見出し画像

(2024/07/10/水)百済の館



本日の見出しの画像 
百済の館

  今回も引き続き、先日(2024/06/23/日)、宮崎県みやざきけん東臼杵郡ひがしうすきぐん美郷町みさとちょう行って撮影した西の正倉院しょうそういんに関連する記事です。

 今回備忘録として残す記事は、神門神社みかどじんじゃと西の正倉院付近に併設されている施設、『百済くだらの館』です。

 中には、約1400年程前『百済くだら』が有った、韓国の『扶餘ぷよ』の古墳で発掘された遺物のレプリカや、文化を紹介する展示が有りました…。

 この『百済の館』に来る前に、西の正倉院の展示物をじっくりと観覧していた為、ここに到着したのは閉館ギリギリの時間になってしまいました……。
(下記のリンクは、西の正倉院を観覧した時の備忘録です)

 係の方に『ごゆっくり見られて下さい』とお声がけをして頂きましたが……

 じっくりと観覧すると1時間以上は掛かりそうだったので、ご迷惑にならない様に、この日は、気になる部分を大まかに撮影して帰る事にしました…。


 一部、展示物の中に不明な部分が有ったり、建物の見取り図が間違っているかもしれませんが、記憶をたどりつつ、備忘録を作成しました…。




百済の館の外観

 先ず初めに、百済の館の外観を数枚ご紹介します…。

 GoogleMapのリンクも載せましたが…
外観は、GoogleMapのストリートビューの方が天気が良く、見易いです…。

 下記の写真は、西の正倉院の出口付近の坂道から撮影した写真です…。

 こちらは、道路側から撮影した写真です…
表には、『百済の館』の案内看板が設置されていました…。


『百済の館』の案内看板

 案内看板の拡大写真です…

この施設は、百済最後の王都となった、大韓民国の古都『扶餘ぷよ』の王宮跡に建つ客舎をモデルにしています。

…との事でした…。

 又、平成2年(1990年)に建築された建物だと言う事も書かれていました…。


建物前に敷き詰められたせん

 こちらは、『百済の館』の前に敷き詰められた、瓦『せん』です。

 全てに模様が付けられていて、かなり綺麗です…
又、適度に凹凸が有るので、滑り止めにもなりそうです…。

足が少し写り込んでいます…




入って右側の部屋


『最後の王都、扶餘ぷよ』と書かれた看板

 遺物のレプリカが展示されたスペースの入り口に展示された看板です…

 看板の文章よりも、看板に書かれた文様が気になりました…。




※最も気になった展示物 
武寧王陵ぶねいおうりょう 出土遺物の貴金属製品(レプリカ)

 こちらは、韓国の武寧王陵ぶねいおうりょう から出土した、貴金属製品のレプリカです…。

 私は元々、彫金の勉強をしていたので、このコーナーが一番興味深かったです…

 …と言うか、この展示スペースを観察するのに時間を掛けてしまい、他の展示物を見る時間が少なくなってしまいました…

 ここで、その、気になった部分をまとめると、記事が長くなりそうなので、後日、別途記事を書きたいと思います…

 人型のシェルエットの、肩の形状で男女を表現しているのが面白いです…。

金製冠飾(複製)・金製耳飾(複製)

金製冠飾(複製)・金製耳飾(複製)

有銘銀製釧路(複製)

金製冠飾(複製)・金製耳飾(複製)・金製頸飾(複製)

金製頸飾(複製)

 個人的には、この『百済の館』の展示の中では、この頸飾りの作りが一番興味深かったです…。

金製冠飾(複製)・金製耳飾(複製)・金製頸飾(複製)




武寧王陵ぶねいおうりょう』のパネルと土器(レプリカ)

有鍔土器(複製)

把手付鉢(複製)

骨壺(複製)




扶餘ぷよご案内』のパネルと土器(レプリカ)

 こちらは、『壺』のレプリカの様です…

 神門神社宝物の須恵器(有形文化財)の様な、何らかの風習(儀礼?)の痕跡は無い様です…

壺(複製)

壺(複製)

壺(複製)




土器と鏡(レプリカ)

 こちらには、博物館に行とよく見る、古墳から出土する須恵器の器台と同じ様な、器台のレプリカ、銅鏡のレプリカ、合子(?)のレプリカが展示されていました…。

器臺(複製)

方格規矩神獣文鏡(複製)

三足土器(複製)




扶餘ぷよご案内』のパネルとせん(レプリカ)

