大河ドラマ「どうする家康」第28回『本能寺の変』の感想文

  その日に先週(27回)の見逃し配信を見て、近江八幡で行われた岡田くんが登壇したトークショーを見て、それでBSの早番は見ないで総合テレビの『本能寺の変』に臨んだ。
 Twitterに大河アカウント持ってるくせに毎週きっちり見ることができず、26話の家康覚醒回(らしい)は見逃したままだ。でも28話は見ることにする。リアルタイムで見たかったから。
 今までのこのドラマの流れからいって、これまで観てきた「本能寺の変」とは、明らかに一線を画すであろう事を期待したのだ。
 前置きが長くなった。
 26話を観ていないのが惜しまれるが、明智光秀はどうやら信長の超最側近の一人におさまっているようだ。
 信長を討ち取る決意を側近にだけ伝えている家康は、彼がたった百人の手勢だけで赴く京都の本能寺をその地と決める。忍び達もいたるところに張り付けて準備万端だ。
 でもまだ迷っている家康。家臣のなかでは、若者達はイケイケだけど古参の者たちは慎重な意見を持っている。
 本能寺の変というのは、大河見てる人たちには(そうでなくても歴史好きなら)超有名な事件。だから冒頭からいきなり寺が火に燃えてても別に驚かない。本能寺が焼け落ちることはみんな知っているから。
 で、6月2日からドラマはいきなり5月29日に戻る。(このドラマ、こういう倒叙形式が多いよね)家康は堺に行って、そこの有力者達と親交を深めている。
 一方京の安土城では、27話で「俺を殺して俺に代わるか」という「種」を蒔いてた信長。家康は、一見早素直にも、信長に招かれた壮麗な安土城で出された淀の鯉の刺し身を食べようとして躊躇する。で、くさみがあるのかないのかって話になって(こんなことが)この宴を全セッティングした光秀のしくじりになってしまっている。
 光秀は任を解かれて、秀吉の軍に合流させられる予定。
 そして6月1日がやってきた。家康は信長を討ち取るかやめるか迷いに迷う。一晩考えても挙兵の指示を出せない。朝になって、居並ぶ側近たちに「お前たちを危険に晒すことはできない」と、挙兵撤回宣言。
 そうこうしているうちに、本能寺が燃えていると報せがあり、急ぎ京に戻ろうとするが、京では家康が信長を殺した流言が飛び交っていて、そこらへんの農民たちに襲われる。

 で、やっと当人から見た本能寺の変本番(?)がはじまる。
 いろんな夢みて起きる信長。このへんから彼の夢とうつつの境が曖昧になる(ように私には見えた)。
 人の気配を察して起きた信長の前にいきなり現れた一人の完全武装の武士に後ろから腹を刺される信長。この時点で出血多量の大怪我。白い寝巻きが真っ赤に染まる。
 信長は、家康が自分を殺しに来たのだと思い、彼を探して寺中をうろうろする。そうこうしてるうちに敵兵の数は増え、ガンガン切りつけられて白い着物が地で真っ赤になってるのに、信長、敵兵三人を長槍で串刺しにしたりする。強すぎる。もし深手を負っていなかったら一人で全員やっつけてたんじゃないかと思わせられる。
 ここから「家康ー!」「信長ー!」と相手を想って叫ぶシーンが延々と続く。完全に『本能寺の恋』物語。
 信長は、さんざん寺を探した末に明智光秀本人と対面して「なんだお前か」と失望する。
 「お前に俺のかわりができると思うのかこのキンカン頭!」と暴言を吐くと、炎のなかに歩いて行く。(このあと光秀も頭のいかれたことを言って雑魚感をより大きく打ち出す)
 っていう、「どうする」版本能寺の変。
 このときの信長の頭ではたしかに、敦盛を舞ったり「是非に及ばず」なんて発想は出てこないよなぁ、と妙に納得させられる、それはそれで一本筋の通った信長像かと思う。

 27話でさんざん自分の背負った業の話を家康に聞かせておいて、28話である意味ドンデン返しの「雑魚」による殺害。
 ここにものすごいブラックなコメディ性をみたのは私だけではないだろう。
 信長をカッコイイだけの男にしなかった。最後にケチがついた無様な男(岡田くんの技量は置いといても)に書き上げた脚本の古沢良太さんの残酷性というかS性というか、作家の意地悪さを感じたな。(でもこの毒がないと作家としてつまらない)

 Twitterでは、二年ぐらい前の「麒麟がくる」と比較して、いかに今回の光秀が俗物であるかを語っているツイートが多かったけれども、「麒麟がくる」の光秀ではこのドラマは成り立たないのよね。光秀の狂った俗物ぶりが、私は逆に心地よかった。

 ただ、一点言わせて貰えば、「あなたが――」ではじまり繰り返される家康のモノローグは、どうも瀬名(築山殿)の事件のときに彼女が夫に高らかに宣言した「戦のない世の中をみんなで造りましょう」的な、戦国乱世真っ最中では夢物語でしかない思想を、さすがの家康も呆れた顔で訊くというあのシーンを彷彿とさせた。
 どうにも子供っぽい主張じゃないか?
 この作者は一体何歳ぐらいの年齢層に向かってこのドラマを見せたいのか。
 今回も相手の名前を連呼するだけの時間のなかで(私は好きだけどねー)、家康が「あなた」に対して最後「ありがとう」まで言ってしまう。そこまで自己完結していいのか。もっと彼にあの場で言わせなければならない大事な言葉があったんじゃないか、と思う。(それが何かは分からないし、或いは脚本は書けていたがプロデューサーのOKが出ないとか、色々考えられることもあるけれども)

 とにかく本能寺の変は本能寺の恋になって終わった訳ですが、たしかに家康と信長の視点から書けば、あれ以上の決着の付け方はないなとも思う。
 随所に子供の頃の信長や、白兎と呼ばれた家康が出てくるのも、二人の長い関係性を感じたし、もしかしたら、或いはこうだったのかもしれない、と思わせる(騙される)ようにも書いてあって上手いと思う。
 でもBL小説じゃないんだから、ほかにも登場人物はいるし現在進行系のそれぞれのドラマもある。だから私は、あの二人の呼びかけは一回きりでも良かったんじゃないかと思うんだ。
 とはいえ、あんなに尺をとって、二人の関係性に密着した回を一本作ってしまうなんて、脚本家とプロデューサーのチャレンジ精神には感服する。
 あと、アクションシーンがどれも迫力あってすてきだった。岡田くん、ここは深手の刀傷をものともせずに相手をバッタバッタ斃していく。カッコイイ。師範の面目躍如。

 なんだか来るべき時期に、抵抗しないであちらの世界に去っていったという感が強い岡田信長の本能寺の変。いきなりものわかりが良くなって「是非に及ばず」と言い出す信長よりもよほど人間味溢れてかっこよかった。

おわります
 

 


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