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途方もない想像力

柄にもなく、絵を観に行ってきた。

時にボクは、芸術というものから、琴線に触れる何かを得たとき、ひたすらに恐ろしくなる。

音を聴き、目で見て、鼻で嗅ぎ、口を動かす。
手を触れ、足で歩き、胸の鼓動を鳴らし、頭をいっぱいにしていく。

それは全て、想像に繋がる。
あれ、これ、それ。
どれもこれも、想像される、何かに繋がっていく。
それは、途方もない。

それらがプラスになるとき、人はきっと、歓喜の声をあげるのだろう。
身体中で喜怒哀楽を覚え、しかしながら、最後はどう足掻いても、歓喜の声にしか繋がらない。

芸術とは、一種、そういう類いのものだ。

それは、とても良い「例」。

逆に、マイナスになった場合を、考える人はいるのだろうか。
芸術が与える「例」が、マイナスになる。
それが、どんなに貧しくて、卑しくて、悲しいことなのか、それこそ想像してほしい。

ボクは、たまに、そういう現象を全身で覚えてしまう。
こんなに辛いことはないのだ。
本来ならば、喜ぶべき想像力が、反対側に作用して、暗くて暗くて、どこを探しても、出口や入り口でさえもない世界へ、と突き落としてくる。

この辛さを、共有できる人はいるのか?
ただ、だからといって、シンパシーを感じてほしいのではなく、おかしな興味を抱いてもほしくない。

それでも、ボクはここに書くのだ。
どれだけ無気力な人間として生き、どれだけ罪を背負って生き、全てを人のせいにして生き、想像力に負けて、いつか死んでいく様を。

そろそろ、想像ではなく、現実に目を向けるときが来ているのだろう。
もう、書かなきゃ。

次はきっと、勇気を出して、書かなきゃ。

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