 こちらは、この『百済の館』入り口に敷き詰められた瓦『せん』とは違い、鳳凰がメインデのデザインになっているせんです…。

せん(レプリカ)

せん(レプリカ)

せん(レプリカ)




映像展示(故障中)

 こちらの展示は故障中だった為、見る事が出来ませんでした…

※ディスプレイの黒い腺は、写り込んだ部分を消したものです…




彩色された天井に描かれたサイン

 天井の梁には、『大韓民国 扶餘人 庾(?)炳ハ 筆』と書かれていました…。

 上記のサインの中で、『庾(?)炳ハ』と言う部分は人物名の様ですが…読み方が判りませんでした…。
(後日、調べてみたいと思います…)

『大韓民国 扶餘人 庾炳ハ 筆』
と、書かれた梁。




『韓半島・三国時代』・『百済の都扶餘ぷよ』のパネルと瓦(レプリカ)

 こちらのパネルには、南郷村と、大韓民国忠清南道扶餘群扶餘邑が姉妹都市になっている…と言う事が書かれていました…。

蓮花文圓瓦當(複製)

蓮花文圓瓦當(複製)

蓮花文圓瓦當(複製)

蓮花文圓瓦當(複製)




百済金銅鳳凰蓬莱山香炉(レプリカ)

 こちらは、銅合金の上に鍍金(金メッキ)が施された、大きな香炉です…。

 この展示室に入った時に一番初めに目につく展示物ですが、私は装身具・アクセサリーのレプリカの方が興味が有った為、先に見る事にしました…

 そのまま左回りに室内の展示物を観覧した為、こちらの展示を見るのが一番最後になってしまいました…。

 この遺物の実物の写真が西日本新聞の記事で紹介されていたので、リンクをご紹介します…。

 こちらの香炉の複製品は、回転する台の上に展示されていていたので、四方向から撮影してみました…。

百済金銅鳳凰蓬莱山香炉(レプリカ)・正面

百済金銅鳳凰蓬莱山香炉(レプリカ)・左側面

百済金銅鳳凰蓬莱山香炉(レプリカ)・裏面

百済金銅鳳凰蓬莱山香炉(レプリカ)・右側面



入って左側の部屋

 ここから先のエリアは、靴を抜いで板の間に上がるスタイルでした…。

 又、かなり急いで観覧と撮影をしたので、何が展示されていたのか良く覚えていません…。
(ここら辺から、かなり時間に余裕が無くなって来ていたので、かなり焦って居た様に記憶しています…)

 次回、行く機会が有った時にもう一度、観覧したいと思います…。


カマ

 こちらは、カゴの様な乗り物の様で、アシアナ航空から南郷村に寄贈された物だそうです…。

 カマの手前には民族衣装が展示されていました…。




百済王時の官服




『百済文化の伝播』のパネルと民族衣装




仏教建築




瓦の文様




仏教美術




屏風(詳細不明)




屏風(詳細不明)




法隆寺の写真




百済観音




築城技術・水城




暮らしの中の百済文化




全国の百済文化1




全国の百済文化2




出入り口の有る中央の部屋

 上記の入り口から見て左側の部屋をかなり急いで撮影しつつ観覧し、入り口付近に戻って来ましたが…、

 左側の部屋を観覧し終えた時点で、既に営業時間を少し過ぎる位の時間になってしまいました…。

矢印の上の色が付いている部分に、
展示パネルが幾つか有りました……。

 入り口のホールには、文章の書かれたパネル等が展示されていましたが…
これ以上、係員の方にご迷惑を掛ける訳には行かないので…

 係員の方にお礼を申し上げて、この日は、この中央の部屋の展示を見ずに帰宅する事にしました…。

 この部屋も、次回、行く機会が有った時にもう一度、観覧したいと思います…。

 次に行く時は、不明な点について確認をしに行く時だと思うので、目当ての遺物以外をじっくり見る余裕が有るかどうか判りませんが、できるだけ時間を作って観覧したいと思います…。

 後、もう一度、この日(2024/06/23/日)の帰り道の写真を、備忘録として纏め、発表したいと思います…

 その記事で今回の一連の備忘録を終了したいと思います…。


次の記事(最終回)




2024/07/08~10
投稿時間2024/07/10/0758
最近はただの日記になっていますが、自分自身と作りたい作品について更に突き詰めて行きたいので、この作業を暫く続けて行きたいと思います。


この記事が参加している募集

最後まで読んでいただきありがとうございます。 作品製作をしているので、サポートいただけたら創作活動に関する費用にしたいと思います。