僕の人生は読書と共にあり【自己紹介】
はじめに
今、僕は大学4年生である。
僕は多分、日本の全人口の3%に入るくらいの読書好きであると自負している。
それ以外に自慢できることがないから許して欲しい。
突然、僕の今までの読書遍歴をnoteに書きたくなった。誰に頼まれた訳でもなく、自分の意思で書こうと思ったのだ。
試しに今まで読んできた本を頭の中でバーっと並べるとこれまでの僕の思考の変遷が如実に現れてちょっと怖くなった。
そう、僕の人生は古今東西,多種多様なジャンルの本によって形成されてきたのだ。
最初は読書遍歴だけを書こうと思っていたが、それを語るということは僕の人生を語ることとほぼ同義だという事に気づいたので、
もし何の取り柄もない、ただの読書好きの根暗くんの人生を覗いてみたいという物好き人がいたらちょっとだけ僕に付き合ってほしい。
紹介する本は面白いからさ。頼むよ。
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小学校2年
の時だったと思う。学校の宿題で読書感想文を書かなくてはいけなかった僕は母親と一緒に家の近くにある書店に本を買いに行った。その時に初めて自分の意思で買った小説が「獣医ドリトル」という漫画の小説版である。
今でもあの本を読んだ時の興奮を覚えている。もう15年くらい前のことなのに。
その日のうちに買って、日を跨いで深夜2時くらいに読み終わった。
当時字ばっかりの本を読んだことが無いおチビにしては、すごい読書スピードだったと思う。
それくらい僕は潜在的に読書が好きだったんだんだろうな。
これがボクの読書遍歴のスタートだ。
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小学3年生
のとき、僕は母親に渡された星新一の「きまぐれロボット」を読んだ。ショートショートで物語がバンバン進んで、それぞれ気の利いたオチがついてくるあのテンポの良さにハマった。
その小気味よさを例えるなら「小説版ドラえもん」とでも言おうか。そんな雰囲気に惹かれて星新一の本をバンバン読み漁った。「ボッコちゃん」とか「エヌ氏の遊園地」とか。
小学4年から5〜6年生
の時は、雑多なサスペンス小説やなぜか周りの子が図書館でブラック・ジャックの漫画を見ているときに、「研修医のストーリーとか外科医の苦悩がうんぬん……」みたいな小説を読んでいた。
何かの拍子に友達から「○○くんの読む本はセンスがいいよな!」と言われたのがなんとなく嬉しかったのを覚えている。
当時それに触発されて将来は獣医か外科医になろうと思っていた。しかし、当時算数のテストで0点を頻繁に取っていた僕がその夢を叶えることはとうとう無かった。
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中学生
の頃、僕は浅井リョウの小説や松井秀喜、イチローの名言集みたいなのを好んで読んでいた。可愛いね。まだまだキラキラの夢を持った青二歳のチビである。
その他にはホリエモンや青木雄二の本を読んでいた気がする。何でホリエモンと青木雄二という謎のチョイスだったのかは覚えてない。中学生ながらにお金の流れに興味があったんだと思う。だったら他にもなんかあるだろ。
教室のハジっこでホリエモンの「ゼロ」を読んでいたとき、当時クラスメイトにバカにされて本をふざけて「やーい」と取り上げられていたのを思い出す。
彼らはホリエモンとドラえもんの区別がついていなかった。
卒業シーズン、中学生の時にせっかくできたたくさんの友達がいたのに、「俺は誰も知らない高校で自分を高めたい」と謎の向上心を発揮して、学区からわざわざ遠い公立高校を受けて見事に落ちた。
素直に自分の学力に合わせてみんなが行く近い公立高校に行けばよかったのに。そしてすべり止めのバカ高校に行った。何という親不孝モノであろうか、このバカは。
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高校生
