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「結局は、お金の減らし方が、人生における考えどころとなるだろう。」

6月にボーナスが出た!手取り67万円 やったー!

今年は3月中旬-6月にチームリーダーの上司が休職して不在で代わりに仕事をしていたため、そのことが評価されて(多分)、評価も高かった。やったー。



ボーナスを何に使うか?

私の家では、毎月の収入から約1−2割は貯金投資にしてる代わりに、ボーナスは基本的に全部使っていいという整理にしている。

旦那さんは自分のボーナスで、趣味のギターのアンプ(10万円)を買っていた。

ただじゃあ、いざ自由に全て使っていいとなった時に、私には67万円を使う大きい買い物の使い道が、現時点で思いつかない。


独身の時なら、海外旅行が好きだったので、そのお金で即航空券を購入し、ホテルを予約していた。ただ今は旦那さんがいて子ども(3歳)がいるので、一人だけの判断で航空券をとって数日家を空けるのを決めることは難しい。

そうなると、67万円を何に使うか…せっかくお金があるのに使い道が思いつかないなんて私は悲しすぎないか…そんなことを考えた時に何気なく読み返したのが、森博嗣さんの「お金の減らし方」という本だ。


この記事のタイトルにも使わせていただいたが、博嗣さんの「お金の減らし方」の中で、お金の使い方についてこう書いている。

考えるべきことは、自分は何をしたいのか、である。
結局は、お金の減らし方が、人生における考えどころとなるだろう。
何にお金を使うのか?何を買うのか?その買ったものを、どう使うのか?そこから何が生まれるのか?自分は、そのことでどのように変化するのか?それを考えることが、当面の課題、お金の使い道である。

「お金の減らし方」森博嗣 p106


つまりお金の減らし方とは、自分の人生をどうしたいのか、ということに繋がるということだ。

価値があるのは、満足の方

また、森博嗣さんは本の中でこう書いている。

お金は、自分の満足と交換するためのものであり、価値があるのは、その満足の方なのである。

同書 p57

お金は、目的ではない。お金を得ることが目的であるわけではない。目的を達成するための手段として、お金があるのである。これは、お金に価値があるのではなく、目的に価値がある、という意味である。
多額のお金を持っていても、なにも良いことはない。そのお金を、自分が欲しいもの、やりいことと交換しなければ、価値は生まれない。お金を失うことで、価値が得られるのだ。

同書 p48


つまり自分のやりたいこと・目的・満足を見つけて→そのためにお金を使うことで、初めて価値が得られるということである。

私が今、ボーナスの67万円を持て余しているのは、つまり自分にとって価値があることを見いだせていないと言える。

適当になんでも買ってみる?

では適当になんか良さそうと言われているものでも買ってみようか。例えば、ブランドバッグとか?あとは色石の宝石が気になるので、細かくどれとは決めてはないけどなんか手頃な色石のリングとか買ってみる?と考えてみた時に、森博嗣さんはこう書く。

お金があるから、なにか買いたい、というのは本末転倒の極みなのである。また、お金を使うことが、満足を得るための目的になっている点も、やや病的といえる。

同書 p82

たしかに。
適当によくわからないものを買っても、買った満足は得られるだろうけど、物として所有してどれだけ満足が得られるかというと疑問だ。

私にとってのスペシャルな楽しみ

じゃあ私にとって「お金を使う価値のあること」ってなんだろう。

このことを、森博嗣さんは、「自分にとってスペシャルな楽しみ」と書いている。それがどんなものかというと、

スペシャルな楽しみというものは、もっと面倒くさいものだ。素人に説明するのも面倒なのだ。自分一人で充分に楽しめるから、ほかの人に話したりしないし、誘ったりもしない。誘おうものなら、指導をしなければならない。その分、自分が楽しむ時間が削られてしまうではないか、と心配するほどだ。

同書 p186

こう書かれると、私にとって思い当たるものが3つある。

1つめは、本だ。

趣味が読書で、小さいときから本を読んでいる。人と比べて多いとか少ないとかはわからないけど、自分にとっての楽しみであり、人にアピールするために読むという意味合いは薄い。(話題になりそうな本を読むときはアピールしたりするし、面白いものは読んでーー!ってアピールするのはするんだけど)

でも本来としては、自分の楽しみのためがメインで読んでるし、自分に響くすごく良い本を見つけた時に、すごく良いを人にわかってもらうために説明するのは面倒でもう良いかと思ったりする。

