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教科書英語とネイティブ英語

こんにちは。ふぅーです。
今回は、「教科書英語とネイティブ英語」という話題について自分が考えた事、留学で感じた事を述べていきます。

まず教科書英語とは、学校の教科書で学んできた英語の事を指します。現地やネイティブの人達から学んだ英語はここでは含めずに書いていきます。




・何故私がこのような話題を考えようとしているのか

現在、英語学習、学校での英語必須は、小学校からとされています。それぞれの学校での取り組み方は異なるかもしれませんが、ネットによると、小学校三年生以上から必修化とされています。私の頃は、小学校では英語は必修化ではなく、外国語活動といった楽しみながら単語や英語に触れるという時間で本格的な英文法を学校という教育機関で学び始めたのは中学生からでした。ただ、私は、小学六年生の時から中学三年生まで、公文という塾で早めに英語を勉強し始め、それがきっかけで英語をもっともっと学びたいという気持ちがずっと続き、大学でも英語を専攻しています。私は英語を、塾や学校での英語学習を含め、約8~9年学び続けています。しかし、アメリカ留学に行った際に、全くではないけれどほぼ話せられなくて、聞き取ることも容易ではありませんでした。長く英語を学習しているからと言って、物凄く英語が上達しているわけではありませんでした(私個人の話ですが)。今まで学校で学んできた教科書英語は、現地の人達からは、教科書英語と認知されていたし、ネイティブや現地の人達と実際に話してみるとニュアンスが異なったりしていて、良い違和感を感じたからです。その違和感について考えた事を述べていきます。


・良い違和感

私は教科書英語が全てだと思っていました。でも、実際アメリカの人達と話したり様々な英語を教えてもらったりした時、その英語は教科書で学んだニュアンスのものと全く異なっていました。私はそのように感じました。例えば、スラング英語や、I'm going toの使い方や、Thank youの使い方などです。スラング英語は、学校等で殆ど習った経験が無かったもので、外国人の知人から教わりました。Fireという単語。名詞では「炎」という意味。形容詞で使うとスラングになり得るそうで、This song is fire!で「この歌はとてもアツい(燃える曲だ)ね。」の様な意味になるみたいです。
また、留学前は、私は英語の勉強を、英検の為にとか、TOEICの為にとかで、主に試験の為にという感覚で学習を進めていて、英語を話せるようにするための勉強方法は殆どやっていませんでした。そのため、実際アメリカに行って、現地の人と話した時に、これらの試験の英語はほんの少し役に立つのだろうけれど、私はあまりTOEICの英語は日常英会話と違うなと、感じました。日常英会話の英語は、気持ちや感覚で学んだり聞いたりしていて、直訳すると、(直訳から理解していくのもアリ)大体意味が異なったり可笑しくなったりすると私は思っているので、理解する時には気持ち等で理解しようと心掛けています。逆に英文法やTOEICの学習では、直訳すると日本語で理解できて、頭に入りやすく理解しやすいといったメリットがありますが、私はこの2つの勉強法の違い、または実際に英語を話した時の感覚の違いに違和感や困難さを感じます。


・学校の英語教育はこれからどうすべきなのか

英語を学ぶ場というのは、学校だけではなく、英語系のYouTubeや海外ドラマ、外国人が集まる有名な観光場所など様々な場所が多くあります。
私はこれまで英語を学校や塾で学んできて、先程も述べたように教科書英語が全てだと思っていた人間です。学校で塾で長く勉強してきたから英語話せられる!って思って期待していました(ほんの少しは話せられるけれど)。でも、殆ど話すこと、聞き取ることも出来なくて、他人のせいにしたらアカンけど、今までの学校の英語学習は何だったんだろう?て愕然と感じました。学校の英語教育の方針は何なんだろうって思いました。
文部科学省のサイトより、
「英語を使って何が出来るようになるか」という点から教育目標を立てる、また4技能(リスニング、リーディング、ライティング、スピーキング)を積極的に使えるようになる英語力を身に付けること、といった目標が記されていました。
私が学校でこれまで受けてきた授業は、英語を日本語に、日本語を英語にして理解していく授業だったり、スピーキングの授業があったとしても恥ずかしい気持ちを抱えながら棒読みで英語を音読したりなどの授業でした。本当にこの様な授業が英語を話せる力に繋がるのか、私は不安と疑問でいっぱいです。
その文部科学省の掲げる目標通りに英語が身に付けられる可能性は、学校次第かもしれないし、最悪自分の学習次第になるかもしれない。
私は大学で英文科の道に居て、その中でも英語教育の方面を進む感じなので、こう言った事を恐らく、大学三年生以降、学んだり考えていったりしそうだなと頭の片隅でそう感じました。


・英語⇄日本語? 英語⇄英語

英語を英語で理解する事って、素敵だと私は感じるし面白いです。ただ、理解するのに多少時間がかかります(個人差あり)。英語を日本語に、日本語を英語にして理解する事って、頭に入り易く考えやすいのでやりやすい学習方法だと思います。しかし、同じ意味の英単語や英文法でも使い方や意味合いが異なる時は英語を英語で理解するの方が改めて分かるという事があります。また、日本語での理解だと、明確ではないですが、日本人の観点から見たこの英文法の使い方、意味合い、この日常英会話についてなど、良い悪いなどが決めつけられているような感覚になる時があります。英語を日本語で理解することは全く悪いわけではありません。ただ、やりにくい時があったり、難しい時があったりするだけだと思います。



この様なテーマについて考えられたのは、留学に行ったからこそ出来たと私は思い、これからの英語に対する私の目標や英語との向き合い方について一層深く新しく考えるきっかけになりました。
正直、どういう勉強方法が良いのか悪いのかは分かりませんし、この様に述べた事は私の英語に対する1つの意見でしかないので、参考になるかは分かりません。ただ言えるのは、英語を話せられるようにするならば、英語を話す機会というのを自分自身で見つけ増やし、積極的に話す練習をする事です。毎日話さなくても独り言のように英語を話してみたり、日本語の文を英語にしてみたりなど工夫は出来ます。口に出す、話すという事が最もコミュニケーションの力にはなると思います。英語=勉強と捉えるよりも、「英語=コミュニケーション」と捉えると英語の学習が進むと私は思います。


私が留学してから悩んでいた英語について、頭の中にあるモヤモヤとした事を何とか言葉にして述べたつもりですが、意味不明になっていたら、すみません。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。


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