この頃から徐々に歯車が狂い始める。
憂鬱なスタートで完全にひねくれた僕は、高校1年生のころに初めて太宰治の「人間失格」を読んで衝撃を受けた。高校デビューは「読書好きのイケメン☆クールキャラ」という設定で行こうと思って、あえて教室の端で太宰の小説を読んでいたが、
肝心のイケメン要素が抜け落ちていたのでただの「小説好きで、たまに教室の隅でニヤニヤしている変わったメガネくん」という扱いを受ける事になる。無論彼女はおろか友達もできない。最悪の高校デビューである。
それでも高校生の内は太宰をずっと読んでいた。「富嶽百景」とか「ヴィヨンの妻」とか「斜陽」とか。
現代文の時間、読書オタクのクソ根暗メガネだった僕は周りが「走れメロス」の考察をしてる時に1人でそいつらをバカにして机の下でこっそり「晩年」を読んでいた。今思えば相当嫌なヤツである。
いわゆる青少年特有の難病である「太宰かぶれ」発症の時期到来だ。当然友達の1人もできなかった僕はずっと隠れて本を読んでいた。
昼メシを教室の中で、みんなが和気藹々食べてる中で1人で食うのキッツイんですよ。経験ない人の方が多いと思うけど。
便所メシもちょっと考えたけど、正直それは精神的にキツすぎるなぁと思って1時間目と2時間目の終わりに早弁をして図書館に行くというサイクルの生活をしていた。
いじめられていた訳ではないし、完全にキャラ設定をミスった自分が全て悪いのだが、この時期のことは今でも思い出したくない。
この頃にドストエフスキーとか読んでたらきっとハマっていたと思う。とにかく「絶望を感じてシニカルに振る舞う」のが好きな相当痛い奴だったと今振り返って感じる。ちょっと遅れてやって来たタチの悪い中二病に僕は苦しめられた。
高校2,3年生の時は、自分が経験しないであろう華々しい学園モノや青春モノの小説をよく読んでいた覚えがある。全然シニカルじゃないやん。ただのルサンチマンやん。
要するに僕はとにかく彼女が欲しかった。だから、その解消できない欲望を電脳世界に求めた。部活終わりは家に直行して、メモリーズ・オフとかのギャルゲーをしていた。
たしか夏目漱石の「こころ」と「草枕」をブックオフで買ったのもこの頃だったと思う。当初は「何か起伏が無くてつまんない小説だなぁ。おもん無いから太宰読むか!」と感じたことを今でも鮮明に覚えている。
結局高校時代、僕に彼女はできなかった。
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大学生
高校時代は割と勉強をがんばった。しかしめちゃくちゃ要領の悪くて肝心なところで怠惰な僕はどんなにがんばっても成績が上がらず、結局大学には1年浪人して入った。
しかし、ここで転機が起こる。大学生になってからなんと奇跡的に初めて彼女ができた。その流れで初体験もした。
当時薬局でゴムを買うのが恥ずかしかったが、今では普通に買える。高校の時の暗黒時代と比べてとんでもない進歩である。自分を褒めてやりたい。
今、かつてこじらせ童貞だった僕が、まだ見ぬ童貞諸君にアドバイスをしておきたい。
ゴムの装着方法はちゃんとリハーサルしておこう。終わってから「やべぇ、漏れてた」とかなってもシャレにならんのだ。めんどくさいかもしれんが、それは男の責任であるから、ちゃんと勉強しとくことをオススメする。
僕は結構焦った。
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そして大学に入って「根暗に振る舞うことがかっこいいことでも何でもなく、ただただ周りに迷惑をかけている」ことにようやく気付いた。
この頃からめくるめく「初体験」の連続で自信をつけた僕は、いろんな人と普通に話せるようになったし、角張りが取れて来たように思える。
そうなると、まだるっこしい青春小説を読むのがやけにバカバカしく、億劫になってきて、ショーペンハウアーやゲーテ、森鴎外など人生の本質に迫るような哲学書とか小説を読むようになった。
