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「僕の好きな女の子」友達を越えられない、いい人という、ふがいない世界。

こういう話は、世の中に時代を超えて存在して、結果、それを「縁」が無いというのだろう。好きなのに、好きだと言えず、その娘に男ができても、特に強いジェラシーを見せることもない。結局は、自分でいい人を演じている脚本家の男の話。実際にあったことをドラマにして昇華してしまうことにさえ、苛立ちを覚えないという主人公というのに、観ている方が苛立つ感じではある。こういう、あくまでも平和主義と言う人はいるのかもしれないけどね。

又吉直樹の原作。たぶん、又吉自身なのか、知人なのかは知らないが、モデルがいそうである。この間公開された「劇場」のダメ男とは違ったダメ男。又吉自身がそういうものにドラマを感じるのでしょうね。

映画は、ある意味そんな凡庸な世界を凡庸に刻んでいく。主人公の渡辺大知と奈穂の掛け合いの部分で映画が成り立っている。そして、それが確かに恋人同士の演技ではない事がわかる映画ではある。それでいて、渡辺も奈穂も存在感がそれなりにある。微妙な空気感を監督の玉田真也は、フィルムに封じ込めようとしているのはよくわかる。脚本協力が今泉力哉になっているが、こういう男女の距離感を描かせたら抜群の今泉がどういうサポートをしているのかは気になる。

でも、今泉の映画と比べるのはなんなのだが、映像のきめ細かさが足りない気がした。主人公二人の心象風景の温度など演技以上のものが映像からいまひとつ伝わらない。そして、仲間たちとの会話が説明くさく、面白くない。友人の彼女が渡辺に「好きなんじゃないの?」と直接言うシーンを置いてしまうようなところは、いらないよね。

舞台は井の頭公園と、ロケできる部屋、原宿のギャラリーなど。凡庸な中に凡庸なテーマを投げる。役者がそれなりにしっかりと演じている分、まとまってはいるが、魅力が足りないままにラストに。ギャラリーで写真を観て、原宿の写真に「巣鴨ですよね」という様な無駄なシーンも多い。

客演のように、出ている、徳永えりと朝倉あきは、やはり、他の役者と違うオーラを示す。それが目立つようなところもこの映画の弱い点なのかもしれない。彼女たちは、もう自分から映像の中に温度や湿度も込みで入ってこれる人だからだろう。

奈緒の演技は悪くないと思う。子供のような無邪気な役をそれなりに表情豊かに演じている。だが、どうもこの男の気持ちをもてあそぶような深淵の悪い部分を演じ切れていない気がした。渡辺にも同じ様なことが言える。まだまだ、これからの伸び代を感じる人たちなので、期待はしたい。

渡辺が、「どんな脚本書いているの?」と言われ「恋愛ものです」という。こういう脚本家志望は多いのだろう。日本映画の貧困さは、そういうジャンルの先になかなか進めないことだと思う。傑作を書ける人は一握りだ。佳作を多く書ける人がもっと欲しいよねと感じた、一作である。


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