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双極性障害 ママへ うつ病を抱えているたった1人の私の母
ご覧いただきありがとうございます。
双極性障害、躁鬱ギャルのるるです。
私のたった1人の母について、書いていこうと思います。
ここではあえて、いつも慣れ親しんで呼んでいた、「ママ」と書かせてください。
ママ。
私のママは私が生まれた時に、うつ病になりました。
ママの方のおばあちゃん曰く、ママは小さい頃から少し変わった子だったらしいです。ママは4人兄弟の長女でした。
私はママがどこか寂しい思いをして育ったのではないかなと思っています。
そんなママの体調は私が大きくなるにつれて、悪化していきました。ママは家事をほとんどできませんでした。だから、私はママのご飯の味を知りません。母の味というのは私には少し遠い言葉です。でも私は覚えています。ママのシーチキンご飯を。友達が遊びにきたときに特別に炊いてくれるご飯でした。嬉しかったんです。
それからママは寝てることが多くなりました。
家事もできずにずっと寝ていました。いいえ、これは自らしなかったとも思えるような、そんなふうに思ったときがありました。
ママはおしゃれをするんです。
学校のイベントの時は、友達と出かける時は、ピカイチのおしゃれをして出かけます。眉毛サロンもネイルサロンも美容院も、毎月通ってました。
でも、家では寝てばかりです。
出かける元気はあるのに、家事はできないんだ、そんなふうに思う時がありました。
そしてママは巨額の借金を作りました。
その事実が明かされたのは、家族で動物園に出かける早朝のことだったそうです。
その事実を聞いた父は、憤りをなんとか抑えて、動物園に私たち姉妹を連れて行ってくたそうです。その後、私たち家族は借金返済に追われます。しかしさらにママは家計に追い討ちをかけました。浪費をやめないのです。ブランドの服、美容、食。ママの浪費癖は続きました。
ママは過食症だったと思います。
夜にドラマを見ながらたくさん食べていました。これが私の癒しだとずっと言っていました。
ママは度々、事件を起こしました。
この件については深く触れないでおきます。
そしてママは自分の母親と疎遠になりました。
私はママもママだけど、母親も母親だなと思いました。私はママが可哀想だと思うことが何度かありました。
ついに、
家族は崩壊しました。私と姉はママと離れて暮らすことを選びました。でもその時にはそうするしかなかったんです。明日を、今日を生きるのに必死だった私たち姉妹は、より明るい未来を求めて家を出ました。その時すでに父は家に帰っていませんでした。
でもこんなママでも
いつも私の夢を応援してくれました。小さい頃、ママが私の名前を呼んでくれた声を忘れません。風邪を引くと怒られたけど、本当は心配してくれてたこともちゃんと行動で伝わってます。少し調子が戻ってきて、少し頑張って働いて、レトルトだけど夜ご飯を作ってくれたことも嬉しかった記憶です。誰にも変えられない、たった1人の私のママです。ママ元気にしてるかな…?私から離れていったのに、いつも気になってしまいます。
ママはうつ病の診断を受けてたけど、
たぶんあれは双極性障害だったのかもしれないです。ママは1人で戦っていたと思います。誰にも助けてと言えず、上下する波に翻弄されていたのだと思います。今なら私が、助けてあげられるのかな。でもママには治したいという気持ちをあまり感じられなかった気もします。そのかわり私は絶対に自分の双極性障害を治そうと思うことができました。反面教師かもしれないけど、ママがいたから思えたことです。
ママがくれた命を精一杯生きる。
これが今の私にできることだと思うから。
ママ、私すごい人にはなれないかもしれないけど、頑張るね。
ママも身体には気をつけてね。
ここまでご覧いただき、ありがとうございます。
私の書きたいことを書いてしまいましたが、何か伝わったものがあれば嬉しいです。
またお会いしましょう!!
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