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故人の連絡先をどうするか

今日は久しぶりに電話帳を整理した。
学生時代の友人たちや、過去の仕事関係者達など、ざっと10年以上分くらいの情報がそこにあった。

思いの外、躊躇うことなくサクサク消すことができたのだが、その中で父親の電話番号を見たときに何か引っかかった。

とりあえず父の連絡先は保留にすることにして、この引っ掛かりが何なのか、自分の中で丁寧に整理したいと思った。

父親が亡くなったのは5年前。

当時、私の中でいろいろなものが吹っ切れた。
心が「無」で、人生を諦めた。

この時の諦(あきら)めたとは絶望ではなく、むしろ人生で必要なもの・不用なものが明(あき)らかになった感覚である。

人間関係や過去の思い出の品々のほとんどがゴミのように思え、卒アル等はもちろん、過去の写真や手紙、SNSも辞めたりで、たくさんのものを捨ててきた。

そんな風にまとめて過去を断ち切ってきたこともあり、電話帳の整理などは比較的簡単な作業のように思っていたのだが。

今日のこの引っ掛かりは、自分の中にまだ何かかが残っていたということ。
この連絡先を消すことによって、本当の意味で、父親が亡くなったのだと自覚する恐怖。
父・子の関係性が終わるということは、私はもう「子供」でいられなくなるという恐れだったのかもしれない。

この恐れを抱えたまま、自立できるはずがない。

かなり迷いはあったが、数時間後にやっぱり連絡先は消すことにした。
終わらなくては、始まらないのだ。

消した後、何も無いけど泣きそうになった。

これは、思い出からの悲しみではない。過去の子供でいたかった自分との決別なのだ、と思った。

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