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双極性障害の私が憧れる「普通」とは 

ご覧いただき、ありがとうございます。
双極性障害の躁鬱ギャルるるです。

今日は私の思い描く、私がなりたかった「普通」について、書いてみたいと思います。

まず、率直に私が思う普通をここに記します。

生まれる
幼稚園に通う
小学校に通う
中学校に通う
高校に通う
恋愛をする
四年制大学に通う
一般企業に新卒で就職する
結婚する
子供を授かる

老後
趣味をする
旅行にでかける


これが私の中の普通であり、理想です。
ここのあたりまで、普通という理想図が私の中にはあります。
抜けている部分はきっと、普通を知らないから理想を描けないでいるのだと思います。
描ける部分はいつも、誰かを見てきて、「こうなりたい」と思った、または「これが普通だ」と生きている中で自然に思わされたところだと思います。

この普通理想図は"高校に通う"ところまで、なんら変哲もなく、達成されました。
家庭環境こそ悪かったものの、私は社会生活においてはありきたりな人生を送ってこられたと思っています。(ここで言うありきたりは私にとってはとてもありがたいことです。)
厳密に言えば、私の理想の普通には、家庭環境と言う項目も入れたいところです。が、生まれる家庭は私が選べることではないで、今回はあえて触れないでおきます。(私の家庭環境については、後日改めて記事にする予定です。)

そして、この私にとって普通であり、また理想だった普通は、双極性障害によって蝕まれました。
16歳というタイミングで、私の運命の歯車は狂っていきます。

双極性障害と診断、家庭環境悪化、両親の離婚、姉との二人暮らし、お金がない生活、不純な異性交友、自傷行為…

私の普通理想図にはない項目が一気にたくさん入り込んできました。
そして結果、私は様々な要因から四年制大学に行くことができず、普通理想図からかけ離れることになります。

そんな私が選んで進学したのは、専門学校でした。それでもその時は、専門学校に入れたことが嬉しかったです。
専門学校では就職活動もしました。
このままいけば、軌道修正か、、?と思われるタイミングで、また私は双極性障害に好機を奪われます。
就職活動はおろか、専門学校も休学することになり、ここから私は人生に自信を失います。

その後しばらくアルバイトをしていた私ですが、働きすぎてしまい、体調を崩します。
それから一切働けなくなり、今に至ります。

理想の普通を失った今、私はそのことを目の当たりにすると何度も絶望します。
この先、生きていくことに価値を感じなくなる時もあります。
でもどうにかして、毎日を紡いで、起きて食べて寝て、薬を飲んで、と繰り返して生きています。
こんな私でも、家族も友人もみんなが私を、私以上に大切に思ってくれているとわかるから、頑張れるのかもしれません。
これは理想なんかではなく、私を縛り付け、他のより良い私に合った人生への導きを遠のかせているのは、気づいています。

それでも私は自分の描いた普通に、今でもとらわれながら生きています。

私の普通はやはり理想ですか?
理想が高いですか?

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

またお会いできることを楽しみにしています。

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