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エッセイ【白の階調】

眼球の、白目の部分の描写をするのが好きです。
そこばかりを詳しく書く機会は無いのですが、物語の展開上で目の描写をする時、白目の表現が楽しい。
絵師さんが目に光を入れるときの感覚と似ているのだろうか。絵が描けないので全く同じかどうかは私には言えないけれども、目の描写は、身体のどの部分を書くときよりも命を吹き込む作業に感じます。
白目の白が、どんな白なのか。
目の話を続けると、登場人物一人一人の虹彩の色が違うように、同じ白目をしている人物もいないと思っています。そういう細かいところを、もっと拘れればいいなと思いつつ、白目の描写ばかりを増やしても仕方がないので書かないのですが『白』という色に私は不思議な感覚をみます。

子供の頃、学校で強制されてやっていた美術の時間。
自分用の絵具セット。
たくさん色があるのに、白は絵具のチューブが一つしかない。
青とか茶色とかは、微妙に違う色で二色入っていたりしたのに、白は一つだけ。
それが、子供の頃はなんとなく、腑に落ちなかった。
茶色で例えると、茶色・黄土色・焦げ茶色、とか、三つくらいあった記憶があります。
白は一つなのかと、決めつけられているようなメッセージを、屈折した私は受け取っていました。

他の色に濃淡があるわけではなくて、白以外の色は濃淡がわかりやすいというだけだと私は思っています。
確かに、白に種類はないかもしれません。
でも、幅がない色彩に見えて、階調はたくさん持っている。

眼球、骨、白い薔薇、黒い紙に綴れるインク。
牛乳と豆乳とアーモンドミルクは、同じ白をしてはいません。

白は白みを増すと、透明度は高くないのに希薄になる。
白は白みが濃くなると、生々しい色になる。

量と密度、二つの増え方で全く違う変化をするところも面白いと思います。
変幻の仕方が艶かしい。
まっさらなようでいて、白は一番『生きた色』で、激情的。
他の色にない変幻の方法を持っているからなのか、他の色が当たり前のように階調を持つことと比べて、一概に『白』と括られることがとても不思議です。
同じ白さなんてないのに。

冷たい色でもなければ暖かい色とも何となしに違う。
暖かみを装って、冷たさに戻る。他の色には、多分これができない。

美術を学んでいる方からすれば、白が学術的に一色ではないことなんて当たり前かもしれないけれども、それとは違う切り口で私は話していたい。
白は一色しかないと指定されているように感じた私の屈折は、多分、屈折ではなかったと思うのです。

だって、白がただ一つの純粋だなんて、誰が決めたのでしょう。

白は何にでも染まる色で、何かに染まる前の色ではない。
白と出会った色の方が、白に存在を取り込まれているように私は思うのです。

激しくて腥く、生々しい。
『悪い白』だってあると思うのです。誰かが決めた純粋の裏を生きるような。
正義も純粋も、ひとの数だけ存在します。黒い価値観さえ、それを宿すひとの心の中では美しいものなのです。

白は血液よりも色濃くて、悪い顔をしている色に感じます。
白をたくさん上塗りすれば、他の色はいずれ消えるでしょう?
黒で塗りつぶすよりも自然に。初めから何もなかったみたいに。

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