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#2 自分が働けなくなるなんて思いもしなかった②

2021.07.01ー

 地獄の休職期間が始まりました。

 体を元に戻すための休職期間なのに、「こんなに休んで職場のみんなに申し訳ない。」「大学まで出たのに休むなんて…。」と、自分を責めるようになってしまいました。

 「早く仕事に復帰しなくちゃ。」
       VS
 「仕事に行きたくない。」

が、常に頭の中で闘っていました。

 心療内科でもらった休職の診断書は、長くて一ヶ月。私は、その一ヶ月という期間にとても焦らされました。

 私が、休職してしばらくして、私の後輩が「急性胃腸炎」で倒れてしまいました。そのことからも分かるように、私の働いてた職場の環境は、「真面目すぎる人」「頑張りすぎてしまう人」「心が優しすぎる人」にとって、どれだけ過酷な場所だったか分かるはずです。

 本来、一ヶ月の休養では足りないのですが、後輩の休養が重なって、「早く戻らなければ。」と、さらに焦りました。

2021.07.31ー

 私は、まだ体も心も回復していないのに、仕事に復帰します。

 仕事中、笑顔が作れず、他のスタッフに気を配ってばかり。

 そして、ストレスから胃が何も受け付けず、食事を摂ることができず、復帰した初日の夜、私は倒れてしまいました。

 フラフラしながら次の日職場へ行き、仕事をしていても、復帰してしまった私も悪いですが、ついこの前まで休んでいたことなんてお構いなしに、どんどん仕事が振られます。

 その日、仕事終わりに、「頼むから、お願いだから、仕事もっと休んでくれ。もう、ボロボロだよ。」と、彼に言われてしまいました。

 私は、社会人一年目、保育士として保育園で働いていました。ですが、ブラックすぎて、電車に飛び込んでしまいそうになったことをきっかけに、一年もせず辞めています。
※またいつか、このことについてもお話しますね。

 職場では、リクルートの面接官でもあったので、履歴書の重みが分かっていたことと保育園を一年足らずで辞めていたことが重なり、「この職場はどうしても三年は続けないと。」という、「三年の呪縛」に取り憑かれていました。

 翌年の二月でようやく三年だったのですが、私自身、この職場はこれ以上いたら「死んでしまう」と思っていたので、一月末には退職しようと考えていました。

 ですが、彼に言われて、「一月末までもたないな。」と、感じ、休職期間を延ばしてもらい、そのままフェイドアウトしようかと考えました。

 翌日、職場に行くと職場の同僚が、休んでいる後輩のことについて話していました。

「すごい、困るよね。」

 つい、この前まで休んでいた私がここにいるのによくそれ言えるな、とも思うし、この前まで休んでいた人の前でそんなこと言える人と仕事したくないとも思ったし、“意図”をもって言っているのであれば、人の心が分からない人なんだなと思いました。どちらにせよ、私はもうそこにいたくありませんでした。

 その日の仕事終わり、上司に話し、正直辞めようとも思ってると伝えました。そして、同僚の話など、伝えたいことを伝え、その日以降また休職扱いになりました。しかし、今度は無期限休養になったのです。

 もう辞めると分かっていても、職場に所属していることには変わりなく、その呪縛によって、また私は苦しめられます。

 今思えば、あの時すぐ辞めていればよかったのですが、「三年の呪縛」がどうしてもあり、辞めるに辞めることができませんでした。

 産婦人科では、子宮頚がん検査の細胞検査が行われ、ストレス性の胃腸炎から座っていても眠れなくなってしまいました。

 加えて、回転性のめまい、耳鳴りがひどくなり、耳鼻科を受診したところ、「メニエール病」にかかっていることが判明しました。

 次から次へと病気になっていく負の連鎖、抜け出せるのか、不安になり、とうとう私は自殺未遂をしてしまいます。

 休職中、月に一度は、上司と面談があり、診断書を渡しに行きながら、話す機会があったのですが、「申し訳ありませんが、退職したいです。」と話し、2021年9月末での退職になりました。

 せめてもの救いは、上司との関係性が良好で終わったことです。上司からもパワハラを受けた過去がありますが、終わりよければ全てよし。

2021.10.01ー

 私はうつ病とメニエール病の治療に専念するようになりました。
※「辞める」となってから、胃腸の具合が良くなり、内科の治療は9月末で終わりました。

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