私の生い立ち Part1


親は私のことを16歳で出産していて母16歳、父18歳で結婚したが私が生まれて4ヶ月で離婚している。
母の実家は地元ではちょっと大きな会社をしていてそこのバカ娘と呼ばれていて悪い意味で有名だった。
離婚したことによりもっと悪い意味での有名になってしまった。

親権は母親になっていて、私は生まれてから1度も父親に会ったことはない。

1歳半になり母が祖父の会社で働くことになったので保育園に通うようになった。
記憶があるのは3歳位から。

母親が浜崎あゆみが好きで家にいる時と車に乗っている時はいつも音楽がかかっていた!
3歳くらいに母親の彼氏Yを紹介されたのを覚えてる。
母親はその彼氏に夢中になっていて、平日週3位で仕事終わりに会いに行っていて土日は毎週会っていた。
たまに、私のことも彼氏Yと出かける時に連れて行くが私はその彼氏Yが嫌いだ。

母親が家にいないことが寂しくてどうしたら母親の気を引くことができるのかを考えた結果
『りあ(私)もあゆになりたい!同じ髪の色にする』
という選択だった。4歳の誕生日!

母親に伝えたら、
『りあが可愛くなるならママなんでもするよ』
と言い誕生日の次の日に美容室へ行き髪の毛をブリーチして染めた。
すごく痛くて泣いた記憶がある。

そこから私は逮捕されるまで髪を染め続けた。

保育園時代は私の家は普通だと思って何も考えずに小学校へ入学した。2003年4月

小学生になってから私の家庭がおかしいことを徐々に気づくようになった。

母親の彼氏Yのことを先生に
『ママの彼氏がね〜』と話したときに、
『え?』という顔を担任にされたのを覚えている。

母子家庭なのは知っていたが親子関係までは小1では教師もわかっていなかったと思う。

父親についてもあまり考えたことがなかったが、入学式にほとんどの親が父親と母親で参加していることに驚いた。

田舎特有?なのかシングルマザーというのが私の学年では1人もいなかった。学年人数28名。

そして、その頃の自覚はなかったけど、年上にめちゃくちゃ可愛がられた。
5年生や6年生の人たちに特にかまってもらう事ができた。

今思えば、1人っ子の私は母親の妹12個上と7個上の友達や母親の友達の中で遊ぶ事が多くて保育園以外で同い年と遊ぶ事がなかった。

そんな感じで小学2年が終わるまではうまくいっていた気がする。


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