日比谷亭るるる

すべてに時がある。 LOVE & HATE 🩵🦜

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最近の記事

無いも有るも表裏一体

人から言われた言葉に腹が立った。 一見そこまでひどいことでもなく、気にせず流したり、ゆるしたりできそうな気もするが、なかなか渋とく心に残り、思い返しては気になっていた。 言われた内容としては、身内だからという理由で、無償でデザインの仕事を頼まれてくれないかということ。もしくは、ネットの無料で使えるテンプレートとかを教えてほしい、ということだった。 本人は全く悪気は無いのだろうけど、なんでもかんでも無料で乗りきろうとする姿勢や、デザイン自体は何でもよく使えれば良いという雰囲

    • 悲しいな

      今日は人の人生観に触れ、悲しくなった。 想像の中で生き続ける姿は、外側から見るとだいぶ悲しい。 ただ、自分の中にもこの片鱗はあり、その点同士が共鳴した時も、これまでの人生の中であった訳で。 その仮想空間の中で生き続けるのか、いつかモヤが晴れ足元を見るのか。 自分のことも他人のことも、きれいなものだけ見ようとするな。 人は不完全だから。 キラキラ輝く側面もどす黒い側面も、すべてひっくるめてその人なんだ。 その人の弱い部分もちゃんと直視することが、愛なんじゃないのかね

      • ぼんやりした気持ちを文字に起こしたくて

        年始。やりたいことはたくさんあるが色々とっ散らかっている。 昨年の夏、暇すぎてハイジを全話観たり、たまにnoteを書いたり、一日中ダラダラしていたあの頃が懐かしい。 思い煩いはあるけれど、その時その時を生きよう。 あれこれ思い煩わず、今を喜んでいよう。 今日はとろ枠を聴いて笑った。 ブラックコメディが笑えるのは、自分にもダークな側面があるからだと思う。 今年はやらねばならないこともやりつつ、やりたいことにもちゃんと時間を向き合いたい。 ◯今日したこと ・久しぶりにし

        • 故人の連絡先をどうするか

          今日は久しぶりに電話帳を整理した。 学生時代の友人たちや、過去の仕事関係者達など、ざっと10年以上分くらいの情報がそこにあった。 思いの外、躊躇うことなくサクサク消すことができたのだが、その中で父親の電話番号を見たときに何か引っかかった。 とりあえず父の連絡先は保留にすることにして、この引っ掛かりが何なのか、自分の中で丁寧に整理したいと思った。 父親が亡くなったのは5年前。 当時、私の中でいろいろなものが吹っ切れた。 心が「無」で、人生を諦めた。 この時の諦(あきら

        無いも有るも表裏一体

          爺さんの人格

          あの人はこうゆう人だ、という定義はできないと思っている。 少なからず自分の中には、いろんな側面の人格が存在しているのだ。 最近思ったのは、文章で自分語りをする際に、私はお爺さんのような人格で書いてる気分になるということ。 性別も年代も違う、孤独な爺さんらしき人物のモードが、自分の気持ちを表現するのにいちばんぴったりくる気がしている。 同年代の女性グループのやりとりで、後から自分の文面を見返すと、こいつ誰感万歳なのだ。少しテンションを上げたり、絵文字を使ってみたり。本来

          運命を受け入れる

          Netflixでストーンオーシャンを一気見して、泣けた。 めっちゃ良かったなぁ〜と思うと同時に、何故涙を流すのか、何が(良い意味で)引っかかりとなったのかが気になった。 余韻に浸り少し落ち着いてから、その時の感覚と乖離ない表現(理由)を探してみたところ、運命を受け入れることに自分が共鳴したからだ!という考えに至った。 ここで言う「運命を受け入れる」とは、聖書の「すべてに時がある」に通じている。 受けいられない時、別の対象を探しても、結局誤魔化しだから世界は変わらない。親

          運命を受け入れる

          ガラクタでもええやん、低くあれ

          一つの事象があった時に、見方はほんと人それぞれ。 自分にも多々あることで正解はわからないけど、部分的に心地よい側面を切り取り、自分の都合の良いように受けとってしまうのは、人の罪だと思う。 共感したり気にかけているようで、勝手な想像から、その対象を自身の中に作り上げている。 勝手に期待して絶望して、信じてたのに裏切られたとか言われたら、アンタ私の何を知ってるんだね?と問いたくなる。 誰しも善悪の部分は持っているだろうが、自らの好奇心で相手を詮索し、都合が悪いことに対して

