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FACTFULNESSと出会い考えたコロナ禍

「FACTFULNESS」スウェーデンの医師であり、公衆衛生学者が主体となって書いた著書。2018年発売以降、世界中で大ベストセラーとなり、各界の著名人も大絶賛している。

名前は何となく知っていたけれど、どうせ意識高い系のビジネス書だろうと敬遠していたのだが、ひょんなことから手に取り、読み始めたところ、なんとも面白い、そして読みやすい。ビジネスじゃなく、私たちの普段の生活や気持ちの持ち方にも役立ちそうな内容が詰まっていた。

この本を読んだとき、一番リアルに感じられたコロナ禍という現象について、全く持って個人的な意見だが書いていこうと思う。

FACTFULNESSとは

FACTFULLNESSとは、ドラマチックすぎる世界の見方をせず、事実に基づく世界の見方をすること。そのためには人間が持つ10個の本能を知り、それを抑えるために、知識のアップデートを怠らないこと。

10個の本能とは、
「分断本能、ネガティブ本能、直線本能、恐怖本能、過大視本能、パターン化本能、宿命本能、単純化本能、犯人探し本能、焦り本能」

10個の本能に振り回された私たち

本書が発売されたのは2018年、このあと2020年からコロナ禍になった。まさにFACTFULNESSにある10個の本能によって世界中が大混乱に陥った。

日本も例外ではなかった。感染者数あたりの死亡者数は多くなかったが、人々は、まるで感染したらほとんどの人が助からないかのように怯えた。

1)感染者は犯人か(恐怖本能、犯人探し本能)

最初にコロナ感染が増え始めた時、感染経路は明確になっていなかった。飛沫感染、空気感染などが濃厚であったが、電車ですれ違っただけや、同じ空気を吸っただけ、後ろにいる人が咳をしただけでも感染するという噂も広まった。

根拠のない感性経路を勝手に妄想し、感染者のケアをしている医療従事者や家族を煙たがり、感染が多い地域の人たちが地方に帰省すると嫌がらせされたりする事態まで起きた。まるで感染者や関わったひとを犯人かのように仕立て上げた。

悪いことが起きた時、単純明快な理由(犯人)を見つけたくなる。しかし、ウイルスに感染するなんて不可抗力だ。暴行や殺人事件と違い、明確な犯人がいるわけではない。

まさに恐怖本能犯人探し本能が巻き起こした事態だった。

2)「外出自粛要請」とは(焦り本能)

感染者数の増加、海外でのロックダウンが始まると、日本政府も早期の対策を求められ、緊急事態宣言を発令した。そして「外出自粛要請」という言葉をうみだした。

自粛(自分から進んで慎むこと)を要請(強く願い求めること)するってなに?なんとも筋が通らない。

良くも悪くも日本人の同調圧力により、街からは人が消え、外に出ているひとへの批判まで起こった。

「みんなが我慢していいるんだから我慢しろ」と、イベントや外食そのものが否定され、だんだん何のために外出を控えているのかわからなくなった。

焦り本能により、恐れに支配され冷静な判断ができなくなる。目的を見失い、周りを監視し合い、少しでも空気を乱すと否定される。そのせいで「自粛要請」という突っ込みどころ満載の言葉が生まれ、飲食店は経営難になり、イベント関連のスタッフは仕事を失った。

3)報道による混乱(ネガティブ本能、過大視本能)

「感染者数3日ぶりに1000人を超す。」
「東京都5日ぶりに新規感染者が3000人を下回る。」

ニュースは、比較が分からない方法で、毎日感染者数を大々的に報道した。

多くのマスメディアは、緊急事態宣言が始まると、飲食店の店主の声で同情を誘い、宣言解除前になると感染者の体験談で人々の恐怖と不安をあおった。多くの人はニュースを鵜呑みにし、正しいデータをもとに考えようとはしなかった。

過大視本能を理解し、もう少し体系的に数値を理解することができれば、日々の感染者数がどういう動きをたどっていたのか、これからどうすべきなのか考えることができたはずだ。

人はネガティブ本能により、悪いニュースの方が広まりやすいと知っていれば、ここまでマスメディアに翻弄されることはなかったのではないか。

4)薬局からマスクが消えた(焦り本能)

