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なので何か雑記的なことを書き殴っていく。

コロナ。知らん。かかりたくはない。ただこの波で社会のあらゆる事が見直されたりしてずいぶん人々共通の価値観などが揺らいで行きそうだなと遠くから眺めてる。

4月、ほんとは沖縄に行きたかった。ただこの騒動で何か、心のどこかにブレーキがかかってしまった。初期の頃に気にせず行ってしまえば良かったものの少し躊躇してたらそのまま調子も崩しずるずると。

これらによって、3月頃頭の中で思い描いてた夏頃までの、何となくの計画は早くも破綻、とまでは行かずともどうにも狂ってしまった。ただそんな現実にもこうして文章に起こせるくらいには慣れてきた。それまではぶっちゃけ凹んで、ふてくされて生きることとか放棄しかけてた。今も大して胸張って生きてるとは言えないものの、すこし体調などは戻ってきた感がある。よかった〜。

Twitterで同じ病気を持つ人が、「生きることに対する執着の無さ」について呟いていた。それ、めちゃくちゃ分かるという話をしたい。

生きるってことに対してどうも多くの人が、当然のようにモチベーションを持ち合わせているように、自分からは見える。「生きるために働かなければ」「そんなんじゃ生きていけないよ、やっていけないよ」さらにそこに上乗せしていく様に色んな願望を生んではせっせとあれこれやり出す。

すごいなぁと、寝っ転がりながら思う。
自分なんて、自分の手という一番身近な物質さえ上手く扱えず液体の入った食器とか転がして、生きるのがめんどくさくなったりする。そうかと思えば好きな音楽を聴きながら少し散歩に出て、道の脇に好みの木なんて生えていようものならそれに魅入って、しばらく魅入って、それで何か、全部が満たされてしまった様な気になったりする。どうすんのよ。満たされちゃったよ。散歩で。あ〜。

有難いことに国からまぁまぁの障害者判定とそれに対する手当てとして年金て形で生活費を頂けているので、慌てて仕事を探す必要性も薄く。

最近は季節的にも心地良いし花とか沢山咲いてるし、それだけでもう何か、ハッピー。そうじゃない時も勿論まぁあるけど、その時のその感じはその時にとっては事実だし捨てがたい。

昨日なんて、珍しく近所の知り合いとバトミントンをやろうってなって公園で過ごしてたんだけど、その合間に中身の少量残ったいろはすのペットボトルを上空に投げてそれを自分でキャッチするって遊びを見つけて、それが楽しくて仕方が無くて、ずっと夜空に向かってペットボトルをほうってははしゃいでた。何ならバトミントンよりはしゃいでた。知り合いは全然乗ってくれなかったけど。楽しいんだけどなあれ。

特別な何かとか、別にあってもいいしそれに興じる時間もあっていいけど、こんな何でもない事に対して楽しみを見出したり笑えたり、そんな土台がこの社会の人々にもあって良いんじゃないかとか思う。てか個人的にそうだと助かる。気の合う人増えそうだし。

けどやっぱ沖縄には行きたいし、ウーバーイーツのバッグ背負って自転車漕いで料理運んだりしたい。それについては今進め中で何とか始められたらと思ってる。頑張るぞ。痩せたるぞ。

生きることに対してのあるべき執着は欠落気味だけど、それでも楽しみを見つけてこの星ライフ過ごしていけたらな〜と思います。

最近のことをざっと書いてみたけどもしこんなとこまで読んでくれてる方がいれば、お付き合いありがとうこざいます!

雑記おしまい👋🏼


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