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教えることで、教わったことが理解できる / 「OUT SCHOOL 2023」と成果展「漂流のゆらめき」に寄せて

今年の6月から7月中旬まで開催された株式会社A-TOM主催の「OUT SCHOOL 2023」において、富山側の講師と成果展のキュレーションを務めた感想をまとめたいと思います。

OUT SCHOOLとは1ヶ月の実践型美術講座であり、最大の特徴は、参加者が作品を制作して展示発表まで行うことでしょう。

東京側の成果展の写真①

美術家やキュレーター、評論家といった美術に関わる講師(例:名和晃平さん、大巻伸嗣さん、やんツーさん、長谷川裕子さんら)の指導のもと、受講者が自らのアイデンティティや社会への眼差しについて考察し、美術作品の制作を行っていきます。

東京側の成果展の写真②
東京側の成果展の写真③

1ヶ月でここまで仕上げてくるって本当にすごいですよね。0からですよ。

自分は縁あって、今年度から東京との二拠点開催となった富山側の講師を担当することになりました。富山側の参加者は高校2年生と、20代の大学院生や社会人が3名、40代の経営者が3名の計7名でスタートしました。

講義は全9回あり、内容としては大学院レベルだったと思います。正直、現代アートにこれまで全く触れてこなかった人にとっては、かなり酷な作業だったでしょう。アートに持っていたイメージなど(良い意味で)ぶっ壊されますからね。

しかし、最終的に全員が作品をつくり、設置すべき空間と向き合い、展示を開催するまでに至りました。

富山側の成果展「漂流のゆらめき」の写真①

先述のアルフレッド・ジャーのトークイベントのレポートではないですが、やはり現代美術において重要なのは「考えること」であるため、自らの性格や出自、現在の興味関心を理​​解するためにまず思考します。富山側の参加者はほぼ全員がはじめからある程度自分の持っている武器や関心ごとが明確であったため、制作の動き出しが早かったと感じます。

講師として具体的にやったことなど

自分が講師として具体的にやったことは、

・個別に参考になるかもしれないアーティストの事例を共有
・雑談の機会を作ること

でした。

それだけかよ!!!と言われそうですが、あくまで講座や講評はゲストアーティストがやってるので出しゃばってこれ以上混乱させるわけにもいかず、あくまで補佐的な立ち回り。

手が止まって悩んでいる時も、壁打ち相手として話を聞いたり質問を投げかけることで、回答を自らの口から語る、みたいなことはよくあります。自分の思想を押し付けるのではなく、自発的に制作動機を生み出すことを意識したつもりです。最終的には、受講者同士でディスカッションをしていたのが印象的。

あとは、1ヶ月はとても短いので、どこまで口出しすべきか、そしてどのような言葉を使用するか、ひとつひとつ慎重に吟味する経験は非常に勉強になりました。

教えることで、教えられたことが理解できたりする

これは完全に講師をやった自分側の話ですが。客観的に指導する中で、自分が過去に教授や他のアーティストから言われたことを何度も反芻するシーンが何度もありました。スラムダンクの山王戦で、魚住が赤木に「そのデカイ体はそのためにあるんだっ!!」と言いながら自分の恩師である田岡監督とオーバーラップしてるシーンですね。

ちなみに最もリフレインしたのは2年前に映像作家の森弘治さんやキュレーターの小澤慶介さんに言われた「Aestheticをまず捨てる」という言葉です。

「綺麗に見せよう」とか「自分はここがカッコいいと思う」といった造形意識が前に出てしまうのは美術家の逃れられないクセであり、そうした感覚的なエラーに惑わされず、社会に対する問題意識やコンセプトを先にちゃんと持っていれば、Aestheticは後から付いてくるし、鑑賞者が見つけてくれると。受講者もはじめは「なんとなくカッコいいと思うから」という理由で完成か否かをジャッジしていてましたが、講評を重ねた結果、コンセプトと必然性に基づいた造形に仕上がっていったと感じます。

富山側の成果展「漂流のゆらめき」の写真②

あとはこの辺の言われた言葉もよく考えていたなぁ。

あとはスザンヌ・レイシーの「あなたの作品で誰に語りたいか」の意味もなんとなく(前よりかは)理解し始めているつもりです。

Q.若い世代へのアーティストへのアドバイスはありますか?

A.いつも私が彼らに問うのは誰かに語りたいかということです。誰が観客なのか。そしてあなたはどこにいると想定されるのか。そう言うと彼らはいつもこう答えます。

「全員です あらゆる人に観客になってほしい」

「生きていくための金を稼ぎたい」

「アート雑誌に載りたい」

それはどのような観客についてなにも言っておらず、これでは白人の上流・中流階級の女性か男性、まあ多くの場合は男性でしょうが、そうした人たち以外の観客については何も語っていないのです。

これではメキシコ人移民に届けたいかどうかはわかりませんし、影響を与えたいのが暴力を経験している女性かどうかもわかりません。なので観客についての考えを洗練させていく中で、ひとりの観客ではなく多様な観客に向けて作品を作っていくのです。

森美術館に作品を置くことで日本のある一定層の人びとが見に来るだろうことは明らかです。私は日本のアートワールドの共同体や、おそらくもっと広い共同体に向けて発表することになるでしょう。あなた方は有名な美術館ですからね。でも一方で、貧しい人びとや福島で生活を再建しようとしてる人びとには届かないだろうことも知っています。

なのでとても大事なのは誰に語りかけているのか、何を希望しているのかをアイデアの交換の中で明確化するのがとても大事なのです。

展覧会のキュレーションとこれからについて

展示タイトルや構成など自分がはじめてキュレーションを担当しました。

富山側の成果展のタイトルである「漂流のゆらめき」は、海や漂流物をテーマにした「漂流」という作品があったこと。

そして受講生全員に共通して、1ヶ月を通して定型と不定形のあいだを揺れ動きながらもここから変わろうとする強い意思を感じたことから名づけました。(※ちなみに自分も研究テーマは「漂流」だったりします。偶然です。)

このスクールを通して作家として活動していく人がいるのか分かりませんが、これからも人生を彷徨っていく中で、1ヶ月間で身につけた思考法によって世界の捉え方が変容している(いく)ことを期待します。

僕自身、大いに勉強になる1ヶ月でした。このようなキッカケをくれた株式会社アトムに大いに感謝です!! A-TOM ART AWARDからのソノアイダでの滞在制作からの繋がりですからね。

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