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何事もほどほどが一番なのかも

 夕食後就寝に着くまでの数十分、仏壇の前に座り念仏を唱えるのが祖母の日課でした。たまに付き合って祖母の隣に座り手を合わせるも子供だった私はすぐに飽きてしまい、又、足のしびれに耐えきれず途中で退散し最後まで居られたことはほとんどありません。猫のみいもよく祖母の周りをウロウロしたり背中にスリスリして邪魔? をしていました。
御仏壇にはいつも綺麗なお花が飾られ、お菓子など頂き物をした時には必ず箱ごと仏様にお供えをしてからでないと開封することは許されないルールがありました。子供心に早く食べたい! と思ったことは一度や二度ではありませんが、その習慣は今も変わらず続いています。

小学校の低学年の頃に、子供達を集めて念仏を教える日曜学級なるものが近所のお寺で開催されました。
祖母が檀家だったため、私と従弟妹達は強制的に参加されられました。
最初はお菓子につられて参加者は多かったのですが、そのうちにだんだん来なくなり、とうとう私と従弟妹の3人だけになってしまい日曜学級は閉じられました。
その影響もあってか、お寺や念仏は大切なものと脳裏に刻み込まれていますし、法話を聞いたり神社仏閣にお参りするのも好きです。

祖母は浄土宗で「南無阿弥陀仏」でしたが、夫の実家は「南無妙法蓮華経」の日蓮宗でした。

結婚して数年はその違いに馴染めず違和感がありましたが、天台宗は「朝題目に夕念仏」というのを聞き抵抗がなくなりました。

夫が幼少の頃重い病気にかかり、助からないと言われた際に近所の方から誘われて日蓮宗に入信した義母は、それはそれは熱心な信者でした。私自身は無宗教ですが、祖母を見ていたのでお寺で手を合わせることは抵抗なくできます。夫の弟の嫁は猛烈に毛嫌いして義母と揉め続けてきました。

昨年の1月から8月まで義母が我が家で同居していたのですが、あれほど熱心だったお題目を唱えることは一度もありませんでした。家には仏壇はないのですが、お盆にご飯とお茶、線香立て、蝋燭立てを備えて義父と私の両親の写真を飾っているコーナーがあります。義母の家の仏壇にあった義父のお位牌もそこに置き毎朝蝋燭とお線香を上げご飯とお茶をお供えしています。義母は家にいる間一度も手を合わせることはなく、施設に入居する際に義父のお位牌を持っていかなかったことにも驚きました。

理由を聞くと
「飾るところはないだろうし、変な人だと思われるのは嫌だ、恥ずかしい」

義父が亡くなって20年間、仏壇のお位牌に毎朝、毎晩1時間近くお題目を上げていたのは何だったのだろうと不思議でなりません。

義母が信仰している宗教は、お題目を唱えていれば必ず道が拓ける、うまくいかないのは信心が足りないからだという教えだったように私は感じていました。ですから、義母は何かよくないことがあっても誰かのせいにすることはなく、自分の信心が足りないからと解釈し熱心にお題目を唱えていたのです。

一人暮らしがままならなくなり、長男の家に身を寄せることになった時点で、もしかしたら義母は絶望し、信じていた宗教に見切りをつけたのかもしれません。

どうして自分の家に居られないのか、何故ここで死なせてくれなかったか、と……。



形式等にとらわれず、苦しいときの神頼みで、今まで通り何かあったら手を合わせるだけでも私の祖母は怒らない気がします。



何事もほどほどが良いのかもしれない、と思った出来事の一つです。


最後までお読みいただきありがとうございますm(_ _)m




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