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遺された五線譜⑦/12

偽物の作法

「もう亡くなって十五年になりますが、二階にある主人の部屋にはたくさんの本が残っています。年に数回は虫干しをしていて、今年の春、ある本に折りたたんだまま挟まっていたのを偶然見つけまして……。走り書きのようですし、主人が作るものとは曲調が違うと思ったんですが、音符の書き方は主人のものに間違いありません」
「何か特徴があるんですか」
 テーブルに置かれた五線譜を、先輩の指示でデジカメに記録した。
「黒丸を直線状に、しかも斜めにNの字を書くような癖があります」
 言われてみるとそんな書き方に見えなくもない。
 先輩も美咲さんも体を乗り出して、五線譜に顔を近づけている。
「筆跡鑑定みたいに楽譜の鑑定とかできるんですかね」
 思わずつぶやいたら、先輩がこちらへ顔を向けた。
「そういうのは聞いたことがないね。もしあれば、こんなトラブルも解消できるんだろうけれど……」
「でも、結婚する前からずっと近くにいらした奥様がおっしゃるのですから、これは絶対に岩見沢さんが書かれたものだと思いますわ」
「あの、もしよろしかったらこのフレーズを弾いて頂けますか?」
 無視されて少し頬を膨らませた美咲さんに構うことなく、先輩は奥様に声を掛けると手帳に視線を落とす。

 奥様が五線譜を手に立ち上がり、ピアノへと向かう。
 鍵盤の蓋を開けて椅子に座った。
 五線譜を譜面台へ置くと、ゆっくりとしたリズムで弾き始める。
 何かミステリーのBGMみたいに始まったかと思ったら、和風な感じになり、不協和音のようになった。唐突な終わり方だし。
 僕にはこれが素晴らしいのかどうか分からない。ただ、何となく違和感を感じる。
「なるほど……確かに岩見沢先生の作品とは思えないような旋律ですね」
 先輩と同じように思ったのか、美咲さんは視線を足元に落とした。
 口を一文字に結び、奥様がこちらのテーブルへゆっくりと戻り椅子へ座る。

「でも、だからこそ岩見沢先生の作られた曲だと思います」

 その言葉に、美咲さんも奥様もはっと顔を上げた。
「どういうことですか」
「よく考えてごらんよ、鈴木くん」
 思わず聞いてしまった僕へ先輩は微笑みかける。
「仮に、これが誰かの作った偽物だとしよう。偽物を作る時に考えることは何かな?」
「考えること、ですか……」
「有名ブランドの偽バッグを作ることを思い浮かべれば、すぐ分かるでしょ」
「わかりました!」
 えっ、まずい。美咲さん、もう分かっちゃったの?
「偽物を作る時に考えるのは、《本物に似せようとすること》ですわ。本物と思わせるために」
「そうか。これが偽物なら、岩見沢さんの曲調を真似て作るはずですよね。だけど奥様も先輩も曲調が違うと感じた。と言うことは、これは本物のはずだ!」
 大きくうなずく先輩へ、奥様が頭を下げた。
「ありがとうございます。そう言って頂けて、うれしいわ」
「ただ、もっと明確な決め手がないとマスコミは納得しないでしょう。もう少しお時間を頂けますか」

 奥様から何度もお礼を言われて岩見沢邸を後にした。
 曲調が異なるからこそ本物である、という先輩の見解を聞いて気持ちが楽になったそうだ。
「でも、あの譜面が岩見沢洋樹の書いたものだ、っていう決め手ってあるのかしら」
 助手席の美咲さんは外の景色を眺めている。
 このまま事務所へ戻って作戦会議をすることになり、先輩の車で移動中。僕は後部座席に乗り込み、助手席は彼女に譲った。
 あくまでも譲ったのは席だけで、助手の座を譲る気はない。
「岩見沢さんの指紋が付いているか調べてみたらどうですかね」
 運転している先輩へ話しかけたつもりが、美咲さんから答えが返ってきた。
「指紋が残っていても岩見沢先生が書いたとは証明できないのではないでしょうか。生前に使っていたノートへ新たに書き加えたと仮定すれば、そこに先生の指紋が残っていても不思議じゃないと言えます」
 うーん、確かに彼女の言うとおりだ。

「それもナントカ法っていう考え方ですか?」
「仮説演繹法のことをおっしゃっているなら、違います」
 なんだか突っかかってくる言い方だよなぁ。僕がちゃんと覚えていないのも悪いけれど。
「せっかく難しい理論を勉強されたのだから、さっきみたいに感情的な判断はもったいないですよ」
「いつ私が感情的に?」
「奥様がおっしゃってるんだから本物に違いないって」
「あれは……。それなら鈴木さまはあの譜面が偽物だと思っていらっしゃるんですか」
「そんなことはないですよ。僕は初めから、奥様が偽物を作るメリットがないと言っていますから」
「もう二人ともその辺で」
 ずっと黙っていた先輩が口をはさんだ。
「私を含めて、三人ともあれは岩見沢さんが書いたものだと思っている。それならやるべきことは一つ。みんなで知恵を出して、決定的な証拠を見つけようよ」
 ちょっと熱くなってしまった。ここは反省しなくては。
「すいませんでした」
「耕助さまがおっしゃるように、私たちが力を合わせて奥様の名誉を守らなくてはいけないのに。ごめんなさい」
 車が左に曲がり、煙草屋の看板が見えてきた。
「それじゃ、まずは先輩が淹れてくれるおいしい珈琲で休憩しましょう」
 笑みを浮かべたまま、先輩は駐車場へとハンドルを切った。


マガジン表紙2

遺された五線譜⑧ 四つの仮説

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