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彼女はサヨナラの寂寞を知った、消えゆく遊園地の物語

「次は、豊島園。豊島園です」

 黄色の電車にガタンゴトンと揺られ、小さな駅のホームに到着した。窓の外には、ポップなエントランスがもう見えている。
 ピッ、とSuicaをかざして改札を抜ける。そのまま歩いていくと、半袖のブラウスにショートパンツ姿のフミが待っているのが見えた。フミ、と声をかけると彼女の丸い目がこっちを向き、大きく微笑んだ。

「ユイ!おはよう!」

 手を振って駆け寄ってくるフミに「おはよう!待った?」と聞くと、「ううん、さっき着いたばっかり!」と明るく答える。「それじゃ、まずチケット並ぼうか?」と言うとにっこりと大きく頷き、販売列に二人で並んだ。
 フミと私は、会社の同期だ。3年前に新卒の同期で入社して、それ以来ずっと仲良くしている。勤め先はIT系の会社で、記事や動画なんかのWebコンテンツを手がけている。その年の新卒は私たち二人だけだったから「仲良くなれなかったら終わりだな」と不安な心持ちでいたけれど、彼女の明るく開放的な性格と人懐っこさのおかげで、気がついたらものすごく打ち解けていた。「佐山文花です、よろしくね!」と声をかけてくれたフミとのファーストコンタクトは今でも覚えている。

「ユイは、としまえん初めてだっけ?」
「いや、小さい頃に家族で一回来たことあるみたい。でもあんまり覚えてなくて」
「そっかー。私ここが地元だから、家族でも何回も来たし、中学とか高校のときは友達ともよく来てたの。大学はディズニーのほうがちょっと多かったかも?」

 アハハ、とフミは快活に笑う。チケットを買い終えると、私たちは夏休みのとしまえんに足を踏み入れた。「今日は楽しもうね!しばらく、会えなくなっちゃうし」となおも明るいフミの言葉に、そうだね、と言いながらふと胸が寂しくなるのを感じた。
 フミは、会社を辞める。8月中に最終出社日と送別会を終え、今は有休消化の期間に入っていた。今年に入ってから入籍した都合で、夫の転勤先の九州に行くらしい。「結婚式は絶対呼ぶからね!」と言ってくれたけど、週5日いつも隣のデスクで働いて、オフの日も飲みに行ったり遊んだりしていたフミがいなくなることを、私は正直まだ受け止められずにいた。

「としまえんと言ったらこれだよね。乗ろうよ」

 入園して真っ先に向かったのは、日本最古のメリーゴーランド「カルーセルエルドラド」。「どれに乗ろう!やっぱり白馬かな?」と、私たちはお気に入りの白馬を探してそれぞれ跨る。木造ならではの軋みは若干あるものの、いたって安全丈夫だった。回転が始まり、アール・ヌーヴォーの美しい天井画や彫刻、馬たちを眺めていると心が幸福で満たされる。古いのに新しくて、楽しかった。

「楽しかった!次はさ、やっぱ絶叫系でしょ!」
「え!私、乗れるかな??」
「大丈夫だって!ちょっとスリルあるけどね」

 絶叫系はあまり得意ではないけど、友達と遊園地に来ているときは何だかんだで一緒に乗ってしまう。としまえん人気ナンバーワンの「サイクロン」。シュッ、と音を立ててジェットコースターが青いレールの上を走り出す。「待って、ちょっと待ってやばいって!」「ユイ、ビビりすぎだよ!」広々とした青空の下、ゆっくりと頂点をめがけて登っていく。やばいよ、と思ったら意外にものんびりとそのままゆるく下る。と思いきや、カーブで徐々に加速して一気に急降下。叫びすぎて景色どころではない。けれども、文字通り遊園地内をぐるっと周回していくのは気持ちよくもあった。そして暗闇のトンネルへ突入。「えっ、何、何、ちょっと!やめてよ!!待ってよ!!」と怖がる私の横でフミはゲラゲラと笑っている。まもなく一周が終わってコースターを降りると、フミは手を叩きながら「あー、やっば!最高だよユイ!」とひとしきり笑った。

「わかった、それじゃさ、もうちょっと平和なやつ行こう」

 落ち着きながら向かったのは「マジック」。カラフルでポップな装いにアメリカンなイラスト、「MAGIC」の文字が飾られて、中央にいるピエロの頭にはミラーボールが乗っている。赤と白の電飾がたくさん付いているから、夜にはまた違って見えるんだろう。アームの先に三つ連なったマシンがグワングワンと揺れている。「え、これほんとに平和なやつ?」「うんうん!私これ好きでさ」と、フミは絶妙に答えになっていない返事をさっと交わしてマシンに乗り込んだ。私も後に続いて乗ると、連なったマシンが合図とともにクルクル回り始め、次第にアームが上下左右へ行ったり来たりしながら動き出した。「ほら!やっぱり絶叫系じゃん!」「ハハ!でもさっきのよりちょっとマシでしょ?」遊園地の青空とファニーな壁の絵、視界が目まぐるしく変わる。斜めに傾いて飛んだり、急旋回していくのは、ちょっとハラハラするけど面白い。
「フミはほんとに絶叫系が好きだよね」
「そうそう。めっちゃ好きで。あとこれは雰囲気も好きなんだ」

