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秋刀魚の思い出 [エッセイ]

 子どもの頃から秋刀魚を食べるのが上手だと褒められてきた。苦い内臓もはじめから好んで食べていたし、小骨がついていようとお構いなしにバリバリと噛んで飲み込んでしまう。いつもお皿の上には頭と背骨だけが残った。
 やがて祖母は、食後に残った頭と背骨に塩をふりかけ、七輪の残り火でカリカリに焼いてくれるようになった。いわゆる骨せんべいである。日本茶を飲みながら祖母特製の骨せんべいを食べるのが、小学生の頃の私の楽しみになっていた。今思えば、ずいぶん老けた小学生もいたものだが、ずっと祖母に育てられていたせいか、少しも変だとは思っていなかった。

 それが少し変化したのは中学生になってから。給食ではなく、各自が弁当を持参しなければならなくなった時からだろう。
 祖母は物持ちの良い人で、昔から使い込んできたアルミの弁当箱を私用にしてくれた。ものすごく地味な見てくれに正直怖気づいたけれど、我が家にはその弁当箱しかなかったのだから仕方ない。私は毎日、この地味なアルミの弁当箱を、少しでもお洒落に見えるハンカチで包むようにして学校へ通うようになった。
 ところが、それで凌げるほど学校生活は甘くない。一人で食べたいと思っているのに、一緒に食べようとクラスメイトたちが誘ってくる。みんな、これでもかというぐらいにお洒落だったり、恰好良い弁当箱を持ってきている上に、ごはんとおかずが綺麗に盛り付けられていた。また、そのおかずたちのカラフルな事といったらない。アートなんじゃないかと思うような弁当の友だちもいた。
 一方、私はと言えば、表面に傷やへこみもあるアルミの地味な弁当箱に、どっかりとご飯が詰め込まれ、その真ん中には決まって祖母が漬けた梅干しがドカンと置かれている。アルミホイルで形だけ仕切られた片隅には茶色や黒系の色をしたおかずが、これまたグイグイと詰め込まれていて、汁が近くのご飯にしみ込んでいた。
 昼食の時、あんなにも緊張したのはあの頃以外にはなかったと思う。お洒落なハンカチの結びを解くと、素早く地味な蓋をはずして弁当箱の下にひいた。みんなが自分の弁当を確認している一瞬をついての早業だった。
 ところが、もうひとつ他の友人たちとは決定的に違うものが私の弁当箱には入っている。やはり祖母が漬けたたくあんの漬物だ。この匂いは、あっという間に周囲の空気に広がり、いつもみんなの注目を集める結果となった。
 私は恥ずかしさに堪えながら、ひたすら箸を口に運ぶ。その様子は、中学生なりに察するところがあったのだろう。誰もが私の弁当の話題には触れないでくれた。
 かといって、そんな恥ずかしさを祖母に訴えるのも筋違いだと思っている自分もいたから、やがて小遣いを貯めて自分用のお洒落な弁当箱を買った。それでずいぶん気は楽になったが、外身が変わったからといって、中身のおかずが劇的に変化するわけはない。
 やがて私は、教室で弁当を食べずに済むようにと、生徒会副会長に立候補した。仲の良かった先輩が生徒会役員で、たまに生徒会室で弁当を食べていると聞いたからだった。そして選挙に当選した私は、目論見通りに安住の地を得られたのである。
 生徒会室での昼食は、ほぼいつも一人だった。たまに来る先輩はいたけれど、私を見ても特に何も言わない。あちらにもそれなりの事情がある。先輩の家庭は父子家庭で、だからいつもパンを食べていたのだと後で知った。
 その後、私は生徒会長、事務局長と歴任することになり、引退するはずの受験期もなぜか生徒会に出入りさせられていた。顧問の教師に信頼されていたと言えば聞こえはいいが、生徒会室に入り浸っていて何でも知っていたから便利な存在だったと言う方が正しいかもしれない。とにかく、私の一人弁当は、中学を卒業するまで続いたのだった。

 先日、打ち合わせの席で昔のお弁当の話になり、この話をしたら大爆笑された。皆、私よりだいぶ年上の方たちだったので、言葉がイメージとして伝わりやすかったようだ。「瑠璃さんは飽食世代なんだよね」とも言われた。確かにそうだなと思う。明治生まれの祖母の躾で、何でも残さず食べる習慣は身についていたけれど、見てくれを過剰に恥ずかしく思う心根には、生まれた時から食べるものに苦労しなかった生き様が出ていたのだろう。
 今はもう、あの表面に傷やへこみがあったアルミの地味な弁当箱は手元にない。祖母が亡くなった時に、ほとんどの持ち物は父の手で処分され、その後、父が亡くなった時には思い出に繋がるものはほとんど無くなっていた。大事なものをたくさん置き去りにして生きてきたのだと改めて思う。

 この秋初で旬の秋刀魚を食べた時に、祖母は弁当のおかずにもよく秋刀魚を入れてくれたことを思い出した。前夜の残り物ではあるけれど、わざわざ祖母が七輪で焼いていた秋刀魚だ。冷えたなりにとても美味しかったのを覚えている。もしかしたら、昔の秋刀魚は今のものより数段味が良かったのかもしれないと思う程に。
 そんなことを思いながら書いていたせいか、今は無性に骨せんべいが食べたくなっている。祖母の味がガスレンジで再現できるものかどうかはわからない。だが、この秋のうちにぜひ挑戦してみたいと思った。

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