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脈動する世界のはじまり

会社の電話が鳴った。

出ようとすると、固定電話の液晶画面に表示されていたのは

「公衆電話」

の文字。

嫌な予感しかしない。

これが普通の要件でないことは、サイキックでなくてもわかる。

案の定、私には手におえない案件だったので、光の速さで隣の席の上司にパスした。いまの会社に転職してまだひと月ちょっとの新人である私としては、われながらナイス判断だ。うちの会社では毎日こういうちょっと不思議でツッコミどころ満載の事象が起こるので、色々不満がありつつも、結構気にいっている。

さて、いきなり出だしから本題とズレてしまった。というか、公衆電話のことを書きたかったから、無理やりねじ込んだだけなのだが。

昨日からnoteをはじめたおかげで、色々と感じさせられている。

新しいことをはじめる時は、不安がつきものだ。まわりが思う以上に、本人のなかでは、「どうせ続かないよ」とか「また口だけだね」とか、辛辣な声が鳴り響いている。

そんな時にエールを送ってくれる人の、その心意気のありがたさ。心細い時こそ、誰かが送ってくれるまっさらな応援の気持ちは、いつもより何倍も胸に沁みる。

その恐さから、私はプールの飛び込み台に立つ機会が年々減っていた。だから、この心細い気持ちを味わうことが、いつの間にか減っていたことに気がついた。私はその間ずっと、ただの観客として無責任でいられた。

チャレンジしなくなることの弊害は、それだとなにもはじまらないだけじゃなく、誰かからかけてもらえる言葉や気持ちのそのあたたかさとか、ありがたさを、受けとりそびれてしまうことなのだと思う。

私が失敗して恥をかくことを恐れて引きこもり、傷つくことから自分を守っている間に、いつのまにか心の動きは鈍くなっていった。だから、みんなの言葉や気持ちのその温度を、そのあたたかさを、うまく感知できなくなっていたのだろう。

こうして新しいことをしはじめたら、その不安と怖さとドキドキで、心がふたたび脈動しだした。以前よりも自分のまわりの世界の温度を感じられるようになり、そのおかげで世界も色づきだした。

いま世界が変わりゆくなか、新しいことをはじめざるを得ない人達が増えてくることは、きっとなにかの恩恵だろう。たくさんの人の心がドキドキと脈動しだし、動いた分だけ

その熱もやわらかさも

冷たさも固さも

甘さもほろ苦さも

いまより生き生きと感知できるようになることは、新しい時代にとってはきっと、豊かさでしかないのだから。

よい文章がつくれるよう、これからもコツコツ書いていきます。応援やサポートが糧となるので、どうぞよろしくお願いします。