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「六本木クラス(第12話)」復讐劇とは、所詮スッキリとカタがつくものではないだろう

ラスト一回前、平手友梨奈が早乙女太一に誘拐され、それを追いかけた竹内涼真が撃たれて危篤状態。なかなかセンセーショナルに事が運ぶ。考えれば、この話の中で、トラブルメーカーは早乙女太一、一人だ。だが、彼がいなければ、竹内は大きな自分の城である、RCを作ることはなかっただろう。人生は全て必然と言われるのはそういうことだ。そして、竹内の周辺に集まった者たちも、皆同じように必然にそこに存在している。

今回は、最後の竹内が目を覚ます前に、あの世の入り口で竹内が、父親の光石研と話すシーンがある。最後に三途の川を渡るか渡らないかで、「デートがあるから」と引き返す竹内。まあ、その最後の台詞はともかく、こういう臨死体験的なシーンを入れ込むのは、そういう人生の必然性みたいなものをさらに強調させるためには有効だ。その、ある意味の着地点に行くまでは人生は終われないという感じなのだろう。しかし、こういうシーンを入れるのは、ドラマを一瞬でダメにしてしまうことさえある気がする。そんな違和感を感じなかったのは、主人公のブレない感覚をドラマの中にはっきりと刻んでいるからだろう。

しかし、昔のムショ仲間も一緒になって、竹内を痛ぶり、平手と鈴鹿を誘拐する感じは、梶原一騎がよく使う手ですよね。そのルーツは日本の任侠映画やヤクザ映画にあるのだが、そういうものも、韓国の作家たちはうまく取り込んでいるのは、よくわかる。

その撃たれる前、竹内が、平手がいなかったらここまで来れなかったことに気づく。こういう、感覚が鈍い純粋な主人公というのも、昔の漫画などによくあるタイプの形なのだ。ある意味、70年代から90年代くらいまでの、日本のエンタメを勉強していくとこういう形になるということなのだろう。日本の若い作家にもそういう学習をしていただきたい気はする。そこには、山のような基本形のアイデアが詰まっている。

しかし、今回、香川の出番があまりなかった気がするが、香川の事件との関係だろうか?新木が香川に退職願を出すシーンはなかなか良かった。新木優子という人は、怒るという芝居の中で美しくは見える。ただ、もう少し表情に振り幅が欲しい。あと、今ひとつ、オンナを感じさせないところがあるのが気になるところだ。

そして、竹内が目を覚ますが、まだ、平手と鈴鹿は捕まったまま。早乙女がこの事件で、長屋の信頼みたいなものをことごとく落とし、着地点が見えにくくなっているが、それなりに最終回は楽しみなところですな。

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