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シリーズ:上田久美子の思考を辿る① 『金色の砂漠』考

みなさま、あけましておめでとうございます!

前回の投稿から少し間が空いてしまいました... 昨今、舞台を生で観劇することが難しくなりつつある状況ですが、今年も観劇コラム(@オンライン?)続けていきたいと思っています!

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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さて今回から、「シリーズ:上田久美子の思考を辿る」と題して、私が大ファンであり敬愛する宝塚歌劇の演出家・上田久美子先生の作品について考察していきたいと思います。

今回は、先日スカイステージで放送されていた宝塚歌劇花組公演『金色の砂漠』について。

『金色の砂漠』
2017年宝塚大劇場・東京宝塚大劇場花組公演。明日海りお、花乃まりあ主演。上田久美子脚本・演出。砂漠に佇む王国の第一王女タルハーミネとその奴隷ギィの愛憎劇を、繊細に美しい音楽・舞踊と共に綴った作品。

*以下ネタバレ・敬称略含む

二つの愛

相手を自分のものにしたいと願う愛と相手の幸せに尽くす愛。

舞台の中盤で長老の奴隷ピピ(英真なおき)が愛にはこの二種類があると説く。どちらが人を幸福へと導くのか。その命題を紐解いていくのがこの舞台の一つの軸であったと思います。

二つの愛を対照的に描いていたのがギィ(明日海りお)とジャー(芹香斗亜)。

王妃アムダリヤ(仙名彩世)と先代の王の間に生まれた王族の兄弟であり、現王ジャハンギール(鳳月杏)に王国が奪われた際、奴隷として生き延びることとなった二人。二人とも王女の専属奴隷となり、それぞれの王女を愛するようになる。

ギィとタルハーミネの愛は、「相手を自分のものにしたいと願う愛」でした。幼い頃から王女タルハーミネ(花乃まりあ)と時を共に過ごし、その矜り高い美しさに惹かれたギィ。しかし、王族としての矜りを大切にするタルハーミネは、少なからず自身の内に芽生えているギィへの恋慕の想いを認めようとはしない。

ギィはタルハーミネの自身への恋慕の情に気づき、自身の命が奪われることを脅しに、彼女に関係を迫る。タルハーミネその人の手によって王国を追われた後は、王国を征服し、タルハーミネを我が妻にしようと企む。

タルハーミネもギィを奴隷として手元に囲うことで、婚約者の存在に関わらず、いつまでもギィを自分のものにしようとしている。

しかし、この「相手を自分のものにしたいと願う愛」から生まれたのは、ギィの自分を見捨てたタルハーミネへの憎しみ、父親である王をギィに殺されたタルハーミネの憎しみ... という憎しみの連鎖。「相手を自分のものにしたいと願う愛」という愛は、憎しみしか生まないのでしょうか。

対して、ジャーの愛は「相手の幸せに尽くす愛」。王女ビルマーヤ(桜咲彩花)を愛しながらも、彼女に関係を迫ることはなく、婚約者にも優しく接し、彼女が幸せになることを願う。奴隷という身分から逃れる機会にも乗ずることはなく、最後までビルマーヤに仕える。ビルマーヤもジャーへの愛情は伝えながらも、それぞれの立場を重んじて、恋心を忍ばせながら相手の生存、幸せに尽くす言動をとる。

2人は物語の最後まで生き延び、互いに愛情を抱いたまま、「幸せ」の様相で幕を閉じる。「相手の幸せに尽くす愛」が「相手を自分のものにしたいと願う愛」に勝る... 一見そう見える物語です。

憎しみを乗り越えた愛

「相手を自分のものにしたいと願う愛」に救済はないのか。

それに応える存在が王妃アムダリヤ(仙名彩世)ではないでしょうか。

夫を殺され、無理矢理に王ジャハンギールの妻にされ、一度は彼を憎むも次第に彼を愛し、最後は彼の妻としての矜りとともに死んでいく。憎しみを乗り越えた愛は、「相手を自分のものにしたいと願う愛」が生み出した憎しみという罪をも浄化する。

この砂漠のどこかに
許される場所があるという
金色の砂の海に
この罪も砕け散る 砕け散る

物語の最後の場面で、ギィとタルハーミネの「太陽のかけら」「太陽に熱された焼け付くような熱い砂」(意訳)によって魂だけになるというシーンがありますが、その「金色の砂漠」は憎しみという罪を浄化させる魂の救済の場所であり、憎しみを乗り越えた2人は最後にはその場所に行き着けた。相手を自分のものにするのではなく、相手の命を助けようと相手に尽くす愛を芽生えさすことができたから。

こう考えるとフィナーレナンバーのデュエットダンスで幸せそうに踊る2人に救済を、金色の砂漠のような衣装をまとってロケットダンスを踊る仙名彩世/アムダリヤに救済の象徴としての生き方を見いだすことができます。最後まで奥深いです。

しかし、タルハーミネがギィの命を守るためにした行動(=「相手の幸せに尽くす愛」)、その嘘によってナルギス(高翔みず希)を陥れたことで、ナルギスに憎しみが芽生えた事実があることもここに付け加えておきたいと思います。相手を自分のものにしたいと願う愛と相手の幸せに尽くす愛、そのどちらにも正解はない、そのどちらにおいても魂の救済は手向けられるというのが上田先生の一つの解なのではないでしょうか。

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今週末の『月雲の皇子』の放送も今から楽しみです。

では。

(引用元:宝塚歌劇公式ウェブサイト)


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