

ヒトより、寂しくなることをされ

ヒトより、悲しかな綺麗な心を持っている

ヒトを信じる気持ちや、人を思いやる気持ちは一人じゃできないことを彼を見て知ったし本音を言うと彼のような人生を歩んでいたらあの人のように更生心なんて出てきていなかったと思う。

もう少し、自分のことを知って労わって欲しいのが本音ではある。だからこそアンガーマネジメントが苦手なんだと思う。

でも、一人の時にちゃんと自分のことを知ろうと思って診療しに行ったのは凄いと思った。

Kくんを見ていて本当に想う。

自分なら、この人のことを知り切れる。自分なら、この人を誰より安心させてあげられる。自分なら、心底愛してあげられる。

自分なら、教えられる。自分なら、大丈夫って思わせてもらえられた。

だから、期待しても信じてみてもいいよ。って思えますね。

今までの人生までも美しく見えちゃうくらいに、残りの人生謳歌させてもらいたいししてほしいなとおもいます。


なんか恥ずかしいですね。普段本人に言えないことばかりを並べているので、それを読み返した自分自身でもきついものがあります。

面白いですね。

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