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紅茶詩篇『しあわせの女の子』

 女の子にはお金がかかるよ、お化粧、化粧、基礎化粧。
 女の子にはお金がかかるよ、お茶代、お茶菓子、美容院。
 女の子にはお金がかかるよ、使うと無くなる衛生用品。
 女の子にはお金がかかるよ、お洋服、お洋服、お洋服。
 いい子でいるためのお金、経費にならない交際費。
 私のお疲れとお疲れな人生とのお付き合いにかかる、いろいろなご褒美。
 私がご機嫌でいるためのおやつがご入り用なお昼過ぎに、溜息。
 仕事のための化粧品。
 どうして社会に出た途端、お化粧はマナーなんだろう。
 いい子でいるためのお金。経費に落ちないものばかり。
 いい子って草臥れるよ。いい子を頑張るのは、もう嫌だよ。
 いつだったら私は、私を休んでもいいんだろう。
 私にしかなれない私、なのに代わりはいくらでもある私と私の存在とお仕事。
 生きてくことを休みたい。何の不安もないままで。
 私はいい子をやめていた。やさしい子になることにしたんだ。いい子でいれば怖いものに何もされないと、信じていた頃の私をそっと手放していた。私は私と、たくさん相談をして決めた。
 今日も血が流れていく。汗になって、涙になって。
 生きてくことに真面目すぎた私のかなしみが、いつだったか私を私だけの名前でしかない私に変えてくれた。あの日名前を呼ばれても、決して振り向けなかった私のことを。
 名前だけになった私の願いは、詩人になることだった。
 君はしあわせの子なんだよ。自分の名前の他に、その身体から出てきた言霊が、詩人、だけだったから。私のあの日の夢枕を、うっすら涙を流しながら目を覚ましていたあの朝日。
 詩人になったの、よかったね。
 いつかのいい子だった私が、未来を見ていた。今日のままだった私の傍に、ちょっとだけ女の事情の風当たりに飄々とした肩をした私が座っている。名前だけになった私の傍で、少しだけお姉さんになった私が笑っている。ずっと私の影になってくれていて、ずっと言葉を書くことをしていた私の中から、いつだったか出てきた私のうつし身。
 やさしい子はやさしい子にしかなれないよ。
 いつだったか誰かがそう言ってくれた。
 思い出せないくらい遠い日の思い出のように、曖昧に煙っている。
 そう思ったのは、私だったのにね。
 私は傍らの私を見つめる。
 忘れてしまうことが怖くてたまらない。いつかつよくなったことで、怖かったことを忘れるようにして当たり前みたいに乗り越えてしまいたくなかった。
 女の子の経費にかかる諸々の雑念に唸っていた頃の私が、詩人になった私を喜んでいる。詩人になった私も、あの日の私の心に浮かんだかなしみを喜んでいる。
 死にたいわけではなかったけれども、生きていたくないくらいかなしんでいたのは本当だったんだ。
 希望なんてないよ。だから私はひとりでうたをつくっている。
 愛とかなしみにつけるやさしさの節と言葉の旋律を想っている。いつも血をなくしながら。
 やさしい女の子でいよう。やさしいことがうつくしい子に。やさしいことがつよい子に。 その私が、私の詩を作る永遠の植物の中心を生きている。
 私はいい子をやめていたんだ。やさしい子になっていたんだ。
 私には私が好きな、私の名前だった私が傍にいる。
 私はしあわせの詩人。私しあわせの詩人。
 必要なものだけを書く。必要のないかなしみは嘯くことをしない。
 やさしい子はやさしい子にしかなれないよ。
 あの日確かにそう言ったのは私だったんだ。あの日草臥れた女の子だった私は、そんな言葉の芯を見つけて祈ったんだ。
 いつだったか消えたくて、泣いていた私の理由を知った。
 私は私の涙と日常の、そのお疲れに頓着できない子だったんだ。
 私は私が大切だ。そう思ったら、いい子でいるために必要だったいろいろなものが、愛おしくなっていたんだ。
 女の子にはお金がかかるよ、だけど女の子って嬉しい。
 女の子にはお金がかかるよ、だけど女の子って楽しい。

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