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遺された五線譜⑤/12

ライバル登場

 あの記事が出てから一週間が過ぎた。トップ見出しではないものの週刊誌にも取り上げられている。中には奥さまが売名行為のために捏造したのでは、などというものまである。
 きっと昨日のコンサートにも記者が大勢押し掛けたんじゃないだろうか。
 先輩たちが楽しめていればいいけれど。
「おはようございます」
 煙草屋のおばちゃんを避ける新しい妙案が浮かばずに、今朝も二十分ほどおしゃべりにつきあってきた。
 いつものように先輩はソファに座り、日課となっている新聞のチェックをしている。
「おはよう。珈琲は残してあるから自分で入れて」
 新聞から目を離さず右手を軽く挙げたのに黙って応え、ミニキッチンへ行きカップに珈琲を入れた。
 席に戻り、カップを持ち上げると芳ばしい香りが胸いっぱいに広がる。

「昨日のコンサート、どうでした?」
 すぐに顔を上げたけれど、心なしか浮かない顔に見える。
「素晴らしいコンサートだったよ。生誕記念ということもあってか、楽団もよくまとまっていてとてもよかった」
 言葉とは裏腹に、やはり華やかな気分が伝わってこない。子どものように思っていることがそのまま表面に出てくる人だから、わかりやすいんだよな。まさか。
「美咲さんと何かありましたか? せっかくのコンサートなのに喧嘩なんかしてないでしょうねぇ」
「え、なんで美咲さんと喧嘩するの?」
 的外れな答えが返ってきたところを見ると、彼女とは問題なし。
 それじゃぁ何があったんだろう。
「コンサートが終わってから岩見沢さんとお会いしたんだよ。あぁ、もちろん奥様とね」
 それぐらい僕にも分かります。
 先輩が幽霊と交信できるなんて思っていません。
「例の楽譜の件でとても心を痛めていてね。故人をしのぶ記念の日にもかかわらず、笑顔も少なくて見ていられなかったんだ」
「僕も気にしていたんです。週刊誌にも面白おかしく取り上げられているから、大変なんだろうなぁって」
「そこでね、鈴木くん――」

「どうして鈴木さまがここにいらっしゃるのですか!」
「それはこちらの台詞です。どうして美咲さんがいるんです?」
 事務所からデニムブルーメタリックのボルボV40で約二十分、百済菜(くだらな)市郊外の岩見沢邸の前に着くと紺色のワンピースに揃いの色の帽子をかぶった彼女が立っていた。
 車から降りたのが先輩だけではなかったことに、ちょっと驚きながら怒っている様子。
 僕たち二人に挟まれた先輩は、まぁまぁと両手を広げた。
「例の楽譜について真偽を調べるのだから、助手の鈴木くんは欠かせないでしょう? 奥様と美咲さんは先日のコンサートでお会いしているし、一緒にいてもらったほうが話を聞くにはいいかと思って」
 まぁ言われてみれば確かにそうかもしれないけれど、美咲さんの視線がこわい。
 絶対に僕を敵(ライバル)視している。きっと助手の座を狙っているんだろうな。わざわざ本場でホームズの何たら理論を学んでくるくらいだし、先輩のそばにいられるわけだし。
 でも僕だって簡単に手放すわけにはいかない。やっとやりがいのある仕事に出会ったのだから、ここはしっかりと助手らしさをアピールするつもりでインターホンに向かった。
「待って、鈴木くん」
 ボタンを押す直前で先輩に止められた。
「君は奥様と面識がないんだから、私が話すよ」
 いけない。焦って先走ってしまった。
 美咲さんがクスッと笑うのを横目に、右後ろへ下がって先輩と入れ替わる。
 電子音が鳴り、しばらくすると落ち着いた感じの女性の声が聞こえてきた。
「こんにちは、先日お会いした武者小路です。例の楽譜を拝見しにお伺いしました」


マガジン表紙2

遺された五線譜⑥ 四小節

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