"本が読みたい"と思えるのは、あたりまえのことではないから。
先日、本屋さんに行ったときのこと。
新刊コーナーで、江國香織さんの「読んでばっか」が目に入りました。
大好きな作家さんの、読書や本にまつわるエッセイ集ということもあり、いったん手に取りかけたのですが、すでに2冊の本を手にしていることにはたと気づき、"今日はやめておいて、来月買おう"と考えたのです。
レジ前の列にならんでいるときに、noterのいろさんの記事を思い出しました。
以前より文庫本が値上がりしていて、千円を超える作品が多くなっていること。
本に使える予算には限度があるけれど、紙の本が好きだし、好きな作家さんの本は応援の気持ちもこめて買いたい、ということ…。
図鑑や画集への思いも語られていて、"わかります!"と声に出したくなるほど共感できる記事で、何度も読み返したい文章です。
(いろさん、いつも素敵な記事をありがとうございます。
この場を借りてお礼を申し上げます)
予算や置き場所、そして本を読める時間にも限度はあって、好きなものを好きなだけ買うわけにもいきません。
"たしかに、ほいほいとは買えません、ね。"と思いつつ…、実は今月、予算を超えて買ってしまいました。
月初めに本屋さんに立ち寄ったときに、千早茜さんの、「しつこく、わるい食べもの」を購入。食べることの悦びや、自分が好きな食べものについて真っ直ぐな姿勢で書かれる文章に心惹かれます。
中旬には、丸善京都本店にて『十二国記』山田彰博原画展が開催されていて、最終日に滑りこみで行ってきました。心ゆくまで原画展を鑑賞した後、オリジナルグッズ売り場でしおりを購入しました。
"栞も買ったし、本は一冊だけにしよう"と考えていたのですが、丸善でたった一冊しか買わないなんて、わたしには無理でした。
山尾悠子さんの「初夏ものがたり」と、金井美恵子さんの「ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ」。
どちらも千円超えの文庫本。原画展鑑賞後で気分が高揚していたのでしょう。どちらも表紙の装画が素敵で、"この本を家に連れて帰りたい"って、思ったのですよね。
そして先日。
吉田篤弘さんの「鯨オーケストラ」と、宮田ナノさんの「もしもし、こちらは夜です」を迷わず手に取りながら(おふたりとも、文庫化されたり新刊が出たりするのを心待ちにしている作家さんです)、江國さんの新刊も買おうとして、ようやく踏み止まった…、という次第です。
"今月は、少し買いすぎてしまったなぁ"
そう思いつつ、"でも"という声が自分の中で響きます。
"でも、本が読みたいと思えるのは…、あたりまえのことではないでしょう?"
そうなのです。
本が好き、という気持ちは幼い頃からずっと変わらないのですが、本が読めない時期がたくさんあったのも事実です。
心のバランスをくずしているときは文章が頭の中に入ってきませんし、文章を読むこと自体が辛いもの。
家族が病気で寝込んだり、引越しや転職をしたりしたときは、本を読む余裕がありませんでした。
ふつうに日常生活を送っているつもりでも、気がついたら心が空っぽになっていることだってある。
本を読みたいという気持ちはあって、本屋さんのなかを一時間ぐらいうろうろしても、"この本を読みたい!"、って思いが湧き上がってこなくて、結局なにも買わずに帰る…、なんていう経験も一度や二度のことではありません。
"この本を読みたいな"と思えること。
本屋さんに行って本が買えること。
本を読むのが楽しいと感じられること。
そして実際に、本が読めること。
どれもこれも、わたしにとっては、あたりまえのことではないということに、この頃気がついたのです。
読みたいと思える本があって、本屋さんの中を巡りながらわくわくした気持ちになれるのは、"有り難い"ことなんだなぁって。
もちろん、毎月のようにたくさん本を買うのは無理ですが、それでもやっぱり、自分の中の"読みたい"という気持ちには、丁寧に耳を傾けたいと考えています。
そして、"明日も、本を読むことが楽しめる自分でありますように"と、日々願わずにはいられないのです。
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