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エッセイ【読めなかった本の話】

住んでいる場所の区役所に用事があった時に、区役所併設の図書館を覗きます。
何か面白そうな本はないだろうかと、特に目的はなくふらふらと本棚の間を彷徨う。区役所に行った時の、私の暇つぶし。
私は国内の作家さんの本を読まないので(何故か読むのが苦手、海外の翻訳文学や古典ばかり読みます)いつも海外の翻訳された小説のあたりをうろうろします。
その日、いつもは見ないくせに、海外のエッセイの棚を見ていました。エッセイ、書きたいな。書くの、難しいんだよな。そんなふうに思いながら、面白そうなエッセイを手にとって、本の装丁が綺麗なものを見たり、ぱらぱらめくってみたり。
目ぼしいものはなさそう。そう思った時でした。
『女友達の賞味期限』という題名の書かれた背表紙が目に止まったんです。
凄い題名。そう思ったのと同時に、その題名だけで、私の心の冷えて淀んだ部分に、風が吹き込んだような気持ちになりました。『女友達の賞味期限』という題名は、『私の心の冷たい場所』という箱を鎖ざした鍵の鍵穴に、差し込むような言葉でした。
手にとってみて、目次を見たら、様々な形での女性同士の友情の終焉が描かれていました。
私は本をそっと棚に戻しました。読んだら面白いのだろうけれども、悲しくなる予感がしたのです。

私は学生時代、中高一貫校に通っていました。海が近くて雪が降る、寒い田舎に住んでいました。
中学を受験したのは、小学校の同級生たちが嫌で嫌で仕方がなかったからでした。こんなひとたちと、高校生になるまで一緒にいないといけないなんて。十二歳の私には、環境を変えたい思いしかありませんでした。そんなことを思っているような小学生ですから、察しはつくと思いますが、『友だち』なんていませんでした。もともと一人で過ごすことが好きだったので、友達がいなくても何も不自由していなかったのに、当時の愚かな担任は、一人でいる私を責めました。『何で一人でいるんだ』と。本当に、愚かな教師だと今でも思います。学校が一番つらかったのは、小学生の時だったかもしれません。
私は勉強が全くできなかったのですが、中高一貫校に合格して環境を変えることに成功しました。中学高校の六年、皆そうだと思うけれど、いいことと悪いことの中に、『友情の終焉』とはこういうことなんだなと思った出来事があります。

私には友だちがいませんでした。一人を好むのは進学しても変わらなかった。
中学一年の時に、文章を書くことで親しくなった子がいました。私の周りは当時、創作集団のようで、私を含めた五人くらいが何かしら文章や絵をかいていて、その子とは通学手段が一緒だったから、一緒にいる時間も多くて、親しくなったのだと思います。

私が通っていた学校は、とてもとても、校則が厳しい学校でした。スカートの丈や制服のボタンとか、靴下の色とか、細かいことを書いていると枚挙にいとまがありません。買い食いも禁止でしたし、地元のお祭りには先生が巡回していて、平日の帰りに遊びに行って注意されていた子もいたくらいです。
校則が厳しかったから、私の友人だった子は数年先の予定を調べて、私たち二人が高校二年生になっている年に『お祭りの日に土曜日が重なっているから、その時にお祭りに行こう』と言ってくれました。
確かに、平日が駄目ならその手がある。私は楽しみに過ごしていました。五年先の、話をしていました。
約束から五年の間、私と、友だちだった子は相変わらずお話を作っていました。私は当時、その子を大切に思っていました。ずっと友だちを知らなかった私に、友情を許してくれた。そう思っていました。
五年後、私たちは高校生になっていました。変わったことは特になく、強いて言うならクラス替えがあったことでしょうか。約束の日のことを、私は忘れていなかったし、楽しみにしていました。
お祭りの日の土曜日は、確か模擬試験で午前中だけ学校に行ったような記憶があります。模試が終わって、私は友だちだった子に『お祭りに行こう』と言いました。
しかし彼女は私に謝って、
『家の用事があって行けなくなってしまった』
という旨を伝えて下校していきました。

家庭の事情なら仕方がないからと、私は別の創作の友だちとお祭りに出かけました。その先で、私は『家の事情でお祭りに行けなくなっった』彼女に遭遇しました。
彼女は、クラス替えではじめて同じ学級になった男と一緒でした。皆から嫌われている男でした。時々、その男が彼女に声をかけて彼女が創作物を見せているのを見たことがありました。
私は約束を破られたのだなと思いました。入学した時から一緒だった私との約束を反故にして、彼女は出会って数ヶ月のくだらない男とのデートのために私に嘘をついた。
高校生になって、恋人ができている子はいたけれども、私はそのときに『彼女は私とは違う、普通の子なのだな』と思った記憶があります。
デートに行きたいのなら、素直に言って欲しかった。私は友人だった子が恋人を作ったことを責めているのではなくて、彼女が嘘をついたことを責めていました。私はあの子にとってそんなことも話せないような存在だったのかな、とお祭りの帰り道に思いました。

彼女を薄汚いと思うようになりました。この子は恋のために平気で嘘をつくのだなと思ったら、不誠実で、醜いと思いました。でもきっと、そういう女の子って、星の数ほどいるのでしょうね。
今その子がどうしているのかは分かりませんが、私に嘘をついてまで一緒にいた男とはすぐにさよならをしたらしいです。私が知っているのは、此処まで。

私は捨てられた友愛の話を書きました。復讐のように何度も、何度も焼き直して書きました。その話はどこにも公開されることがないでしょう。何度も、と書きましたが、短い話にも同じアイディアで書いた話はあるので、短い話は何処かで公開するかもしれません。長く書いた話の方は、本当は新人賞に出そうと思っていたのですが、私の編集をしてくれている薄荷さんに『これはしまっておきなよ』と諭されてしまったのです。

今その子がどうしているのかは、分かりません。
でも、私は自分に恋人ができても、友愛を反故にするような汚い真似はしないと決めました。

『女友達の賞味期限』を読めなかったのは、一度賞味期限が切れた瞬間を見たからなのかなと考えて、何となく後ろ髪を引かれるような気持ちで、私は図書館を去りました。
友情に限った話ではないかもしれませんが、繋がることそのものはとても簡単だと思います。繋がりを繋がりのままにしておくことが大変で、努力がいることなのだと思うのです。切れてしまうのは、壊れてしまうのは、本当に一瞬だから。

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