また自分の中で読みたい本のテーマや脈絡がずっとあって、この本を読んだからこの本の周辺としてこっちも読もうとか、この人のおすすめを一通り読んでみよう、とかを一人でずっとやってる。

これは多分森博嗣さんの言う「スペシャルな楽しみ」に当たるだろう。

2つめは、別荘だ。

海の近くに住みたいとずっと思ってて、今2軒目として所有できる家がないかを探してる。
詳しくはこの記事に。


合理的か合理的じゃないか、と言われたら、2軒目の家なんて全然合理的じゃない。要らないのだ。

探すのも維持もめんどくさいし、税金もかかる。家電も家具も揃えないといけない。面倒くさい。

でも、私のなんとなくの夢として、家の窓からすぐ近くに青い海が見えて、朝早起きして海の近くを散歩する。海の側で本を読む。あるいは家の窓から海を見ながら仕事する。泳ぎたくなったら、さっと泳ぎに行く。海の近くなので、地元の魚屋さんで買う魚は新鮮で美味しいかもしれない。
そういう暮らしがしたくて、いい家が見つからないか地道に探している。

中高生の時に何度も繰り返し読んだ本に、江國香織さんの「神様のボート」という本がある。主人公の一人であるお母さんが、ロッド・スチュワートをイヤホンで聴きながら、長いスカートを足でさばいて毎日海辺を歩く。そういう暮らしに強い憧れがあり、いつか自分もこんなふうに過ごせたら、と思っている。 

これは私の夢であり、他人の理解や称賛はあまり必要としていない、「スペシャルな楽しみ」だ。


3つめは、頭の中で考えていることを、言葉にすることだ。

つまりはこのnoteとか、あとはXでも、頭の中のことを言語化できるようになりたい、それを少しでも人に伝えれるようになりたいと思って、やってみている。

私はもともと人と話すことがとても苦手で、アウトプットも苦手だ。
それを克服したいという気持ちがあり、そのためにはまずは練習だろうということで、試みとしてX/Twitterをやって、今年からnoteもやってみた。
練習して、脳内の言語化が上手くなってるかはわからないが、なんとなく言語化しやすくなった気はするし、漠然とした楽しさはある。

この3つめのことは、ツールとしてはnoteとXなので、基本的に無料だ。頭と、あとは書くことを考えるための資材によって、お金がかかったりかからなかったりする。

Xもnoteも発信ツールで、他人の評価や理解が不要で言語化だけがしたいのであれば、紙のノートとかWordで誰にも見せずにやれという感じでもあるので、厳密には他人の評価からは抜け出せてないが、まずは自分の目的や楽しみみたいなのが先という意味で、これも「スペシャルな楽しみ」に近い。


ということで、自分にとっての楽しみは私にもちゃんとあり、それに今の時点ではあんまりお金がかからないから、結果的に大きなお金を使う必要がなくて済んでるということだけのようだ。

ぴんと来た時にお金を減らせばいいだけ

森博嗣さんは、「お金の減らし方」の本の後半で、こう書いている。

「ぴんと来るもの」に出会うまで、お金を持っていれば、いずれそれが現れたとき、躊躇なく決断ができる。ぴんと来ないものを買ってしまったら、そういったものがあとから現れたときに、後悔するかもしれない。

同書 p232


たしかに、私は楽しみの2つめの良い別荘に出会えたら、1,000万円くらいは使ってもいいかなという気持ちでいて、準備もしている。

1つめの楽しみの本も、欲しいと思ったら予算は設けず好きに買うことに決めている。(自分の読める量に限度はあるが)

3つめの言語化はとくにお金を使う気はなかったけど、上手くなるために聞きたいセミナーとか話し合える場所とかがあったら、参加費や交通費を払って聞いてみたらいいのかも。

つまり、お金の使い道がないからと言って、自分にとって要るかどうかもよく分からないものを、たとえ他者からの評価は得られるとしても、買う必要はないのだ。当たり前だけど。 

自分のお金を使う対象を見つけることに価値があり、そのためにお金を使うという順番なのである。

ということで、ボーナス67万円を焦って使う必要もないので、悲観せず、「ぴんと来る」に出会える時に使う弾丸として、じっと持っておくことにした。

まあ、自分の好きそうなお皿は、ボーナスの記念に気分でなんとなく買ったけどね!(この記事参照)

そして高校の友だちと会う予定なので、ワンピースは新調して買うつもりだけどね!

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