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「これが良い」を選んで、自分の心を満たしたい。

日々の生活は、ほんとうに選択の繰り返しだ、と思います。

朝は何時におきる?
(わたしはおやすみだけど、家族は仕事だなぁ)
朝ごはんは何を食べようか。
お弁当のおかずも必要だし、たまご焼きをつくったほうが良いかな。
明日は朝はひんやりするけど、日中は暑いみたいだし、何を着ようか…などなど。

朝から晩まで、無数の「あれもしなきゃ、これもやらなきゃ」に追われると、ひとつひとつの選択に時間をかける余裕がなくなります。
「とりあえず、これでいいか」をつみかさねることが続くと、なんとなく心がささくれだってきて、自分の気持ちが分からなくなる…。

うっかりすると、そんな生活になってしまう傾向があって、まさに今がそんな時なのです。

「あ。今、なんだかよくない感じがするな」と思い、読み返しているのが、この本。


手に取ると、ほっとするような
温もりのあるデザインが好きです。

文筆家の安達茉莉子さんが、知人のYさんから「生活改善運動」という言葉を教えられ、それを実践していくなかで起きた変化について綴ったエッセイです。

「生活改善運動」という固い響きに身構えそうになりますが、その本質は真摯でありながら軽やかなもの。

自分が本当に好きなもの、居心地と良いと思えるもの、
口にしたり身につけたりしたときに嬉しくなるものは何か?
常に自分の心にそう問いかけて、ものごとを選び、生活を変えていくことを目指すものです。

たとえば、先述のYさんは、買い物に時間をかけます。



決断すること、判断することはときに、というか大体ストレスだ。
Yさんは物事をいつも真剣に選んでいた。何かひとつ買うにも、時間をかけて、レビューやレポートを読み漁って、足繁く通って、買わないときは買わなかった。そのすべてを楽しそうにやっていたわけではない。ため息をつきながら、眉間に皺を寄せて、ときにはうめき、苦悩しながらやっていた。物事を選ぶには、こんなにも労力がかかるのかと私は横目で驚いていた。
そんな生活、大変ではないか?と思うかもしれない。実際、Yさんはよく嘆いていた。
「ほんまに、人生は選択の連続やなあ」
毎回決断を迫られて、弱ってんねん、とこぼしていた。
だけど、とYさんは続けた。
「やけどな。人生は短い。しょうもないもん使ってる場合やあらへん」
そう言って、Yさんは三回試着をしに行ったドイツ製のヴィンテージメガネを手に入れて、幸せそうにしていた。ちゃっかり、レンズはまた別の安いところで入れてもらいながら。

そうなんですよね。
何かを真剣に選ぶ、というのはとてもエネルギーを消費する面倒なこと。
だからこそ、ついつい妥協して、適当なもので済ましてしまったりするのです。

けれども、茉莉子さんはYさんとの出逢いを通して、自分の心と向き合うようになります。
住む場所を変えたり、本棚や服を自らの手でつくったりしていくことで、生活は変化していきました。

私は少しずつではあるが、自分で自分の生活をつくり始めていくようになった。自分が見て幸せになるものだけを残し、そうでないものは捨てる。つまらないことはやらない。好きじゃない場所には行かない。

自分のことを好きになるなんてよくわからなくても、自分の生活を好きなものに変えていくことはできる。たとえ制約があっても、小さなことを変えるだけで思いがけないほどに流れは変わっていく。

その結果、私はいま、部屋のなかでふと幸せになる。人間関係には安心がある。愛情を感じることもある。ここにいていいんだ、と思える。このひとたちといたい、と思う。それ以上に幸せなことって、あるだろうか。

幸せのほうへ行っていい。それには時間がかかるかもしれない。労力はめんどくさいかもしれない。だけど、タイルを一枚だけでも磨いていくように、手が触れた箇所だけでも拭いていくように、少しずつでも手を入れていけば、必ず生活は全体として変わる。そんな生活が続いていき、やがて人生のトーンも変わっていく。

「私の生活改善運動」安達茉莉子

たとえば。
外出するときにどのハンカチを持っていくか。
のどがかわいたときに何を飲むか。

この本を読む前と読んだ後では、そんな小さな選択をするときの心待ちも変わってきます。
ささやかなことであっても、自分の心を満たすほうを選びたい。
そう思いながら選んだことって、びっくりするほど気持ちを豊かにしてくれるのです。

かけ足で過ぎてしまいそうな日々に句読点を打つように、自分の気持ちとしっかり向き合って、ひとつひとつを丁寧に選びとる。

そうやって心を満たしていきたい。
より良く生活していけるようにしたいな。

本を読み返して、あらためてそんなふうに思いました。




最後まで読んで下さり、ありがとうございます。 あなたの毎日が、素敵なものでありますように☺️