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淡い春の思い出

就職を機に、一人暮らしを始めた。
憧れの街の片隅で。

初出勤の1週間ほど前、ふと不安に駆られた。
ちゃんと起きられるだろうか。時間どおりお弁当を完成させられるだろうか。忘れ物なく出勤できるだろうか。

幸いにも、時間だけはたっぷりある。
そうだ、予行練習をしてみよう。

本番さながらに、お弁当のおかずを考え、天気予報を確認し、明日の服をクローゼットにかけてみる。そして、初出勤日と同じ時刻に目覚ましをかけて眠りについた。

まだ肌寒い3月の朝。
予定のどおりの時刻に目覚ましが鳴り、まだ眠りたい気持ちに打ち勝ち、準備を始める。

顔を洗い、髪をとかす。
新調した曲げわっぱのお弁当箱におかずとご飯を詰める。おかずは、ほうれん草の肉巻きと卵焼きとポテトサラダ。
お弁当を詰め終わったら、化粧をする。 
紅茶を淹れ、パンを食べながら、ニュースを観る。
そして、昨日用意しておいた服に着替える。嫌いなストッキングもちゃんと履く。
戸締まりと持ち物を確認し、真っ新なトレンチコートに袖を通して家を出る。

愛車は、ブリヂストンの青緑色のマウンテンバイク。
かごにトートバッグとお弁当を積んで、走り出す。
まだ、風が冷たい。深く息を吸うと鼻の奥がツンとして、新しい朝のにおいがする。

高校時代も自転車で通学していた。
けれど、あの頃とは全然ちがう。
見上げても最上階が見えないくらいの大きなオフィスビルやマンションが立ち並び、早朝にも関わらず忙しなく人や車が行き交う。うかうかしていたら取り残されてしまいそうだ。
そう思って、精一杯ペダルを漕ぐ。

職場が近づいてくると、ますます人が増えてきた。
この中にはもしかすると同じ職場の人がいるのかもしれない。けれど、出勤の予行練習中の私には見分けなどつくはずもない。いつかこの中に溶け込んで、顔見知りの人を見つけて、挨拶をしたりするのだろうか。
そんなことを思いながら、漕ぎ進めるとあっという間に職場についた。
正面玄関の前の道で自転車を停めて、オフィスを見上げてみる。ここまでの道のりで通り過ぎたオフィスやマンションに引けを取らないくらい立派なビルだ。まだ働いてもないのに誇らしい気持ちになる。

無事に通勤できそうだという安堵すると同時に、重大なミス気づいた。職場に到着したのはいいものの、これはあくまで私の予行練習。当然、オフィスに入れるはずもない。

この後、どうしよう。
お弁当まで持ってるのに。
とんだうっかり者である。

でも、流石に引き返すのは味気ない。
そうだ、川沿いをサイクリングしてみよう。

職場を後にして、桜並木の続く川沿いを走る。
まだ満開ではなさそうだ。
控えめに色づいた木々たちが気持ちよさそうに風に吹かれている。脳内で知らない間に音楽が流れ始めて、いつか観たドラマの主人公のような気持ちになる。
なんだかずっとこの日を待ち望んでいたような気がする。今までに感じたことのない自由を手に入れて、どこまでも行けるような気がする。

サイクリングに夢中になっていると、いつの間にか太陽も高く昇って、遠くまで来ていた。
お腹も空いてきた、そろそろお弁当を食べよう。
近くにあった公園に自転車を停め、ベンチに座って、お弁当の包みを開く。
そして、初めて自分のために作ったお弁当を自分で食べる。
ふんふん、なるほど。
結構美味しい。
思わず笑みが溢れる。
けれど、気にすることもない。
地元の公園と違って顔がさすということもないのだから。公園に集う人たちも道を行き交う人たちも誰も私のことなど知らないのだ。それって結構心地よい。

お弁当を美味しく完食して、次はどうしたものかと考える。
そもそも、ここはどこなのか。
地図を見てみると、どうも大阪天満宮の近くのようだ。

せっかくだから、御参りして帰ろう。
賑やかな商店街を抜けると、本当にすぐに大阪天満宮に辿り着いた。テレビで何度も見たことはあるけれど、実際に来るのは初めてだ。こんなところに自転車で行ける場所に自分は住んでいるんだと今更ながら驚く。

大阪天満宮は思ってた以上にずっと広くて立派で静かだった。
何を拝もうか、やっぱりこれからの仕事のことだろうか。それが妥当なところどけど、なんだかしっくりこない。そうだ、今日感じた幸せがずっと続くようにお願いしよう。


これが私の1人暮らしの初めの思い出。

ちなみに、脳内BGMはこちら。

メディアパルさんの企画に参加させていただきました。






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