見出し画像

日記/2024.6.11【運転のやめ時】

今日の出来事。

私の母は70代後半。
今日の午前中電話がかかってきて「いろいろ考えたんだけど、車の免許を返納しようかと思って」と話し始めたんです。

運転中に何かがあったとき、とっさに動けない気がする。それで事故を起こしてしまったらと考えたら運転するのが怖くなってしまった。
車がなくなっても自分はバスやタクシーがあるから困らないけど、結局あなた(娘の私)にいろいろお願いすることが増えるから、迷惑かけちゃうのが気がかりで・・・と。

会話の中で何度も「迷惑をかけてしまう」を繰り返す。


3ヶ月前、母の車が壊れてそのまま廃車となってしまった。
私は実家の近くに住んでいるし、仕事も時間の調整がつきやすいということもあって、両親の病院や買い物に一緒に行くようになっていた。
私が買い物に出かけたときは、母に「買い物に来てるからついでに何か買っていこうか?」と電話をするようにもなった。

それは決して面倒なことではなく、迷惑とも感じていない。
むしろ、これまで沢山沢山数えきれないほど両親には助けてもらっていたから(恥ずかしながら今もです)、私は両親のために動きたいと思っている。

ただ、自分の予定をキャンセルしてまで両親のことを優先することはしない(緊急時は別)無理はしないということは一つの線引きとして持っている。
この線引きは、両親に自分たちのせいで私が無理をしているって感じて欲しくない、罪悪感を持たないで欲しいということと、私自身がしんどく感じる程頑張りすぎないためのものです。

母には「私は全然迷惑だと思っていないから、自分(母)が安心できる方を選んでね」と伝えた。
母は運転するのを止めることを決めた。


父が車の免許証を返納したのは、病気をして車の運転はもうできなくなってしまってから結構経ってからだった。
左腕はもう動かせず左足も自由に動かせなくなり、誰が見ても運転できないのはわかっていた。でも、父本人は「いつか運転できるようになる、なって欲しい」と思っていたんだと思う。
免許証を返納するということは、そのわずかな希望を諦めてしまうことになる。それでなかなか返納する気にならなかったんじゃないかと、私は勝手に想像する。

わざわざ免許証を返納しに行かなくても、更新しなければいいのでは?と思ったんだけど、父は返納することを選んだ。
父なりのケジメだったんだろう。でも少し寂しそうな表情をしてたな。

年齢を重ねていき、車の運転を止める決心をする時が来る。
父は身体が不自由になったからやむを得ずだった。
母は運転することが不安に感じるようになったから。
私はどんな時に車の運転をやめる決心をするんだろう?とふと考えた。
でも、車がないと不便なんだよなぁ(私はバスが苦手)・・・

車を運転することを手放した二人には、幸せを感じられる何かが訪れて欲しいと切に願う。


今日もお疲れさまでした。良い夢見てね!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?