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SNSとの付き合い方を考えてみた

SNSとの最初の出会いは、学生時代のMixiだった。今のSNS世代はMixiって知らない人の方が多いのかと思うが、Facebookが近いのかな。友達の招待がないとアカウントが作れない。文字数制限はなく(多分)、Instagramの写真やTwitterの140文字の呟きというよりは、テキスト多めでブログのように日常生活をつづった内容が多かった。

そのころから書くことが苦手だった私は、なんとか友達の招待を受けたものの、結局自分で書いて発信は1度もしなかった。もっぱら見る専門だ。

いつも興味がないふりをして友人の投稿を見ていた。
今日部活で顧問に怒られた、誕生日に友人たちとホームパーティした、彼氏と映画に行った。
SNSというものが走りだったころ、今のようにプライバシー保護などの概念が整っていないので、みんな書きたい放題、赤裸々にプライベートを暴露していた。

ある日友人が、仲のいいと思っていいた友達グループの集まりに、自分は声をかけてもらえなかったと嘆いていた。彼女はその集まりがあったことを、参加者のMixiを見て知ったらしい。

そのグループの子たちが、どういう意図があって彼女を誘わなかったのかはわからないけど、Mixiで気軽にプライベートを垂れ流すことで、傷つく人がいると知った。

その後も時代が進むにつれ、SNSはFacebook,Twitter,Instagramと増えていった。私はほとんどのアカウントをもっていたが、「見る専門」であることは変わらなかった。

友人のキラキラした自撮り写真を眺めたり、誰に対していっているかわからないように暗闇全開の呟きを見て、「よくやるなあ」と思っていた。

自分が投稿しなかった理由は、他人の投稿を冷ややかに見ていたこともあるが、SNSのマイナス面がとても印象に残ったからだった。

実習先の患者さんの事を投稿して実習停止になった同級生、大事な打ち合わせの日に病欠し、当日彼氏との旅行写真をアップする同僚、働いている会社を名指しして中傷する人たち。

モラルを疑うような投稿が目につき、SNSの投稿に嫌悪感と恐怖を覚えた。
こんなめちゃくちゃな投稿はしないまでも、誰がどこで見ているかわからないし、下手なことを書くのはやめておこう。そんな風に考えるようになった。

自分の発信の価値

投稿しなかったもう一つの理由は、自分の発信価値にが全くないと考えたからだ。こんなこと投稿してなんの意味があるのか。キラキラ女子になりたくて頑張ってて痛いと思われないか。もっと影響力のある人、映える人しか投稿しちゃだめなんだ、と心のどこかでおもっていた。

ひとつの書籍との出会い

そんなSNS食わず嫌いの私は、ある日衝撃的な書籍にであった。

いしかわゆきさんの「書く習慣」だ。

この書籍のなかで、
・自分の発信で世界が変わるなんて、どれだけ自意識過剰だ
・自分のために書く
・発信はメモ、人は大体忘れる
・SNSはコミュニケーション
という内容に衝撃を受けた。

これだけSNSが普通のコミュニケーションツールとして普及した今でも、起こるか起こらなかわからない炎上を怖がり、活用しようとしていない自分が恥ずかしくなった。

その日から、少しづつSNSでの投稿を訓練するようになった。

Twitterがメモになった

ちょうどそのころオンラインスクールを始めた。オンラインスクールではTwitter発進によるoutputを推奨していた。某オンラインスクールにとってはUGCを利用したい目的があったのだろうけど、とりあえず勧められたことは素直に実践してみた。

最初は勉強の進捗を発信するのが中心だった。

今日の進捗
☑●●コースDay1
☑●●イベント視聴
☑英語

まるで手帳のTodo listをそのままTwitterで晒していた。こんなこと晒して何になるんだ、と思っていたのだが、「この発信意味あります?」なんて苦情は来なかった。当たり前だ、私が自分のTo doを晒したところで、誰にも影響を与えないし、迷惑もかけない。今まで自意識過剰だったことが実感できる。

どうでもいい日常や自分の気持ちを吐露するだけだったのだが、反応をくれた人たちがいたのも嬉しかった。コロナ禍で失われたコミュニケーションが場所を変えて作られた気がした。

コミュニケーション以外の利用としては、完全に自分のメモとして使うようになった。その時に考えや、閃いたこと、本の感想など、今までは特に書き留めることもせず、そのまま忘れ去られていた思考を、文字起こしておくだけで驚くほど記憶に残った。

insta経由で顔見知りが知り合いになった

Twitterは最近アカウントを作ったのだけど、instaはもともと持っていた。こちらも見る専門で、ほとんど投稿もしなければ、投稿者へのコメントもしていなかった。特にinstaは直接の知り合いが多い分、下手なことを書けないだろうという意識が強かった。

Twitter投稿に慣れた勢いもあった、instaも徐々に更新するようになった。Twitterほど頻度も高くないし、なんでも簡単にupしないけれど、なにげない日常や趣味を投稿したし、他人の投稿にも反応するようにした。

そうすると、今まで顔は知っているけど、話したことがないような人たちからもコメントや承認申請をもらうようになった。実際に会った時も話しやすくなったり、SNSの投稿を話の話題にするのも多かった。

今の若い子達って直接話しかけるより、SNS経由の方が話しかけやすいのね。。。

決してSNS活用世代ではない私にとっては結構驚いたのだが、今の世の中の傾向なのであれば、嫌悪ばかり見せずにどんどん活用していこうと思った。

SNSとの付き合い方

SNSが普及する前に生まれ、多くの学生時代を過ごした私にとって、なかなかSNSを受け入れるのに時間がかかった。まだ教育もモラルもしっかりなかったので、社会問題になるようなマイナス面ばかり気になっていた。

もちろん、SNS経由で他人を中傷したり、プライバシーを侵害するような投稿がなくなったわけではないし、犯罪も起こりやすい。

しかし、今や日常のコミュニケーションツールとして地位を獲得し、広告効果はテレビCM以上と言われている。どうやって活用するのが正解なのか、誰にもわからないからこそ、自分の頭で考えてうまく活用していきたい。

ただ、映える投稿ってやつはできそうにないな。。。

いや、必要ないか。




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