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「イジーさんに連れられて」第一話

あらすじ
 
 子供専門の人攫いイジーは、農村で不当な扱いを受けていた兄妹を誘拐する。
 当初は警戒心を抱かれるイジー。だが、その目的が不遇の子供を孤児院に連れて行くことだと知った兄妹は、少しずつ心を開いていく。
 しかしイジーが懇意にしていた孤児院には、イジーも知らない裏の顔があった。
 果たして、イジーと兄妹に待ち受ける運命とは――


プロローグ

 怒号を背中に浴びながら、彼は一目散に駆けていた。
 彼が走り抜ける度に、地面を滑る靴底が乾いた土を巻き上げる。農村内の道には白く埃っぽい土煙が蔓延し、この騒ぎに家屋から顔を出す村人たちは、顔を顰めて咳込んだ。
 
 何事だ。
 村人たちの視線が捉えるのは、逃走劇を繰り広げる二人の男の姿。
 
 前方を疾走するのは、薄茶色の外套を着た年若い青年。頭を覆うように無地の青いバンダナを巻き、肩から提げた鞄が腰元で暴れている。旅人のような装いから、村の住人でないことは一目で理解できた。

「――待でど、いっでっだーッ!」

 彼を追走するのは、この農村に住んでいれば嫌でも顔を覚える、髪の薄い大柄の男。
 村人のほとんどが農奴である中、あの男は自由農民である。自らの土地を持ち、それなりに奴隷を抱える立場は格差の象徴だ。
 これを鼻にかけ、不遜な態度を振りまく男を、村人の誰もが快く思っていない。
 だが下手に逆らって目をつけられれば、仲間を従えて報復される。ついこの間も、辛抱耐え兼ねた夫婦が注意をしたら、夫は顔面が腫れ上がるまで暴力を受けた。そして家の前に、腐った獣の死体を投棄される嫌がらせも行われている。
 だからあの男と関わり合いにならないことは、村人の間で設けられた暗黙の了解だった。

 しかし、旅人はきっとそんなことは知らない。
 それを裏づけるように、彼が両脇に抱えているモノ。まるで荷物扱いで、腕全体でガッシリと掴んで離さないのは、あの男の元で働く二人の子供だ。
 若者たちが出稼ぎに村を離れていく中で、子供というのは珍しい。それもまだ年端を超えるか超えないか。濃い褐色肌とともに、誰もが深く印象に残っている。

 しっかりものの兄と、それを支える妹。
 大人顔負けの精神力と要領の良さもあり、多くの者は兄妹を可愛がった。
 けれど横暴を繰り返す男は、ちょっとした不手際にかこつけて子供たちを虐め、日々のストレスの捌け口にした。そんな事情を知っている村人たちは、旅人が子供を連れて逃げる様子を目の当たりにしたとき、皆一様に同じことを考えていた。

 理不尽に虐げられる兄妹を不憫に思い、善意を爆発させたのだろう。
 そして――余計な真似をしてくれた、と。

 男への不興は、村人たちへのとばっちり。兄妹が虐めを受けているのを知りながら、これまで誰も救いの手を差し伸べなかったのは、とても分かりやすい防衛本能。
 ゆえに旅人と男の逃走劇を見届ける者たちの目は、非常に冷め切ったものだった。

『……』

 とはいえ、人間とは身勝手な生き物。
 兄妹を不憫に思う気持ちに嘘偽りはない。
 誰もが成しえなかったことを、あの旅人は臆せずやり遂げた。
 哀れな兄妹を、家畜以下の価値しかない男から救い出したのである。

 決して表情にこそ出さないものの、内心それを称賛する者は少なくなかった。その証拠に男の手助けをする村人は、この場に一切存在しない。

「おめら、はようそいつからガキども取り返せ!」

 絶叫を繰り返す男の怨嗟が、村人たちに向けられる。
 ぶるりと臆する気持ちに負けて、数名の村人が走り出した。しかしその足取りは重く、無理して追いつこうという気概は見られなかった。

「――助けてくれ!」

 そのとき、旅人に抱えられた兄が大きな声で叫んだ。

「こいつ人攫いだ! 誰か助けてくれ……っ!」

『……』

 束の間、呆然とする村人たちの静寂があった。

 男こそが悪人だと思う先入観。
 旅人が正義だという決めつけ。
 ようやく立場の逆転を悟った頃には、時すでに遅し。
 
 兄妹を抱える旅人は、脱兎の如く農村から姿を晦ませていくのだった。


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