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「海のはじまり(第3話)」 パパやらなくていいけど、いなくならないでほしい。人とは役割よりも温もりが欲しいということ?

3回目、特にドラマは大きく進んではいかない。だが、心が少しづつ開き、重なり合おうとしてるのはわかる。7歳の子供の心は、それこそ自由に動く。そして、自分と血が繋がる人の振動はとてつもなくわかりやすく感じるのだろう。だが、そういう血のつながりをこのドラマは強調するものでもない。だが、そのことは一つのフラグとして大きく提示されている。

それは、夏の今の父親(林泰文)も弟(木戸大聖)も血が繋がっていないという設定であることからもわかる。そして、今現在、そこに齟齬があるようなことはない。弟も勝手に兄の家を訪ねてくるくらいに仲は良い。そう、夏の周囲は、普通ではないが平和なわけだ。

そこに、突然、自分の子だという海が現れる。それは唐突だが、何か縁みたいなものを感じているのも確かだ。それは、夏の恋人の弥生も同じ。自分が亡くした子供と海が重なる。海も、そんな弥生に人見知りもせずに、懐いている。そう、この子は本当に天使のように描かれている。だからこそ、悪魔に描く時が来るのかもしれないというような、そういうサスペンチックなところはある。

ところで、この主人公の名前は夏、娘は海、母親は水季であるが、有村架純の名は弥生で春である。この辺り、なんか、ストーリーに関係しそうな感じがするわけだが、何が起こるのか?ちょっと怖さも感じるのだ。

そして、この脚本、主人公の海と夏の主観的な流れで進んでいるのだが、いつも彼らを見ている第三の視線があるのを感じる。祖母だったり、昔の同僚だったり。だから、視聴者も何か二人をのぞいているような感覚になる。それが、ドラマへの集中力が落ちない点でもある。そう、こういう第三者の視線的なものの扱い方が生方脚本の真骨頂なのだろう。脚本に書き込まれてなくても、第三者の視線を感じさせるところ。そこに日常のリアルさを感じたりする。

今回は、海が図書館に行きたがり、晴明(池松壮亮)が再度出てくる。多分、晴明は海の母親を好きだったのだろう。そして、海を引き取ろう的なことも妄想していたのかもしれない。だが、そこに夏が現れ、自分の妄想が壊されていく。これは「Silemt」の夏帆の役の姿に似ている。ちょっと拗ねて、そこで起こっていることを見つめているような感じが・・。ああ、そして、池松の役名も春にちなんでいる。とすると、弥生と何かあったりする?

このドラマ、かなり正攻法な家族の物語に見えるが、かなりのサスペンスとしての流れも持っていたりする。子供は変容が激しい。それは、今回の背が伸びる記録をとる話にもリンクする。大人と違う加速度で生きているわけで、そこに大人たちは翻弄され、何かを気付かされる。

今回のラストは思い出の海。そこで、海は夏に「パパをやらなくてもいいが、いなくならないで欲しい」という。考えれば、昨今、二人の親のぬくもりをしっかり感じている子供が少ないということはあるし、二人の親が普通にいることが人にとって本当に幸せなことだというのもわかる。そんなことも含め、人が人に求めるぬくもりとは何かみたいな点がこのドラマのテーマなのだろうか?ここから、私たちに何を気づかせてくれるのか?とても興味深いドラマではある。


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