それで辞めておけばいいものの、荘子や老子、サルトルなど古今東西の思想を取り込んで僕の頭はめちゃくちゃになっていた。
読書に取り憑かれたとでも言おうか。僕は講義をサボって哲学書や小説ばかり読んでいた。成績はギリギリだったし、バイトもほぼしてなかった。
この頃、聖書を読み始めた。「イエス・キリストってすげえな!バンザイ!」と思ったり、宗教改革の発起人であるマルティン・ルターの本を読むようになる。(キリスト者の自由とか)
がしかし、マックス・ヴェーバーやニーチェの著作を読むようになり、「やっぱ神様は居ないんかな…」とか思い始めたのもこの頃である(プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神とか、善悪の彼岸とか。)
突然の別れ
ちょうどこの頃、初体験の相手である
3年間付き合った彼女にスコーンっと振られた。要するに冷めたらしい。
僕は自分から彼女を突き放して本ばっかり読んでいたくせに、別れの間際になって泣き言を言っていた。彼女もさすがに引いていただろう。
僕は高校時代から何も変わらないどうしようもない男であった。
マジ無理……リ○カしょ…
それをきっかけに、色々精神的に不安定になって死にたくなってきたり、就活をしていく中で自己啓発本すらも読むのもしんどくなってきたのもこの頃である。
でも、就活自体は割と簡単に終わった。以前たまたま読んでいた「孫子の兵法」に書いていたワザを使ったり、今まで読んできた哲学書の受け売りみたいな事をぺらぺらと喋ったら受かった。
初めて読書が人生で役立った瞬間である。こうして就活はふつーに終わった。
しかし、就活を通してすっかり視野が狭くなってしまった僕はこの頃、落合陽一の本を好んで見ていた。なんか世界をいつもより広く見れる感じがして、ちょっとだけ嬉しかった。
いま現在
状態:何とか楽しく生きている。彼女はいない。毎日昼食はレトルトカレーを食べてる。
就活もなんとか終わってかろうじて大学4年になった僕はいま現在、夏目漱石の本を好んで読んでいる。高校の時「平坦で面白くない」という感想を抱いた夏目漱石の小説をあえていま読んでいるのだ。不思議なものである。
しかし、理由はもう自分の中で分かっている。漱石の「しっとりと体に染みる」平坦な文体が妙に色々考え過ぎて疲れた体にスッと入ってくるのだ。
漱石自身も「草枕」で言及してるが、感情のジェットコースターみたいな人生を送ってると、「わざわざ感情を動かす本を読むのが疲れる」という事に気付いた。みんなもそういうことあると思う。
つまり、漱石のいい感じの「中庸加減」が今の僕に合うのだろう。
僕の人生は今のところそんな感じです。
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なんかもうこうやって考えるのも、こうやって読書遍歴を書くのも疲れた。
そもそも僕の読書遍歴と人生エピソードなんて誰も求めてないのに何で書いてるんだろう。本質的に僕は中二病で目立ちたがり屋なのだ。許してほしい。
しっかし、これから僕はどのような本と人生を共にするのか。爺さんになったら歴史小説とか好きになるんかな。
あと、こんな絶望的な僕でもなんやかんや生きてるので多分これを読んでるみなさんもだいじょぶだと思うよ。
今でもぼくは勉強は絶望的にできないし、人付き合いは苦手だ。な〜んにもできないけど割と人生幸せだ。
なんかあってもその都度、本が僕をさりげなく助けてくれた。あなたにも「僕にとっての本」みたいな存在がきっとあるはず。
無いなら無いでお菓子とかラーメン食べればいいと思う。
とにかくやっぱ死ぬのは良くないよ。ショーペンハウアーもそう言ってるしさ。
何が良くなくて、何が良いのかは未だに分かんないけど。
とりあえず、ここまで見てくれてありがとう。
これからも僕はギリギリがんばるから、ここまで見てくれた君も僕と一緒にがんばって生きようぜ。
おわり
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