          ガラクタでもええやん、低くあれ

          麻痺した生きる知恵を再び思い出してる

          暑すぎてしんどい。 気候に限らず、めんどくさいことや、やらなければいけないこと等、だるいよーと思いながら過ごすのか、この不快な気持ちを何かしらに変え、少しでも快適に持っていくのか。 大人になって長年使って無かった生きるための知恵というのを、いま必死に探してる。 例えば、風の通りに沿って換気すると部屋が若干涼しくなる、等。しょうもない程ささやかなことなんだけど、都心にいた頃は、冷房をつければ一瞬で快適を手に入れられた訳で。 また、昔は誤魔化しながらやっていためんどうな家事

          麻痺した生きる知恵を再び思い出してる

          夏休みだなぁ

          先生〜、と、人の下で仕えている内はラク。 その分、自由は制限される。 教えを請う構造はラク。 支配の下で平和を享受している。 親の下、企業の下、地域の下、国の下、神様の下。庇護の下で安心を与えられ、与えられた自由の中で、生きる。 自由の大きさに伴い、アイディア(知恵)が必要なんだなぁ、と思うこの頃。

          ゴミクズの自覚

          やらなければならない作業があったにも関わらず、数ヶ月寝かしてしまっていた。 頭の片隅にそれは常にあって、やんなきゃなーと思うのについ後回しにしてしまい、さすがにそろそろやらねばと週明けに決意したまま、土曜日。 締切の無い仕事とはいえ、この状況は人としてどうなんだと。 ここまでできないって、自分まじでゴミクズじゃん、と思った。 この「ゴミクズ」を心から自覚した瞬間、めきめきやる気が湧き出し、だいぶ短縮して作業を終えることができた。 これは開き直って、ゴミクズである自分に自

          ゴミクズの自覚

          言葉の出どころ何処

          なんかだるい。気だるい。 今朝、姪が生まれハッピーな気分だったのに、どんよりとしてる今。 笑ったり嬉し泣きしたり、掃除したり、ちょっと出かけたり、いろいろやってはいるんだけどな… 集合意識の言葉にあたりすぎて、その怒りで落ちているのか?どいつもこいつも、お前の言葉どれやねん。私もうっかり遠くにいっちまいたくなる。 ここは耐えどころ。 踏ん張りどころなんだ。 「人」はもらったもの忘れがち。 あげたもの覚えがち。 自分ももれなくその「人」だ。

          言葉の出どころ何処

          正気とは

          長年住んだ東京を離れて、ここはデパートも無いしスーパーも遠いし、車ないと遠くに行けない。不便だらけだけど、小さな幸せはたくさん感じられるようになった、と思う。 幸せのハードルが低くなったね〜という会話が増えたが、どこまでも高くなってしまった陳腐なプライドが徐々に削ぎ落とされ、どんどん着地している感。揺れ戻しはあるけれど。 起きてご飯を食べて、やることやって、寝る。ちゃんと生活してる感覚。今は、地に足をつける道中だ。 地元の祭りがあるとのことで街も賑やかな雰囲気が漂い始め

          夢が罪を教えてくれる

          夢を見た。 学校行事(たぶん修学旅行)で、全校集会とか各部屋のシーンとか。 なぜかああ、私コイツとも、アイツとも、あの人ともやったんだ。なんでだ?自分の意思では無かったけど力に屈して、もういいや、と思ってそうなっちゃったんだ、と夢の中で思った。 目が覚めて、そんな体験は無かったことに気がつき一瞬安堵した。 でも本当に無かったのか? 実際の事象は無くても、過去に同じ体感はあった。 アイツと一緒にいた数年間、地の底にいた時があった。私はどんどん堕ちて行った。穢れた。自分が

          夢が罪を教えてくれる

          怒りのゆくえ

          朝から落ち込んだ。ボディブロー喰らったみたいに。これが揺れ戻しってやつなのか。 でも今までみたいに胸で受け止めなかった。怒りを肚で受け止めた。込み上げてくるけどグッと堪える。もう逃さない。感じきってやる。 ゴミクズ、クソガキ、クソ野郎。 しつけされてない野良犬。 何よりこんなことで喰らってる自分に腹が立った。ブレてんじゃねぇ。 ゴミクズがゴミクズに対して吠えている。底辺の争いであって、自分が底辺だと、きちんと認識できてなかったことも腹立たしい。大丈夫、ちゃんと底だから