マスクの買い占めのため、開店前から薬局に並び、手に入らないと定員に怒鳴り散らす人もいた。このマスクパニックを解決するために「アベのマスク」が生まれた。

このアベノマスク、品質や配布時間の遅さから、とても不評であった。アベノマスク政策を仕切った国会議員でさえ、配られたアベノマスクを着けている姿はほとんど見られなかった。

多くの批判が上がったが、アベノマスクを生み出したは、まぎれもない日本国民だった。焦り本能からマスクの買い占めや定員への暴力行為がなければ、みんなが冷静になって判断すれば、あのマスクは必要なかったのでは。実際にだれも付けてなかったしね。

我が家は袋から出してすらいない。

5)FACTFULNESSの実践

時間が経つにつれ、COVID19のウイルスによる脅威から、コロナ禍というウイルスによる人間の脅威になった。FACTFULNESSの語るドラマチックな本能に支配されてしまった。

私自身も例外ではなく、テレビやSNSの情報を鵜呑みにしていた。コロナ感染どうこうよりも、自粛要請を守らないと非国民のような扱いを受けることを恐れたし、外出している人たちの事を理由もわからないのに疎ましくおもった。

この先の未来、また同じような状況が起こった時に、ドラマチックな本能に気づき、それを抑えて冷静な判断ができるのだろうか。今回のような大きな混乱だけでなく、日常生活においてもFACTFULNESSを実行して、正しい判断をできるだろうか。

感情が支配を受けているひとりの人間としては、とても難しいことだと思う。ただ、この本に出合ったからには、FACTFULNESSな見方を訓練し、実践していきたい。

 コロナ禍により変化した生活

この本のネガティブ本能の章でも述べられているように、悪かったことに目がいき、記憶にも残りやすい。それだけでは、この本に出合った意味がないので、いいことにも目を向けてみたい。

1)コロナで衛生観念上がり、無理せず休む大切さに気付いた。

手洗い・うがいは風邪の予防に効果があることは提唱されているけど、なかなか十分に実施できていなかった。ちょっとくらい体調が悪くても休まずに動いた。食事も睡眠も適当になり、常に身体は疲れていたが、自覚がなかった。

コロナ予防のため基本的な予防対策をし、免疫力を高めるために食事を見直し、体調が悪いときは休む。当たり前のことが当たり前にできていないことに気づくことができた。

2)テレワーク化が進む

人流を止めるため、多くの企業でテレワークが始まった。それに伴い今まで紙媒体で動いていた書面の電子化が進んだ。

私の勤める会社は、もともとテレワーク制度があったものの、利用している人はごく少数だった。会社の規定で利用する権利は全員にあったのだが、小さな子供がいたり、健康上の理由がないとなかなか利用申請できなかった。なんとなく圧力みたいなものがあり、「テレワーク=さぼっている」と思われる風潮があった。紙の書面も多く、扱うためにはOfficeにいることが必要だったし、会議は対面が基本であった。

しかし、強制的にテレワークにすることで、家でも仕事ができることを社員全員が実感できた。もちろん家で仕事をするのが難しい環境の人もいるが、テレワークという選択肢が増えたことは間違いない。

それにより、出勤時間も、通勤のストレスもなくなり、家での時間を大切することができた。

3)人と会える、一緒に食事を楽しむことの価値を再認識できた

今まで当たり前にしていた、友人と会って食事を楽しむこと、これがコロナ禍で制限された。確かに、面倒なお付き合いは減ったので、そいう意味ではよかったのかもしれないが、好きな友人や家族とお酒を交わしながら語りあうという時間は、自分にとってかけがえのない時間だと実感した。

最後に

世界が大混乱に陥ったコロナ禍という現象。私がこの本を読んだのは、コロナ禍が落ち着いた頃だったが、コロナ禍が始まる直前に発売されたこの本には、今回の混乱を予測したような内容が見事に書かれていた。

この本をもっと早く読んでいたら、コロナ禍をもっと冷静に受け止めて、自分なりの正しい判断ができたのではないかとさえ思ってしまう。

この先、コロナのような未知の感染症が蔓延する可能性もある。感染症だけでなく、戦争や経済危機など、自分に関係ないだろうと思っている危機が身近に起きる可能性だってある。そんな大ごとではなくても、今までもこれからも人生は困難だらけだ。そんなとき、ドラマティックな本能に支配されず、少しでも冷静に考えながら、自分なりの幸せを自分で見つけていくことができたら良いな。


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