「ちょっとお腹空いたし、お昼にしよっか!」

ヴィーンテージでアメリカンな屋台に、ホットドッグやポテトが並んでいる。ピザ、チキン、ソフトドリンク、どれも定番のスナック。手頃なものをいくつか買って、外のテーブルに広げて食べた。

「フミ、後で私あれ乗りたい。長いブランコが回るやつ」
「いいよ!けどあれ結構怖くない?」
「あれは大丈夫!好きなんだよね」

 昼食を終えた私たちは、ブランコのやつ、すなわち「ウェーブスインガー」を楽しんでからあちこち色んなアトラクションを回った。アンチックカー、模型列車、イーグル、お化け屋敷。はしゃぎ回って、まるで女子高生に戻ったみたいだった。チュロスをかじり、タピオカティーを飲みながら歩いた。
 気づけば時間は刻々と過ぎ、「サイクロン」の軌道越しに夕陽が輝いていた。私たちはベンチに腰かけて、暮れていく空を眺めた。

「ねえ、フミ」
私には、どうしても聞きたいことがあった。
「なんでいなくなっちゃうの」
「……」
フミはそれまでのニコニコした表情をふっと鎮め、沈黙した。私の内側から、さらに言葉が溢れた。
「寂しいよ」
「……」
「結婚、だけじゃないんじゃないの」
「……ごめんね」

 俯いた彼女の表情が突き刺さった。時計は夕刻を指し、色鮮やかなアトラクションの数々は落陽のもとで赤く焼けたような、くすんで褪せた寂しい色に見えた。

「ずっと一緒にいたのに」
「……」
「どうして……?」
「……あのね、仕事は楽しかったし、ユイのことも好きだし、人間関係は恵まれてたし……でも、ここじゃないのかも、って思っちゃって……」
そこまで言ってフミは、ハッとしたような悲痛な顔をした。

「ごめん。そんなことないや。せっかくユイと出会えたのに、そんなはずない」
「……」

 思い当たらないことがないわけではなかった。フミはいつも明るく朗らかだったけれど、人一倍自分に厳しかった。「もっとこうすればよかったかな」「まだまだ自分にはこれが足りない」と度々口にしていて、社歴が長くなるにつれてそういった悩みを聞くこともあった。うちよりもっと色んなことができる環境のほうが彼女はのびのびと成長できるんじゃないか、と思いつつ、フミが去っていくことが怖くてどうしてもそれは言えなかった。

「私、ダメだった。フミがずっと居たいって思える会社にできなかった」
「そんなこと言わないで」
「だって」
「ユイはいつも、私の支えだったよ。社内の皆も、二人はよく頑張ってるってすごく褒めてくれてたし。特に新人の頃とか、一人だったら折れてたかもって思うようなこともユイと一緒に頑張れたから乗り越えられたんだよ」

 私は、言葉に詰まった。それから、やっと一言絞り出した。

「大好きだよ、フミ」
「私もだよ。皆のこと、よろしくね。いい人たちばかりだから。あと私、次の仕事まだ決まってないからさ、あっちで探さないといけなくて!不安だらけだよ」

 フミは遠くを見つめながら、泣きそうな顔で言った。日はもう沈んで、遊園地はすっかり暗くなっていた。出店やアトラクションの明かりが煌々と照っている。

「ユイ」
「……」
「最後にさ、もう一回カルーセル乗ろうよ。夜になるとライトアップされて綺麗なんだよ」

 木々の茂る暗がりの中で、「カルーセルエルドラド」は魔法の国の入り口みたいに光っていた。白い柵が開き、私たちは馬車のシートに座る。回転木馬はゆっくりと動き出す。オレンジ色の電飾は夢の中へ誘うように灯り、西洋の絵画や赤い垂れ幕は舞踏会の広間を思わせた。巡り巡る中、フミとの思い出が走馬灯のように駆けていく。内定式。入社式。気の合う同僚に、友達に出会えた喜び。何もかも新しい環境に食らいついて、社会人の経験を積んでいった日々。休日に遊びに出かけて笑いあった日。うまくいかなくて泣きじゃくった日。これまでの人生のこと、これからのこと、お酒を飲み交わしながら本音を語り合った深い話をした日。

「ほら、こっち見て!」
フミがスマホのインカメを自分たちに向ける。涙が溢れそうなのをこらえて肩を寄せ、精一杯のピースをした。

 出口から、ぽつりぽつりと人が帰っていく。まもなく眠りにつく遊園地は静かだった。
「今までありがとう」
「うん」
「元気でね」
また明日がやってくる。それでも、思い出は消えたりしない。
「まぁ、LINEもインスタもZoomもあるし。便利な時代じゃん。ここから福岡だって、行けない距離じゃないし?」
「そうだね」
「来るときは言ってね!通りもんと明太子買っとくから」
「もちろん!東京ばな奈持って遊びに行くから」
私たちは、顔を見合わせて笑った。

 西武線に二人で揺られる。練馬駅からの帰り道はそれぞれ逆方向だった。手を振って別れて、私は池袋行きの電車に乗る。
 今日見てきたカラフルな景色、賑やかな歓声、揚げたての香ばしさと甘い匂い、夏の夜のぬるい風。「としまえん」の記憶、大好きな人の笑い声。大丈夫、忘れやしない。そう思って、私は目を閉じた。


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