見出し画像

遺された五線譜⑥/12

四小節

 通された応接間は、建物の外観から想像していた通りの豪華な空間だった。
 天井が高く、シャンデリアの上には木製のファンがゆっくりと回っている。飾り棚には様々な賞を獲った記念なのだろう、クリスタルや金文字の立派な盾が並んでいた。
 大きな一枚ガラスの窓からは手入れの行き届いた庭が目に映る。きれいな花々は飾られた絵画のように部屋の中に彩を添えていた。
 右奥のグランドピアノは亡くなられたご主人が愛用していたのかな。それにしては埃もかぶっていないし、蓋が開いて鍵盤が見えている。まるで、今まで誰かが弾いていたみたいだ。
 そこまで考えてから、ふと思った。
 あれ、僕もけっこう観察できている気がする! 無意識のうちにこんな風に見れるなんて、少しは成長しているじゃないか。と、自分で自分を褒めてみた。

「わざわざおいでいただき、ありがとうございます」
 そう言って頭を下げたのが岩見沢夫人、今回の依頼人だ。
 ご主人が生誕百年という割には奥様はお若い。まだ六十歳くらいだろうか。
「こちらこそ不躾なお願いを聞き入れて頂き、ありがとうございました」
「武者小路会長とは何度かお会いしたこともありますし、先日お会いした時のあなたの言葉は、決して興味本位ではないと感じました」
 いや奥様、騙されてはいけません。
 先輩は興味津々なんですよきっと。ただし下世話なものではなく、純粋に謎への興味ですが。
「あの、失礼ですが奥様もピアノをお弾きになられるんですか」
 あっ! それ、僕が聞こうと思っていたのに美咲さんに先を越された。
 うーむ、油断できないな。
「ええ。今でもたまに弾いております。実はわたくし、主人の生徒だったんです」
「ピアノを習っていた、ということですか」
 今度は先輩がたずねる。僕の出番はない。
「中学生のころから教わっていました。まだ主人の曲がこんな風に認められる前で、なんだか音楽家らしくない人でした」
 岩見沢さんのことを思い出しているのか、庭の方を見やりながら穏やかな笑みを浮かべている。

「とっても茶目っ気があるというか、いたずら好きな子どもみたいな人で。それは亡くなるまで変わりませんでしたね。あの純真さが創作活動には向いていたのかもしれません」
「私もそういう方に魅かれます。手助けしてあげたくなるような」
 そう言って美咲さんは隣をチラッとみたけれど、先輩の方は気づく様子もなく奥様の話を愛用のモンブランでメモしている。
「花が咲いただけで喜ぶんですよ『ほら、花が咲いたよ!』って。つぼみが出来ていたんだから、いつかは咲くのが当たり前だと私なんかは思ってしまうけれど、主人は驚いたようにはしゃぐんです。その笑顔が好きで、この庭も一年中花が咲いているように作ってもらいました」
 なるほど。ここから見る庭の華やかさにも納得がいく。
 亡くなられた岩見沢さんにも会ってみたかったな。

「では問題の楽譜を拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
 一呼吸おいて先輩が切り出すと、奥さまは隣に置いていたファイルから五線譜を取り出した。僕が想像していた楽譜のようなものではなく、四小節しか書かれていない。

遺された五線譜


マガジン表紙2

遺された五線譜⑦ 偽物の作法

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?