見出し画像

葬式とお寿司の関係について

 葬儀では、お寿司の出番が意外と多い。
 特に助六寿司に至っては、ほぼ定番といっても過言ではない。

 実際に、葬儀の打ち合わせで料理関係を決める時、通夜振舞いは必ずと言っていいほどお寿司とオードブルの盛り合わせが定番メニューだった。コロナ渦以前は、そこにビールや清酒といったお酒、ウーロン茶やジュースを加えて飲み食いしていたものだった。
 コロナ渦になってからは、通夜振舞いは原則として無くなり、助六のパックを持ち帰っていただくことがほとんどになった。お酒が売れなくなってしまったため、売上としてはかなり痛いところだった。

 そんな葬儀とは切っても切れない関係にある、お寿司。
 葬儀とお寿司について、語っていきたいと思う。


定番は助六寿司だが、握りもある

 葬儀のお寿司といえば、助六寿司。
 これが全国的に定番になっていることは、間違いないだろう。
 どうして葬儀では助六寿司が出るのか、気になったことがある人も多いのではないだろうか?

 それには諸説あるが、最も有名で有力な説に「殺生をしないで作られたお寿司だから」というものがある。

 助六寿司の内容は、巻き寿司と稲荷寿司だ。
 そして巻き寿司のネタとしては、かんぴょう、玉子、キュウリ、椎茸などを使っていた(ネタについては、地方差もある)。
 助六寿司を構成している、巻き寿司と稲荷寿司。
 この2種類の寿司は、共に魚介類を使用していない。使用しているのは、全て植物性のものばかりである。
 そのため、仏教の戒律に接触しないため、殺生をタブーとする葬儀の場面において重宝されるようになったという説がある。

 僕も以前、親戚の葬儀に参列した時に、嫌というほど助六寿司ばかりを食べた記憶がある。最初は美味しい美味しいと食べていたが、最後には飽きてしまい「また助六……」と思ったものだった。

 しかし現在では、そうした「助六縛り」ともいえる現象は薄れてきた。

 時代の変化なのかは分からないが、現在は握り寿司も普通に通夜振舞いや精進落としの席で出される。握り寿司のネタも、マグロにイカといった定番のものが多く使われている。
 依頼してくる喪主も「助六ばかりなのは、ちょっとねぇ……」ということで、握り寿司を所望することも多々あった。

 僕は打ち合わせで「握り寿司はなるべく当日中にお召し上がりください。助六寿司でしたら、明日の朝まではギリギリ大丈夫かと思われます。しかし、絶対とは言い切れませんので、ご留意ください」と食中毒などの注意をそれとなく行っていた。
 実際に助六寿司であれば、明日の朝までは大丈夫なことが多い。もちろん、温度などによって状態は変化するため、実際に食する時は自己責任ということだった。

 なお、これらの通夜振舞いや精進落としで出されるお寿司は、僕が働いていた葬儀社では、ほとんどが外注業者(地域のお寿司屋さん)が納めていた。
 調理部門で作ることは無く、お寿司は専門的な技術が必要な事や、地域と良好な関係を築いたりするために、地域のお寿司屋さんに依頼していた。また、お寿司屋さんの握ったお寿司のほうが、遺族や親族、参列した地域の人から「美味しい」と評判だった。
 まさに、餅は餅屋なのだ。


お寺にも助六を出す

 そして葬儀で助六寿司を食べるのは、遺族や親族、地域の人だけではない。
 意外に思うかもしれないが、寺院も助六寿司を食べることがあるのだ。

 最も、これは全てのお寺さんが食べるというわけではない。
 僕が働いていた葬儀社がカバーしていた地域のうち、特定の地域の特定の宗派だけが、助六寿司を出すよう要望していたのだ。
 その助六寿司の代金は、なんと喪家が葬儀代金と共に支払っていた。

「お寺によっては、その日その1件だけというわけではなく、別の式場で葬儀を行うこともある。また、役僧として手伝いで呼ばれていることもある。だからお昼ご飯を食べる時間がないこともある。昼頃に行われる葬儀では、食べる食べないにかかわらず、どうか助六寿司を僧侶の人数分用意していただきたい。喪家さんにその旨、よろしく伝えてほしい」

 これが、お寺さんから助六寿司を出してほしいという要望の理由だった。
 最初に知った時は驚いたが、お寺さんの理由を聞くと、納得できる部分があるのも確かだった。
 葬儀社は1つだけではなく、複数社ある。別の葬儀社の式場で葬儀が行われる予定があり、そちらでも葬儀を行ったり、役僧として手伝いに呼ばれていれば、スケジュール的に食事をする時間が取れないことも出てくる。そしてそれが分かるのは、お寺さんだけだ。

 この要望があって以降、僕や先輩方の担当者は、打ち合わせで「この地域のこの宗派の時だけは、助六寿司を寺院の数だけ用意する」ことを喪家に伝えなければならなかった。田舎でお寺さんの影響力がまだまだ強いことも幸いして、ちゃんと伝えておけば、理解をいただけることがほとんどだった。

 なおほとんどのお寺さんは、寺院控室で食べることは無く、持ち帰っていたようであった(寺院控室の清掃でほぼ分かる)。


助六を要望したお寺からのさらなる要望

 特定の地域の特定の宗派で、助六寿司を出すようになってから2年くらいした時である。

 最初に「助六寿司を出してほしい」とお願いした寺院から、さらなる要望が葬儀社に伝えられたのだ。

「助六寿司を出してくれるのはありがたいんだけど、できればインスタントのものでいいから、吸い物のような汁物も出してほしい。他の葬儀社では、実際に出しているから、お宅もそうしてくれないか?」

 この要望は、僕と仲の良かった上司にお寺さんから直接電話で伝えられていた。
 それを上司経由で知った時、僕は思わずこんなことを言ってしまった。

「それは知らなかったですね。我々は葬儀社ではなくて、お寺さんの喫茶店をやっていたなんて」

 こんな皮肉を、お寺さん本人の目の前ではないとはいえ、口に出してしまった。
 厄介なお寺として有名だった寺院だが、ここまでとは思いもしなかった。

 あんたら寺院のお布施と食事代、誰が負担していると思っているんだ?
 あんたらの檀家であり葬儀を依頼してきた、喪家なんだぞ?
 葬儀社が依頼しているわけじゃないんだぞ?
 どこまで図に乗っているんだ?
 そんなだから、檀家がどんどんいなくなっているんじゃないのか?

 僕はそんな思いが、しばらく頭の中から消えなかった。
 今でも助六寿司を見ると、たまにこの出来事を思い出す。僕が退職するまでの間に、寺院用の助六寿司に汁物がつくことは無かったが、今はどうなっているのだろう?

 あのお寺さんが、少しはその傲慢な態度を改めていることを、願うばかりである。


 それではっ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?