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「最高の教師 1年後、私は生徒に■された(第9話)」此処で起こっている問題は、社会全体への提言かもしれない。

今回は、芦田愛菜を殺めたのが、茅島みずきら3人だとわかり、彼女たちへの追求と懺悔の1時間。今回も、ドラマに含まれる圧はなかなか重かった。見ている自分に対し投げかけられてるように感じた視聴者も多いのではないか?このドラマは学園ドラマでありながら、社会全体の重い空気に対して投げかけられたものだということがようやくわかってきた。

そのドラマ構造がいいか悪いかといえば、私的にはあまり好きなものではない。だが、奥底に提示されているテーマは、現代では誰もが避けて通ってきたものであり、「そんな事はあって当たり前」という認識の中でこの半世紀流され続けてきた内容に思える。だから、「いじめ」という事象は子供から大人までの世界の中で、陰湿に今も蠢いている。それがなくならないという諦めは、人間として「人間はそんなものだ」という諦めである。そして、少なくとも日本人の過半数はその諦めの中に身を沈めている気もする。

そんな現実があるからこそ、このドラマ、松岡茉優がタイムリープすることで成立させようと思ったという認識がやっと私の中で腑に落ちてきた。そう、反省してやり直して、やっとわかる世界なのではないか?ということだ。

芦田が転落した事故は、芦田と當間が話していたあの会話がビデオに撮られ、それで芦田をもう一度懲らしめようとした茅島の仕業だったということはわかったが、そんなことで一人の大事な命が亡くなった事は、悲しみに耐えないという言葉だけで表せるものではない。

それをクラスで追求する会議というか、話し合いのシーンは、今回も見応えがあった。とにかく、いくら「ごめんなさい」と言ったところで、クラスメートを自分のバランスを崩した感情の中で殺めた事は許されない。彼女たちは一生、それを背をっていくという重さを感じるし、彼女たちがそれを吐露した後で、それを聞いた母親の吉田羊が、皆に語る本音も胸に刺さる。

芦田が茅島に殺される前に「誰かを傷つけて笑ってることの何が嬉しいの?」という言葉を吐く。今の日本全体に刺さるような言葉だ。政府は、貧しい国民を傷つけ笑ってるだけだし、社会も勝ち組負け組などといって、他人と比較することで自分を慰めている。もはや、日本人の魂はかなり危うい状況にある。基本、宇宙は「自分を愛し、他人を愛すること」でさらに愛に包まれるようにできているのである。他人を馬鹿にして満足するような輩が増える状況は、やはり許し難い。

だから、そういう社会状況をこのクラスに演じさせるようなこのドラマは、考えれば考えるほど、ある意味、秀逸ではあるのだ。その描き方に好き嫌いはあるだろうし、私も諸手を挙げて絶賛する気もない。ただ、これが今の社会なのだということを提示できてるだけでなかなかの脚本である。

ラスト、警察に向かう3人に、本田仁美が追いかけてきて「私たち友達だよね」と声をかける。ドラマに対する救いの言葉である。そう、人は間違えて覚える動物でもある。だから、間違えた時は「御免なさい」を心から言ってほしいし、言わねばと私は思う。しかし、此処数年、それさえできない人々が増えてるような気がする。ネット内なら尚更である。

ドラマは次週が最終回。松岡を殺した生徒は誰か?はなんとなくわかる気がするが、どういう形でそこに至ったのかはよくわからない。さあ、松岡の最後の授業?楽しみである。

本当に、日本人よ、世界の人々よ、自分を愛せる生き方をせよ、そして隣人を愛せよ!

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