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「君が心をくれたから(第9話)」案内人の過去と奇跡という苦悩のわからなさ

今回は、案内人と名乗る松本若菜と斎藤工の過去を中心にドラマは動く。いや、なんか、わかった風な話を語るが、実際、ドラマの筋としてわかり得ないような話が続く。つまりはファンタジー、つまりはスピリチュアル的な感じの話がここでは語られ演じられるが、それを納得できる人はほぼいないだろう。

大体、永野芽郁が山田裕貴を助けるために五感を失うという苦行を強いられることを「奇跡」と呼ぶことに違和感がある。「奇跡」と言ったら、常識では考えられないことではあるが、大体良い方に使う言葉だ。確かに山田の命が救われたのは奇跡であるが、それに相反する苦行があるような、エネルギー保存則のような展開は違うと思う。人間は、皆幸せになっていいし、人間は生きているだけで奇跡だ。良いことを得るためには苦悩が必要だみたいな展開を神はしないはずだと私は思う。

まあ、私がいうことも屁理屈だし、見えない世界の問題はファンタジーとして何を描いても勝手だから、批判する気はない。そう、辻褄が全然合わないというかよくわからないドラマの中で、前回の最後に語られた松本若菜が山田の母だったという話にけじめをつけるようなストーリーは、それなりに涙を流させる作りになっており、ここでの松本の表情の美しさが映える感じは、イメージフィルム的な感性で見れば、なかなか必見であった。山田が、家族で食事をしよういい、遠藤憲一と出口夏希と共に鍋を囲む中に、山田だけが見える松本が中に入る。これだけの設定で、刹那さを感じさせる時間はそれなりに綺麗ではある。そう、このドラマはやはり、美しいイメージフィルムと捉えてみていけば良いのかもしれない。もはや作り手は綺麗なものを提示することで、世の中の刹那を表現したいということ?なの?

そんな、心のひだの微妙な感情をストーリーなどどうでもいい中で描いていけば、新しいものができるという考えも確かにある。しかし、斎藤工と永野の会話の中で、斎藤も「奇跡」のために愛する人を救い、それにより彼女と別れることになり、自分は彼女の病気を背をったまま何もできずに闇の中で余生を過ごしたみたいな話が出てくると、そこには人生って、やはり勝ち組と負け組があるの?みたいな考えかたが浮かんでくる。そう、永野が表情を変えずにどんどん闇に向かっていくのを、辛そうに描いてはいないが、やはり、ドラマ的には彼女が苦痛を耐える姿はいらない気がする。

もはや、出てくる女性たちの表情が美しいことだけがこのドラマの救いなわけだが、なんか、わたしたちも月と共に溶けてしまいそうな、変な世界に誘われているわけで、そんな中で、斎藤の恋の成就みたいなものを見せられてもね。やはりこんな案内人の話などどうでもいいから、永野芽郁を幸せにしろよと言いたいままに次回に進むという感じ。でも、これから彼女の視覚が失われ聴覚が失われるってね、あまり楽しみなこともないクライマックスですよね。どうまとめるのこれ?

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